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池田三左衛門輝政は、 1600年姫路城の改修とともに、 姫路城に瀬戸内海から船を引き込むために運河工事を行ったが、 測量設計のミスでJR姫路駅南東あたりで中止してしまっている。 これを「三左衛門堀」という。
三左衛門堀3橋のデザインは、 姫路城のデザインボキャブラリーの引用によるもので、 城陽大橋が屋根(飛梁)、 城陽揚羽橋が中間部(壁、 柱)、 三左衛門橋は石垣をモチーフとした(写真の2橋は詳細設計まで。 他の1橋は基本デザインまで)。 その後、 三左衛門堀周辺に縁があって城陽地区の「地区計画」を行った。 三左衛門堀は今日、 緑色濃い運河として整備され、 「無用の用」をなしている。
('88姫路市都市景観賞受賞)。
三佐衛門堀3橋
久保都市計画事務所 久保光弘
わが事務所が詳細設計まで行った環境デザインが2つだけある。 昭和60年代初めに行った「橋」と「道」のデザインである。
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