◆このテーマの前提
1 都心のまちづくりが必要だ、欲しいという目的意識がある…街は要るのか?
2 都心のまちづくりには積極的な担い手が存在する…何に対して積極的な担い手?
◆街を形成してきた要因とメカニズム
1 歩行が交通手段
2 住んで、店を持つ
3 家業型の商業
4 政治権力も統治の象徴として、行政、文化、福祉施設を集中
5 街は新しい情報の媒体
6 共通の氏神、寺社を持ち、祭りを持つ
7 その結果、地域社会の共同体が発生
◆これら全ての要因が変わってしまった
 だから、街が存続するはずがない。共同体が生き残れるはずがない。とすると、本当に街は要るのか?
◆都心の街づくりの凝集力の根拠を何に求めるのか…何のために街をつくるのか、どういう理由で、誰がそれを望んでいるのか?
1 自宅以外の居場所。目的なしに訪れ、時間を過ごし、楽に過ごせる居場所としての街。
2 子供と高齢者にとっては不可欠な空間
3 社交を通じての文化の伝承の場所が必要
4 直接対面性の無い人間関係依存からの脱却の必要性
5 多面的な人間関係の維持の上でも、接触の場所の集約が便利

 そのような凝集力が現象する場の空間デザインとはどんなものか。
◆多面的な性格を持つ「担い手」の意志がどう糾合できるのか。
1 住んで営業し、働き手も近くに住む家業型の街は既に無い。居住環境への要求、商売上の要求、家屋敷の不動産経営者としての要求という全く異なった、場合によっては相矛盾する要求者の群れに転化している。居住せず、後継者もいない商店主が家屋敷の不動産経営者になるとき、彼らを直ちに街づくりの担い手と言えるのか?
2 家屋敷を空き地(駐車場を含む)、空き家のまま放置することが、生活設計上安全で有利だというときも、家屋敷の持ち主は街づくりの担い手と言えるのか?
3 外部資本が、利潤を求めて不動産に投資をし、街で営業するとき、外部資本は「街づくり」に参加しているのか。資本の目的は不動産事業あるいは営業の展開であって、そこに居続け「街の」維持、再生に犠牲を厭わないということは原則としありえない。
しかし、内部資本を含め、市場は常に時間限定的な投資しか許さないのではないか。用途や事業内容が変わっても空間は持続するという仕組みは存在しうるのか。
4 街に施設を置くことの象徴的な意味を失った自治体が、街の凝集力を削ぐ方向で施設の郊外移転を行うとき、自治体は街づくりの担い手なのか。

担い手を整理し、街の再生に寄与するかどうかの尺度で選別し、コントロールすることが不可避ではないか。
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基調講演
都心のまちづくり、その担い手
都市プランナー 蓑原 敬
蓑原 敬(みのはら けい)
1933年東京生まれ福岡育ち。東京大学教養学部で地域研究(アメリカ)、日本大学で建築を学ぶ。ペンシルバニア大学大学院に留学、アメリカの都市計画にふれる。建設省、茨城県で都市計画と住宅行政の政策立案と実施の現場を経験。現在、蓑原計画事務所所長。著書:『街づくりの変革』『街は要る』(共著)『都市計画の挑戦』(共著)『成熟のための都市再生』(以上、学芸出版社)など。

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