かたちと関係の風景デザイン
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牧場的風景との対比で日本の風景を考える

 

 和辻哲郎は名著『風土』なかで、 日本などの「モンスーン」、 乾燥地帯の「砂漠」、 地中海から北ヨーロッパにかけての「牧場」という3つの類型を風土の人間学的考察の概念として出しています。

 今日はまず最初に、 この和辻の類型概念のなかから「牧場」という視点をとりあげ、 日本の現在の風景を考える切り口をお話したいと思います。

 テニスのUSオープンが開かれる場所は、 ニューヨーク郊外のFlashing Meadowという場所ですが、 和辻の言っている「牧場」は、 英訳すればこの“meadow”に当たります。 “meadow”とは草地、 草の生えた未開墾の低地というような意味です。

 和辻は「草っぱらという具体的な対象は分かるけれど、 “meadow”が持っている大きな意味を指す日本語はないだろう」と言っています。

 また、 「ヨーロッパには雑草がない」、 「自然が従順である」、 「自然の中から容易に法則を見出すことができる」とヨーロッパの風土の、 いわば人間からみた手なづけやすい自然というものを語って、 それを牧場的風土と言っていますが、 そこから「ヨーロッパの自然科学はまさしく牧場的風土の産物である」と語り、 「それが近代産業革命にもつながる風土の舞台になった」とまで言っています。

 この和辻の視点は私は大変重要だと思っています。 最近のガーデニングブームの影響で、 イギリスの風景式庭園がよく紹介されるようになりましたが、 あの風景がどういう背景のもとうまれたのか、 風土の条件まで、 思い至って考察したものはほとんどありません。

 モンスーンの稲作文化のなかにずっと育ってきた日本人の中に、 草地という概念、 環境を維持する仕組みとしての草地の概念はなかなか頭に入りません。 私もずっとそうだったのですが、 最近草地という概念が、 何を意味するのか、 体験的に少し理解できることがありました。

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斉藤牧場
 北海道の旭川にある斉藤牧場というところのことを紹介したいと思います。 場所は旭川の市街地からそれほど遠くない郊外の里山のようなところにあり、 広さは200haほどです。

 斉藤牧場の主、 斉藤晶さんは、 戦後本州から北海道に入植しました。 まだ10代という若さから、 北海道の中でも一番気候の厳しい旭川のなかの、 さらに開墾するには厳しい山に入りました。 開高健の小説『ロビンソンの末裔』に描かれているような、 苦労に苦労を重ねてもなかなか実を結ばない、 そういう大変な開拓の取組みだったようです。

 斜面地を耕して栽培するのですが、 夏には虫が付く、 収穫の季節になればキツネが来る、 シカが来る、 猪が来る、 クマが来る。 いくら作っても、 食べるのに十分な収穫も得られない。 疲れ果てた彼は、 山の木のてっぺんに登って、 自分の開墾している場所を見下ろして考えたそうです。 「周りにいる自然の動物や昆虫は、 特に汗水垂らして苦労しているように見えない。 楽しく暮らしているだけなのに、 十分生きている。 それに比べて、 自分はこんなに汗水垂らして働いているのに、 どうして食べることもできないんだろう。 自分がやっていることは基本的におかしいのではないか。 自然に逆らっているのではないか」と。

 こういう反省から、 懸命に「地域の環境の持っている力を引き出すような農法はないだろうか」と考えていたところ、 たまたま牛が一頭手に入ったので、 野菜や穀物の栽培とあわせて牧畜をやってみることになりました。

 普通は、 夏になるとクマザサや雑草が生えて人が入れなくなるような林でも、 牛が登った斜面にはそのようなものがあまり生えてこないことに気づきました。 そこに草の種をまいてみたら、 いい草地になった、 それが「蹄耕法」でした。 彼は見よう見まねでこの蹄耕法をはじめたのですが、 スイスやニュージーランドなど酪農王国ではごくごく当たり前の方法だとういうことに、 後で気がつきました。

 秋の雨が降る直前にササに火を入れると山火事にならずに、 蹄耕法が上手くいくことを発見したりしながら、 彼は200haの急勾配の山をすこしづつ、 緑の草地に変えていきました。 現在の牛は彼が放牧で育て始めた4、 5代目の牛ですが、 3代目くらいから、 牛も体質が変わり冬に外に放しても凍傷にかからないような牛になったそうです。

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イギリス風景式庭園
 これはケイパビリティ・ブラウンという有名な18世紀の造園家がつくったイギリス風景式庭園のスライドです。 いわゆるイギリス的アメニティの高い素晴らしい景観だと思います。 イギリスでは「都市は人間がつくり、 田園は神がつくりたもうた」といわれたりしますが、 ここでいう神とは家畜かもしれません。 イギリス風景式庭園とは家畜の放牧によりつくられ、 維持されている牧畜的風景に、 人間が少し手を加えた景観のように思うのです。

 斉藤牧場も、 元々あった林は3割ぐらいは残してありますから、 大木が気持ちのよい木陰をつくっていたり、 湧き水があってそこに小川が流れていたり、 大きな岩がそのまま草地のなかにごろんと横たわっていたりで、 風景として巧まずしてできたイギリス風景式庭園のようなところがあります。


「うまみ」を引き出す斉藤牧場の発想

 斉藤牧場の発想は、 まず管理の方法が違います。 一般的な北海道の牧場では平均草丈15cmです。 その程度の長さまで育てないと牛が食べ尽くして荒れ地になってしまうので、 草が育つ6月まで放牧はしません。 それに対して斉藤牧場の平均草丈は5〜6cmで、 雪が解けるとすぐに放牧します。

 なぜ5〜6cmの草丈で、 食べ尽くされずにいつまでも青々とした牧草地が保たれるのか、 北大の農学部の先生が調べたところ、 草が2倍の密度で生えていることが分かりました。 まあ、 すごく単純な話です。

 芝生のようなイネ科の草と、 クローバーのような豆科の草が適当に混ざって散らばっているのがよい草地で、 北海道の一般的な牧場では人為的にそのような状態をつくります。 斉藤牧場では、 牛の糞に混ざっている種からクローバーが生えるため、 適当に草が混ざります。 穀物飼料で育っている牛の糞は、 草の上にあっても微生物で分解できないそうですが、 自然放牧の牛の糞は二週間ほどで分解されるそうです。

 一般的な牧場では、 15〜16cmの草丈を維持するために、 フェンスでゾーニング管理して動物の動きを制限しますが、 斉藤牧場では牛は自由に動きます。 牧畜とは、 人間の食べられない草を家畜が食べて、 その家畜が食肉になったり牛乳を出してくれたりして、 人間はその恩恵を被ります。 しかも、 家畜が自由に動くことによって人間は手をかけずにプロダクトを得ることができるというところにその農業としての原点があります。 斉藤牧場の発想はまさにこの原点から出発しているわけです。

 それに対し、 日本で現在行われている牧畜は、 木を切り倒し、 ブルトーザーで表土をはぎ、 土地を造成し、 客土し、 草の種をまき草地をつくることから始まり、 畜舎で飼う牛の管理まで、 大変なコストと手間暇をかけて行われています。 そのため確かに、 牛一頭が出すミルクの量は世界でダントツ多いそうです。 しかし、 その発想は工業的畜産といいますか、 家畜を自然な草地に放牧することから始まるものから、 遠くはなれているように思います。 しかもこの方法はコスト高や病気等の問題で成り立たなくなってきています。

 牧場的発想が都市の風景や環境にかかわっている事例を北海道のなかから、 いくつかお見せしたいと思います。


真駒内の住宅団地

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真駒内の住宅団地の草地と大木
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踏み分け道
 札幌の真駒内団地は、 明治の始めにエドウィン・ダンという御雇い外国人が牧場を開いたところで、 戦後一時ゴルフ場になっていました。 その後、 札幌オリンピックの時に選手村や住宅団地が開発されて、 約30年経ったところです。 牧場時代からの小川が林の遊歩道になったり、 大木を活かした芝生の公園など、 成熟した住宅地のなかなかいい風景をつくりだしています。

 遊歩道も、 道幅約1mほどの踏み分け道で、 並木も育って気持ちのいい空間になっています。 これも牧場時代からの道を活かしたものかもしれません。 北海道では一般的に新しくできる都市の街路の道幅はどこも広くて、 均質で間延びしています。 かってこの真駒内の遊歩道を参考して、 ヒューマンスケールの小径を提案したことがあります。 しかし冬の道の管理で決められた幅の除雪機械が入らないという理由でつくれませんでした。 降り積もった雪の上を人間が歩いてつくる道、 あまりハードな管理をしない道もいいんじゃないかと思っているのですが、 なかなかそういう発想が理解されませんでした。

 北海道の住宅地の景観というと、 千歳から札幌に行く途中で見るような郊外住宅地の乱雑ながっかりする風景が多いのですが、 真駒内の住宅団地のように成熟した風景も生まれています。 この成熟した風景には、 かって牧場であった背景のようなものがうまく取り込まれ、 かつ管理もあまり人工的に手をかけすぎないような、 そういう活かされ方がされているように思うのですが、 いかがでしょうか。

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十勝平野の防風林
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モエレ沼公園
 十勝平野の耕地防風林がつくる風景です。 この防風林は冬の風雪を防ぐためよりも、 春先の強い風から土が飛散してしまうのを防ぐために植えられたものです。 この農地は主に畑ですが、 日高山脈の近くや根釧台地の方へいくと、 牧場も多くあります。 農地を守る機能から生まれた林が、 時間の経過とともに景観的にも大変美しく、 印象的なものになっています。 ヨーロッパやアメリカではあまりこういう風景は見かけなくて、 この「日本離れした」耕地防風林の風景も、 意外と日本的風土の景観かもしれません。

 右の写真は彫刻家のイサム・ノグチの遺作、 札幌のモエレ沼公園です。 全体が180haほどのかなり広い公園ですが、 そのほとんどが広々とした感じの草地でできています。 その草地の中に「プレイマウンテン」という高さ30mのなだらかな丘があります。 人の大きさと草地の丘のスケールが日常的景観と異なり、 不思議な感じがする風景ですが、 たいへん心地の良い場所でもあります。 市民にも大変人気があります。

 場所と時代は全くちがうのですが、 日本の戦国時代の山城で、 まだ石垣ではなく、 城郭が土でつくられた時代の遺構−静岡県の山中城が有名ですが、ここを見に行った時も、このような土と草地の造形で、似た心地よさを体験したことがあります。
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当別の里山
 当別町で取り組もうとしている「牛の拓く自然公園」で、 里山の町有林を活かして家畜もいる林と草地で、 人間も遊べる公園をつくろうというプロジェクトです。 現在、 日本の里山はかつてのように薪や炭をとりにいかなくなったことで、 暮らしとの関わりを失い放置され、 荒れています。 里山の再生を進める動きがでてきていますが、 国土の25%の面積があるともいわれる日本の里山をボランティア的な取組で回復するのは大変な労苦であると思います。 そこで、 人間の努力に動物の力も加えて、 生物多様性も確保できようなる環境にしようと考えています。 500haほどの広さがあり、 15年くらいかかるかも知れませんが、 日本一の町営公園をつくりたいと思っています。


風景の向こうに見るもの

 和辻の風土論は、 風土を気候的側面からのみとらえているということで、 その限界が指摘され、 近年はあまり評価されないようです。 しかし最近の風土論は彼の「牧場」的風土の視点、 日本人が最も理解しづらい概念そのものがすっぽり抜け落ちているものが多いように思います。 和辻の風土論は、 もういちどきちんと読み返さなければならないものと思います。

 和辻の定義を借りると、 「モンスーン」的風土とは、 自然に旺盛な繁殖力があり、 簡単に手なづけられるものではなく、 逆にいつ来るか分からない自然災害(台風など)に常に脅かされるように、 人間の方が自然に受容的、 忍従的にならざるをえない環境であります。 それに対してヨーロッパ、 特にイギリスのような風土とは、 自然災害も少なく、 雑草も生えないような管理しやすい環境で、 動物の放牧によって土地を維持している、 極論すれば人間はいわばガーデニングのような好きなことだけやって、 国土を維持できている環境といえるわけです。

 背負う課題の多い日本の国土のなかで、 日本人は勤勉に手間暇をかけ、 作物を育て、 災害にも耐えることができるような環境づくりをめざしてきました。 「田の草取り」ということが、 日常的な手入れの象徴的な意味をもつように、 日本の風土とは、 常に手入れし、 管理を怠ることができないような環境だったといえるでしょう。

 日本の建設工事の割合が、 ヨーロッパの国々と比較して圧倒的に高いという理由も、 地方経済の公共事業依存の体質ということを抜きにしても、 本来維持に費用がかかる国土であるということの反映があるかと思います。

 しかしこういうやり方もどこかで、 行き過ぎが生じているように思えるのです。

 日本はモンスーンの稲作文化をベースに維持されてきた国土ですが、 よくみるとその中にも「牧場」的草地の発想を取り込んで環境づくりを行ってきた例が、 少数派ですが、 確かにあります。 里山も江戸時代までは、 林地だけでなく、 広い範囲にわたって草地があったことが、 最近の実証的研究で明らかになっています。

 水と平地を基盤とする稲作文化と、 斜面の「牧場」草地では、 環境づくりや維持の発想が基本的に異なり、 それは都市環境の風景づくりにも大きな影響を与えていると思います。

 今日最初に「牧場」的風土の話しを長々とした理由は、 「地域の環境の持っている力やうまみを引き出す」、 「注意深く観察する、 けれども手は必要以上にかけない」、 「動物や植物にまかせる」、 「時間に成熟させる」、 というような「牧場」的環境維持の発想が、 いま日本の風景づくりの中にもっともかけているように思えたからです。

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