中高校生の頃に学生服を買ったり、 スキーウェアを安く手に入れたりするために船場の問屋街を巡ったことが何度かある。 両側の店から道路にあふれたたくさんの荷物、 すれすれに通り抜けていく車、 その中を縫うように走る自転車。 その活気あふれる様は巨大な市場にいるようであった。
今回、 問屋街をじっくり歩いてみたが、 その厳しい状況に驚きを隠せなかった。 せんば心斎橋筋は人通りが増え、 大変賑やかになったが100円ショップや飲食店が目につき、 問屋街ではなくなっていた。 南久宝寺では廃業した店のシャッターが閉ざされ、 破産管財人による告示の張り紙が何枚も見られた。 夜ともなると、 歩いている人がほとんど見られないゴーストタウンとなっていた。 これはひどいな。 正直そう思った。
しかし、 ワークショップの参加メンバーをたずね歩く間に、 街を勇気づける多くのユニークな人たちに出会うことができた。
大阪問屋街活性化協議会会長の永田さんは、 卸と問屋の違いについて熱く語ってくれ、 問屋は情報産業であり、 未来への可能性を秘めているという印象を強く受けた。 永田さんの紹介で、 ワークショップにも参加していただいた林さんの店をたずねた時には、 扱っている輸入雑貨という商品の面白さもさる事ながら、 若い店員のハツラツと楽しそうに働いている様子に、 こういう問屋さんとパートナーを組むことができれば、 自分にも店が持てるのではないか。 そんな元気を与えられた。
北久宝寺で花屋を営む若い二代目の井上さんから、 面白い人がいると独学革職人の明石さんを紹介され、 明石さんからさらに実に多くの方を紹介していただいた。 人材派遣業とたこ焼屋を兼業されている方、 脱サラして丼ぶり屋とスタンディングバーの二毛作店をされている方など元気のある方が自然に集まりネットワークを作り始めており、 東横堀川と堺筋に挟まれた1丁目エリアは、 南船場から久宝寺にかけて、 これから確実に変わっていく予感に満ちていた。 彼らはこの街なら自分のやりたいことができる気がすると言っていた。
明石さんは「船場いい人・いい店会」という集まりの声掛けをし、 南久宝寺の自店を集会スペースとして開放されている。 林さんは「船場賑わいの会」を通じて、 大きな落語会の他、 ジャズの会などもプロデュースされている。 石黒さんはメチャハピー祭りに尽力されている。 問屋街にも1丁目エリアにも、 小さな芽がたくさん芽生え始めていた。 まちづくりには、 これらの小さな芽が互いに手を結び合わせる仲人が求められおり、 これを育むことで街の蘇る力になると強く感じた。
「伝える」とテーマを設定したものの、 伝えるものが一体何なのかわからなかった。 昔ながらのコミュニティや商いの仕方ではない。 むしろ商売人の集まりならではの因習的なコミュニティが現在も結構残っていて、 新しい要素の参入による活性化を強く阻んでいる。 新しい人たちがそこに風穴を開けるのに苦労している様子が伺えた。 船場ことばの美しい響きや商道徳など洗練された船場文化は伝えなければならないものではあるが、 今となってはやや遅すぎる。 結局「伝える」ものは船場を愛する心、 船場商人の誇りではないかという当然の答えに至った。
最後に船場賑わいの会が主催する「船場・上方噺の集い」の願掛けと称する文章の次の言葉が船場の将来像を言い表しているので紹介したい。
「文化や商いの核が程好く点在し、 内外の客人に回遊で満足して貰える船場。 働いても暮らしても娯しい船場。 地域の皆様に共通する筈のそんな大願成就へと、 手に手に火をかざす人々の輪が集いますように!」
ワークショップから
これから面白くなりそうな予感
(株)竹中工務店 岸田文夫
岸田文夫(きしだ ふみお)
樺|中工務店 開発計画本部課長代理。1963年大阪市生まれ。87年大阪大学大学院環境工学専攻修了。同年樺|中工務店入社。95年フィレンツェに滞在。(イタリア政府給費留学生)99年より滑ツ境開発研究所に出向。1級建築士。主な著書:『水辺と都市』『景観からのまちづくり』(ともに学芸出版社、共著)
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