牧場的風景との対比で日本の風景を考える
斉藤牧場 |
斉藤牧場の主、 斉藤晶さんは、 戦後本州から北海道に入植しました。 まだ10代という若さから、 北海道の中でも一番気候の厳しい旭川のなかの、 さらに開墾するには厳しい山に入りました。 開高健の小説『ロビンソンの末裔』に描かれているような、 苦労に苦労を重ねてもなかなか実を結ばない、 そういう大変な開拓の取組みだったようです。
斜面地を耕して栽培するのですが、 夏には虫が付く、 収穫の季節になればキツネが来る、 シカが来る、 猪が来る、 クマが来る。 いくら作っても、 食べるのに十分な収穫も得られない。 疲れ果てた彼は、 山の木のてっぺんに登って、 自分の開墾している場所を見下ろして考えたそうです。 「周りにいる自然の動物や昆虫は、 特に汗水垂らして苦労しているように見えない。 楽しく暮らしているだけなのに、 十分生きている。 それに比べて、 自分はこんなに汗水垂らして働いているのに、 どうして食べることもできないんだろう。 自分がやっていることは基本的におかしいのではないか。 自然に逆らっているのではないか」と。
こういう反省から、 懸命に「地域の環境の持っている力を引き出すような農法はないだろうか」と考えていたところ、 たまたま牛が一頭手に入ったので、 野菜や穀物の栽培とあわせて牧畜をやってみることになりました。
普通は、 夏になるとクマザサや雑草が生えて人が入れなくなるような林でも、 牛が登った斜面にはそのようなものがあまり生えてこないことに気づきました。 そこに草の種をまいてみたら、 いい草地になった、 それが「蹄耕法」でした。 彼は見よう見まねでこの蹄耕法をはじめたのですが、 スイスやニュージーランドなど酪農王国ではごくごく当たり前の方法だとういうことに、 後で気がつきました。
秋の雨が降る直前にササに火を入れると山火事にならずに、 蹄耕法が上手くいくことを発見したりしながら、 彼は200haの急勾配の山をすこしづつ、 緑の草地に変えていきました。 現在の牛は彼が放牧で育て始めた4、 5代目の牛ですが、 3代目くらいから、 牛も体質が変わり冬に外に放しても凍傷にかからないような牛になったそうです。
イギリス風景式庭園 |
斉藤牧場も、 元々あった林は3割ぐらいは残してありますから、 大木が気持ちのよい木陰をつくっていたり、 湧き水があってそこに小川が流れていたり、 大きな岩がそのまま草地のなかにごろんと横たわっていたりで、 風景として巧まずしてできたイギリス風景式庭園のようなところがあります。
真駒内の住宅団地の草地と大木 |
踏み分け道 |
遊歩道も、 道幅約1mほどの踏み分け道で、 並木も育って気持ちのいい空間になっています。 これも牧場時代からの道を活かしたものかもしれません。 北海道では一般的に新しくできる都市の街路の道幅はどこも広くて、 均質で間延びしています。 かってこの真駒内の遊歩道を参考して、 ヒューマンスケールの小径を提案したことがあります。 しかし冬の道の管理で決められた幅の除雪機械が入らないという理由でつくれませんでした。 降り積もった雪の上を人間が歩いてつくる道、 あまりハードな管理をしない道もいいんじゃないかと思っているのですが、 なかなかそういう発想が理解されませんでした。
北海道の住宅地の景観というと、 千歳から札幌に行く途中で見るような郊外住宅地の乱雑ながっかりする風景が多いのですが、 真駒内の住宅団地のように成熟した風景も生まれています。 この成熟した風景には、 かって牧場であった背景のようなものがうまく取り込まれ、 かつ管理もあまり人工的に手をかけすぎないような、 そういう活かされ方がされているように思うのですが、 いかがでしょうか。
十勝平野の防風林 |
モエレ沼公園 |
右の写真は彫刻家のイサム・ノグチの遺作、 札幌のモエレ沼公園です。 全体が180haほどのかなり広い公園ですが、 そのほとんどが広々とした感じの草地でできています。 その草地の中に「プレイマウンテン」という高さ30mのなだらかな丘があります。 人の大きさと草地の丘のスケールが日常的景観と異なり、 不思議な感じがする風景ですが、 たいへん心地の良い場所でもあります。 市民にも大変人気があります。
場所と時代は全くちがうのですが、 日本の戦国時代の山城で、 まだ石垣ではなく、 城郭が土でつくられた時代の遺構−静岡県の山中城が有名ですが、ここを見に行った時も、このような土と草地の造形で、似た心地よさを体験したことがあります。
当別の里山 |
和辻の定義を借りると、 「モンスーン」的風土とは、 自然に旺盛な繁殖力があり、 簡単に手なづけられるものではなく、 逆にいつ来るか分からない自然災害(台風など)に常に脅かされるように、 人間の方が自然に受容的、 忍従的にならざるをえない環境であります。 それに対してヨーロッパ、 特にイギリスのような風土とは、 自然災害も少なく、 雑草も生えないような管理しやすい環境で、 動物の放牧によって土地を維持している、 極論すれば人間はいわばガーデニングのような好きなことだけやって、 国土を維持できている環境といえるわけです。
背負う課題の多い日本の国土のなかで、 日本人は勤勉に手間暇をかけ、 作物を育て、 災害にも耐えることができるような環境づくりをめざしてきました。 「田の草取り」ということが、 日常的な手入れの象徴的な意味をもつように、 日本の風土とは、 常に手入れし、 管理を怠ることができないような環境だったといえるでしょう。
日本の建設工事の割合が、 ヨーロッパの国々と比較して圧倒的に高いという理由も、 地方経済の公共事業依存の体質ということを抜きにしても、 本来維持に費用がかかる国土であるということの反映があるかと思います。
しかしこういうやり方もどこかで、 行き過ぎが生じているように思えるのです。
日本はモンスーンの稲作文化をベースに維持されてきた国土ですが、 よくみるとその中にも「牧場」的草地の発想を取り込んで環境づくりを行ってきた例が、 少数派ですが、 確かにあります。 里山も江戸時代までは、 林地だけでなく、 広い範囲にわたって草地があったことが、 最近の実証的研究で明らかになっています。
水と平地を基盤とする稲作文化と、 斜面の「牧場」草地では、 環境づくりや維持の発想が基本的に異なり、 それは都市環境の風景づくりにも大きな影響を与えていると思います。
今日最初に「牧場」的風土の話しを長々とした理由は、 「地域の環境の持っている力やうまみを引き出す」、 「注意深く観察する、 けれども手は必要以上にかけない」、 「動物や植物にまかせる」、 「時間に成熟させる」、 というような「牧場」的環境維持の発想が、 いま日本の風景づくりの中にもっともかけているように思えたからです。
風景の向こうに見るもの
和辻の風土論は、 風土を気候的側面からのみとらえているということで、 その限界が指摘され、 近年はあまり評価されないようです。 しかし最近の風土論は彼の「牧場」的風土の視点、 日本人が最も理解しづらい概念そのものがすっぽり抜け落ちているものが多いように思います。 和辻の風土論は、 もういちどきちんと読み返さなければならないものと思います。
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