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秋葉原の変遷

 

秋葉原におけるオタク系専門店の増加

 
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秋葉原電気街におけるオタク系専門店の増加
 
 こういった変貌が起こったのは、 何もラジオ会館だけではなくて、 このグレーに塗り潰した部分は全部、 新しくオタク系の店が入ってきたところです。 特に黒く塗りつぶしてあって、 フロア構成が入っているビルは、 大幅な入れ替わりか、 あるいはビルがまるごと置き換わるかたちで、 オタク系の店が占領したタイプのビルです。

 一階から七階まで、 ゲーム・アニメのDVD・コミック・おもちゃ・キャラクターモデル・PCゲーム・成人ゲームというように、 ビルの断面がオタクの趣味の構造をそのまま反映するという、 新しいビルディング・タイプが出現しています。 図のように、 中央通りの中心部には現在、 そのようなオタク・ビルが3棟、 密集しています。 そのもっとも大きいビルは、 もともと「T・ZONEミナミ」という、 パソコンと家電を扱う大型店だったのですが、 立ちゆかなくなったのをラオックスが買い取り、 「アソビットシティ」という、 オタク系ホビーに特化したビルにしています。

 「アソビットシティ」のすぐ近くにあるのは「アニメイト」。 名前に反映されているように、 アニメのキャラクター商品を中心とするビルです。 その隣が「とらのあな」。 これも同じくオタク系の店ですが、 ここは同人誌を中心とした品揃えになっています。 このように、 電気街の中心部がまるごとその主力商品を入れ替えるというようなことが起こっているわけです。

 こうした秋葉原の急変を目の当たりにして、 これは街の変化のしかたとして非常に新しい部分があるのではないかと、 考えたわけです。 実際に調査をしてみると、 色々なことがわかってきました。


80年代以前の秋葉原〜電気街として

 
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石丸電気tvcfより
 
 秋葉原は、 そもそも昔からマニアの街だったのではないか、 と言う人はたくさんいます。 確かにラジオ少年のような人たちはいました。 だから今、 オタクの街になったといっても、 それは彼らのホビーがシフトしただけなのではないかと。 しかし、 少なくとも90年代に入るまでは、 彼らマニアが秋葉原の中心的客層を成していたわけではなかったのです。 秋葉原の主客層は、 あくまで家族連れでした。 東京に住んだことがある方はおわかりになると思いますが、 石丸電気のテレビCM、 これに出てくるような若い夫婦が、 まだ幼い子供を引き連れて家電を買いに来るような、 そのような街だったのです。 ちょっと前のでんでんタウンもそうでした。

 お父さんの収入が上がるに従って、 例えば、 新しいテレビを買いに行く。 昔、 テレビを買うというと、 家族にとって、 ある種のイベント性がありました。 家族みんなで秋葉原まで行って、 新製品のテレビに見入って、 高揚感に浸りながら購入し、 満面の笑みをたたえながら帰っていく、 そういう街だったわけです。


パソコンのまちへ

 
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ラオックス ザ・コンピューター館(1990) 石丸電気パソコンタワー
 
 ところがバブルが崩壊する頃になって、 家電の価格が下落し、 同時に家電が帯びていた、 生活を向上させる“神器”としてのオーラが喪われていったのです。 60年代には月に人類が行くようになり、 科学技術が人類のフロンティアを宇宙まで広げていくと同時に、 われわれの生活も大きく向上させていくだろうというビジョンがありました。 そのような未来像が、 だんだん色あせてしまった。 時を同じくして、 例えばコジマ電気のような郊外型の家電チェーン店がたくさんでき、 またヨドバシのようなカメラ系の量販店が台頭してきました。 そういったところに、 秋葉原は家族連れの客層を奪われていきました。 もともと秋葉原は全国の家電市場の一割を一平方キロメートルに満たない地域で担うという異常な場所だったのですが、 その家電需要を郊外に奪われてしまうことで、 窮地に立たされることになります。

 そこで秋葉原の主要な家電店は、 90年代始めあたりに、 家電からパソコンへと、 主力商品をシフトさせます。 シフトせざるを得なくなった、 と言った方が正確でしょうか。 写真のような大型のパソコン専門店が、 秋葉原に建てられていったわけです。 パソコンというと、 今でこそ家電と同じような感覚で買われていますが、 90年頃というと、 インターネットもなければ、 ウィンドウズもありません。 MS-DOSといって、 パソコンを扱おうとすると、 真っ黒な画面に英語の呪文のようなコマンドを打ち込んで操作するしかありませんでした。 そのような頃からパソコンを使っていた人というのは、 まさに専門の技術者か、 もしくは趣味として、 性格的にパソコンを愛好するような人たちでした。

 その当時はさすがに郊外の量販店はパソコンなどは扱っていなかったので、 パソコンを買いにくるような「性格」の人たちが秋葉原に残り、 また同様な人たちが郊外からも集まってくるようになりました。 それまでは小さなマイコンショップしかなかったのが、 だんだんパソコンの大型店が展開されるようになり、 マック館、 DOS/V館、 ネットワーク館という風に、 どんどん専門分化させていきながら、 秋葉原は家電のまちから、 パソコンのまちへと変貌していったわけです。 それにともなって秋葉原を訪れる客層が、 先ほど申しましたように、 がらりと変化することになります。


客層の変化

 この当時からパソコンを使っていた人というと、 年齢層的・性別的に20代の男性へと絞り込まれてきます。 しかし、 では当時の若い男性ならみんなパソコンを使っていたかというと、 そんなことは全然ありませんでした。 若い男性の中でも、 特にパソコンを趣味として愛好するような「性格」の人たちに偏ったわけです。

 都市空間というのは、 いろんな趣味の人、 いろんな階層の人、 いろんな年齢層の人が混じり合っている空間で、 それが「公共性」の前提の一つであるわけです。 ところがここでは、 同じような趣味の、 同じような性格の人が、 地理的規模で凝集するという、 都市空間、 あるいは公共空間の常識を越えるようなことが起こったわけです。

 

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秋葉原の客層(現在) 秋葉原の客層(1973年)
 
 秋葉原へ行くと、 左の写真のような太った男の人たちがいっぱいいて、 なんとなくファッションもあか抜けない。 この写真は、 意図的にそのような人たちばかりを集めて撮ったわけでなくて、 中央通りでデジカメを構えて撮るとこういう写真が撮れるという、 そのような場所に秋葉原がなっているわけです。

 昔は右の写真のような風景でした。 若い家族連れが歩いている、 普通の公共性が存在したまちだったのが、 今や大きな変化が起こっているわけです。


なぜ変化は起こったのか

 ではなぜ、 そのような変化が起こったのか。 最初は私も、 誰かが秋葉原をオタクの街として開発しようとして、 オタク系の店を多く誘致してきてたのではないかと、 一応は疑ってみたわけです。 そこで旧来からの電器店や、 新しく入ってきたオタク系の店を取材したんですが、 そんな黒幕なんかいないよと、 誰もが言うわけです。

 そもそもパソコンを愛好するような人たちというのは、 同時にアニメや漫画やテレビゲームなどを愛好する傾向があった。 だからパソコンを愛好する人たちが秋葉原に凝集することによって、 そこにオタク系専門店など当初は全然なかったにも関わらず、 需要だけが自然発生的にそこに集中するということが起こったわけなのです。

 しかし秋葉原というのは、 山手線の、 しかも総武線がクロスするターミナル駅ですから、 地価が高く、 いかに需要が集中していそうな雰囲気になったとはいえ、 同業の店など全くないのに、 オタク系の専門店がいきなり進出するというのはのは、 店にとって、 決心が難しかったわけです。 しかし97年になって、 「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメが社会現象になるくらいのブームになった結果、 そういったオタク系の専門店が経済的に潤い、 勢いもつけたわけです。

 オタク系の商売は、 店主もたいがいオタクな人たちがやっているわけですから、 同類の人たちが秋葉原に集中していることは、 実はみんなわかっていた。 次に進出するとならば秋葉原だとにらんでいたところへ、 エヴァンゲリオン・ブームが後押しをして、 それでも最初はおそるおそる秋葉原に進出してみたところ、 営業もろくにしないのに、 渋谷や吉祥寺の店に比べて、 とにかく飛ぶように商品が売れたわけです。 それを見て、 固唾をのんで見守っていた他の店もこぞって秋葉原に進出するということが起こった結果、 あたかも地上げか強制的な開発でも行われたかのような急激さと規模でもって、 秋葉原の家電店がどんどんオタク系の店に入れ替わるという変化がおこったわけです。

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