◆まちの持続は場所の力
日本の多くの都市は城下町を起源とする。そのまちなかは、人が住み、働き、遊ぶ場であり、多様な用途が混在していた。そうした歴史的都心に重なるように近代の都心が形成されていく。そのなかで、人が住まなくなっていった。人が住まなくなったので、まちの担い手がなくなったのだろうか。住民がいないので、今、流行の住民主体のまちづくりができないというのだろうか。
商都大坂では、商売における競合と共存、その富が支える文化とその新たな創造、町内式目による自主管理のしくみなどが、大坂の場所の力(文化)をつくっていた。近代以降に比べれば、変化のスピードはゆるやかではあったが、常に変化するまちの人と営みを繋ぐ力があった。
場所の力は、それをつくり続ける人によって持続する。歴史的にみて、その担い手が「住民」というのは、最近のことである。かつて「住民」は全て事業者や職人であり、また、戦前までは、長屋から邸宅まで、多くは借家であった。京都の都心でも、商売がうまくいかなくなると、中心から離れ、良くなると復帰する。だからといって、そのたびに町家が建て替えられるわけではない。土地や町家の売買は、商売の盛衰を反映するとともに、その町への帰属と一体であった。
◆今なぜ担い手が問題になるのか
場所とそこでの多様な活動との関係が希薄になってきている。場所が、選ばれる対象、消費される対象になっている。都心で、土地を売ろうとする人(事業者)、土地を買おうとする人(事業者)はいても、その場所を売ろうとする人、その場所の文化を買おうとする人は少ない。たとえあったとしても、その場所に手を加え、新たな力(文化)に繋いでいくように、場所を使う人はすくないのではないだろうか。
現在、大阪の歴史的都心で「開発」と称されている行為の多くは、場所が力を失っているために、「物件」と称
される商品でしかない。「物件」は増えても、場所は、ただ消費されていくだけに終わる可能性が高い。例えば、都心の分譲マンション事業はその典型だ。
そのような状況において、場所の情報力、場所の力(文化)の持続可能な創造の必要が意識されて、「担い手」が問題になっているのだろうか。
◆場所への関心から
大阪の都心では、住宅地の住民のように長くその場所に関わり続けることから、その場所の快適さや元気に関心をもつ主体は少ない。しかし本来、事業者や店をする人は、その事業所や店のある場所に関心があるはずであり、場所のステイタスを求めるならば、自らもその評価の対象となる自覚が必要である。また、自治体(大阪市)は、都市経営的観点から、都市整備の方針を施策として示すべき立場であるが、成長期のように開発促進とその制御をしていればよい時代ではなく、地域自治と都市政策の調整や個々の「開発」について地域政策からの評価を、個別の経済合理性だけでするべきでない状況に、全く対応できていない。
このような状況で、都市にあるいろいろな動きをみると、場所の物的条件(土地や建物)に関わる意思決定権をもつ、そこで事業を行ううえで場所の条件が利害に関わる、長時間その場所を生活の場とする、場所の歴史や文化を守りたい、場所の文化を発信しつつ新たなまちをプロデュースしたい、デベロッパーとしての関心など、多様な立場からの活動がある。
所有者や事業者といっても、個々の経済的、社会的条件などによって、現状の評価や将来に対する考え方は様々であり、必ずしも場所の価値への期待やそのための取り組みを共有できないのが現実であろう。それ以外の活動は、関心は共有されているが、その関心にもとづく活動を行うことへの満足をこえて、場所への具体的働きかけが見えないところも多い。場所を思う多くの活動と
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フォーラム委員会より
生き続ける都心:場所の力と場所の主
大阪大学 小浦久子
小浦久子(こうら ひさこ)
大阪大学大学院工学研究科助教授。大阪生まれ。1981年大阪大学人間科学部卒業。民間コンサルタント会社勤務等を経て、1998年から現職。工学博士・技術士(都市及び地方計画)。著書に『職住共存の都心再生』(共著、学芸出版社)、『住環境 評価方法と理論』(共著、東京大学出版会)など。