街の遺伝子(レジュメ)
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ワークショップから

変化して現れる遺伝子

(株)環境開発研究所 藤川敏行

 

 ワークショップ「創る」では船場地域のうち特に近年店舗を中心に変化の著しいいわゆる「南船場」に注目し、 まちの変化を仕掛けて来た人・商売を通じて実際にまちに関わりを持っている人に集まってもらい、 まちの変化やまちとの関わり方について議論をいただいた。 ワークショップでの率直な印象は「ああ皆さんちゃんとまちを意識して活動しているんだなあ」と言うものだった。 変な言い方かも知れないが、 生活の場として住んでいたり歴史的に深い関わりがあるならともかく、 比較的新しくまちに関わりを持ち商売をしているとどうしても店の周辺だけに目が向きがちにならざるを得ないのではという勝手な憶測が働いてしまう。 特に都心と言うと他人との関係を持ちたくないのではという先入観もあったのだ。 しかし、 今回お集まりいただいた方々の議論から、 まちにおける個々人のつながり・ネットワークの重要性を皆さんがかなり強く意識していることが確認でき、 ほっとしたというかうれしくなってしまった。 コミュニティを広く浸透させ、 熟成させるための祭りやイベントもまだまだ途上のようではあるが、 手作り感覚での取り組みが試みられているようである。 みんなが南船場に惚れ込んで積極的に関わろうとしているからこそ、 魅力的なまちとしての吸引力が働き、 店ができ人が集まるという大きな動きが続くのだろう、 と得心した。 この積極的な関わり方は船場地区に住んでいる人や問屋街など古くから船場に関わっているかたも同様で、 やはりみんなが船場ブランドを強く意識しているはずと言う予想も間違いではなかったようだ。

 今回、 都心にはどんな力があるのか?を考えるにあたり、 自分なりに都心とは何か、 を改めて考えてみた。 漠然と考えるいわゆる都心は、 明確な目的、 例えばあれを買うとかあそこで食べるとかがなくてもなんとなく人が集まる場所と言うふうに自分なりに感じていた。 そんなに居心地が良くなくてもそれなりに欲求を満たす要素がとりあえず揃うからだ。 しかし、 今回取り上げた「南船場」地域は都心と定義しながらも、 住み・集まり・賑わうといった要素は数年前まで徐々に薄れていた地域である。 そういう意味では船場は過去の都心であり、 何をするにも少し不便な手間のかかる場所と言えるかもしれない。 しかし、 こうしていろんな人・店・情報がまた集まり始めている。 ワークショップで「南船場はいいにおいのするまちだ」と言う意見が多かったのだが、 まさにそのいいにおいがいろんな意味で訪れるものの心を掴んで離さないのだろうと思う。 そして、 何でも揃っているのとは違う何をするにも手のかかるそのやっかいさ具合が「創る」側の者にとってはどうにも気になってしようがないところなのだ。 中身のわかる町は魅力がないという意見があったのも、 それと似たような感覚だろう。 完成形でないまちであり、 常に動きのある「創る」意欲の湧くことがまちにとって非常に重要であることは以前より感じていたが、 今回の議論を通じて、 その思いを一層強くした。 また、 「創る」という行為は、 単にものを建設すればいいのではなく、 手をかけながら行為に関わって行くことが重要で、 それがまちにとって重要なコミュニケーションやネットワークの構築にもつながるのかも知れないと感じた。

 昔の都心、 という言い方が正しいかどうかは分からないが、 船場に繰り返し人が集まる様子を見ていると、 これこそが人を集める「都心の遺伝子」だと感じる。 その集まり方・目的は時代時代で変化して行くのだろうが、 集まる、 という力自体に変わりはないのである。 動きつづけること、 変化しつづけること、 これは非常に大切なことで、 動きの止まったまちはいずれ役割を終える運命にあると感じる。 しかし、 動きのスピードにも注意が必要である。 あせらずじっくりと見守りたい。 いや、 できる限りまちと関わって行きたいと思う。


藤川敏行(ふじかわ としゆき)
滑ツ境開発研究所大阪事務所・計画部主任。1964年生まれ。88年早稲田大学理工学部建築学科卒業。90年同大学院建設工学専攻都市計画専門分野修士課程修了。90年樺|中工務店に入社、その後滑ツ境開発研究所に出向し、現在に至る。技術士(都市及び地方計画)。1級建築士。既成市街地の再開発、阪神淡路大震災による被災マンションの再建から大型商業開発、まちづくり提案まで幅広い業務に関わる。


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