街の遺伝子(写真)
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■記憶■

画像68 都心は常に更新中
 いわずと知れた新世界である。 ここの繁華街には食べ物屋、 将棋道場、 アミューズメント、 マンションにドヤとなんでもありである。 ここが二人の語らいの場にもなるところが大阪らしい。 都心はとりわけ変化と更新を繰り返し、 広告意匠製作中の通天閣のネオンは新しい都市景観を期待させてくれる。

難波 健(兵庫県)

画像69a 都心の原体験
 都心をじーっとイメージするとき、 まず思い浮かぶのは社会人として記憶された風景ではなく子供の頃にどきどきしながら大阪のまちを歩いたときに記憶された風景である。 そこが新地という夜の街などとは想像だにせず、 一生懸命たどり着いた大阪東映会館。 ここが自分にとっての紛れもない一番の都心の風景と言える。

藤川敏行((株)環境開発研究所)

画像69b 都会・初体験
 大阪にはじめて来たとき、 阪急のアールな空間と、 天井から聞こえてくるクラシックに、 ここは都会なんだと感激したことがある。 今でも、 大阪の都心といえば、 ここから始まる。

前田裕資(学芸出版社)

画像70a 都心のアイデンテティー
 長い歴史を持った都市には、 独特の価値があり風景がある。 商売人の町船場にも、 こんな風景がある。 コンクリートジャングルというドライなイメージを払拭する。 そこには、 さまざまな生き方があり、 関係がある。

横山あおい(エイライン)

画像70b 「土地の記憶」を生かした街の景(蔵の跡)
 薩摩屋敷跡という歴史の証を担った芝3丁目。 生活環境軸と位置付けされた、 幅20メートルの街路が都心生活の舞台装置。 「住み」「働き」「憩う」場として再生されたミュージアム空間はここしかない場所性を担保した新たな日本的都心の景観創りを目指している。

上山良子(ランドスケープデザイン研究所)

画像71 時を楽しませる窓
 東京赤坂、 かつては大名屋敷の建つ静かな界隈であったろう。 後、 華やかな花柳界の街となり、 当時の面影は江戸城の壕であった弁慶堀、 弁慶橋に残っている。 傍らに建つ高層ビルから見おろす首都高のダイナミックな風景は、 単にその造形のみならず、 歴史の流れが重なるようで、 一時を楽しませる。

西澤 健((株)GK設計)

画像72a 消えたあとに残るものは?
 この場所にはどんな営みがあったのか。 駐車場になってしまった土地からは何も読み取ることができない。 その向こうにたたずむ取り壊しを待つばかりの町家が、 この辺りのかつての賑わいを想像させてくれる。 ここ道修町は江戸時代からの薬の町であり、 今も多くの製薬会社が軒を並べている町である。

フォーラムワーキンググループ

画像72b ありつづける〜持続する存在
 都心に、 接道しない町屋が残る。

 道からは見えない路地のおくに、 木造町屋が生き残っている。

 立派な構えの蔵があり、 母屋との間の中庭は、 思いのほか緑が豊かである。 建物も、 木も、 100年の単位で、 移り変わる人の姿を見つめつづけている。

土橋正彦(大阪産業大学)

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