・名称:
(財)保存会・鯉山友の会
・地区:京都都心部・鯉山町
・概要:京都・祇園祭の山鉾町における従来の町民とマンション住民による祇園祭の実行団体
京都都心部・山鉾町の変化
既成市街地における、地元住民とマンションに住む新住民のコミュニティ問題、といっても、京都の山鉾町では他の地域とはまた別の意味がある。
京都市中京区の鯉山町は、祇園祭の鯉山を持つ山鉾町である。その位置する室町通は、昔から京都の繊維関連商業の中心であり、京都では最も豊かと言われる通りであった。鯉山町においても、呉服等の商いを営む経営者はこの地に暮らし、従業員も住み込みが多く、町民であると同時に、祇園祭の担い手であった。事業が拡大すると、この町には会社だけを残し、郊外に居住地を求める経営者が多くなった。丁稚奉公、住み込みという就労形態は減り、通いで働きに来る従業員ばかりになった。それでも経営者は従業員を祇園祭の手伝いに出してくれた。しかし、徐々に休みを返上して手伝う従業員は減少した。祭の人手はどんどん足りなくなった。
最も人手が要るのは、夜店と鉾が立ち並ぶ3日間のの当番である。お守りや扇子などの物販だけではない。夜に出るゴミを早朝には掃除しなければならない。当番は朝6時から夜中24時まで決めるが、町席に泊り込むので、実質は24時間体制である。3日続くとかなりの重労働となる。
バブルが崩壊し、地価が下がると、京都のまちなかはマンション建設ラッシュとなる。その時期、鯉山町に住む世帯は6軒、あとは企業や店の数少ない従業員が祇園祭の担い手となっていた。企業や店子も含め、祭を担う
(財)鯉山保存会(以下保存会)の会員は、町民約30軒。そこに135戸のマンション建設が決定した。
町民が話し合い、考え抜いた組織の設立
マンションの売主は、当時の現職の保存会の会長であった。その人物の信望もあり、マンション建設に対する反対は、町内では全くなかった。
圧倒的に戸数の多いマンション住民をどのように受け入れるのかという問題は、マンションも含めたコミュニティ再編という意味よりは、町民にとって、祇園祭の今後の担い手の確保という視点からも検討すべき課題であった。しかし、どんな住民がやってくるのか、全くわからない。そんな不安と期待の中で今後の体制についての検討が進められた。
マンション住民に(保存会に対する入会金のようなもの)を支払ってもらい、保存会に入ってもらうのは、関心のない人には無理だろう。また、135戸と30軒というバランスの中で、多数決の意思決定というのも避けたい。当初は、町内会も別、保存会にも一切関わってもらわない、という案もあったという。
同時に、祇園祭を担っていくのは、居住する6軒だけでは難しく、手伝ってくれる店の従業員も減っているという現状は、はっきりと認識されていた。やはり住んでいる人が中心でないとダメだ、門戸を広げましょう、という意見も出された。135戸の中には祭の好きな人もい