るだろう。そんな人を引っ張り込んだ方が、今後のためには良い。最終的には、マンション住民に協力をお願いすることが決まった。
 鯉山友の会(以下友の会)のアイデアは、実はマンション建設が決まる3年ほど前に、全国レベルでの展開をめざして発案されたものだった。祭に来てくれた人に対し、ノートに住所を書いてもらい、情報を発信し、必要な時に寄付や手伝いを募るというものである。しかし、そのための事務局の立ち上げなどの課題があり、アイデアは立ち消えとなっていた。その時に作成した友の会会則をマンション住民の友の会入会希望者に、そのまま適用することになった。会則には、友の会を保存会の下部組織とし、友の会会員は保存会役員の指示のもとに祭行事に参加できることや、会費などが定められている。

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images/2626_33163294_0_0.gif 新旧住民で支える祇園祭
 平成10年2月、マンションへの入居が始まった。初年度の友の会への入会は37名。その中には、町民が待っていた熱意のある祭の担い手も存在した。町席当番は、マンション住民からの希望者が年々増えた。格段に人数が増え、入れ代り立ち代りの当番が可能となり、個人にかかる負担が減った。巡行のお供を希望する人、もっと深く祭に関わろうとする人もあった。鯉山町の従来の町民と、マンション住民から選出された友の会事務局を中心とした活動は、広く知られるようになり、一部のマスコミにも取り上げられた。
 平成14年、2名のマンション住民の保存会入会が承認された。平成15年には、マンションからさらに1名が保存会に入会した。平成12年には広報誌「鯉山友の会」が創刊され、平成16年中に10号までが発行された。
images/2626_33163522_0_0.gif 町内会の活動の活性化
 一方で、マンション住民を含む町内会も活性化した。「鯉山町をみどり豊かな街にしませんか」をキャッチフレーズに、鯉山町園芸クラブが平成12年11月に発足した。発足式には従来の町民から3名が、マンション住民から4名が参加した。その後町内の各所に草花を植えたプランターが置かれるようになった。平成13年11月には鯉
山ホームページクラブ(http://www.koiyama.com/)が発足した。ここでは祇園祭と鯉山の町衆が紹介されている。さらに平成14年7月には鯉山町茶道クラブが発足し、未経験者も気軽に茶道を楽しむ会が定期的に開催されている。いずれのクラブも、従来の町民とマンションの住民が入り混じり、活動が展開されている。そして、平成14年11月に、町内会の広報紙「鯉山町町席だより」が創刊され、現在までに15号が発行されている。
images/2626_33163674_0_0.gif 今後の鯉山友の会の行方
 平成17年、マンション住民の多くは、町民となって8回目の祇園祭を迎えた。友の会会員は、現在50名ほどである。この年、友の会の活動は節目を迎えた。
 5月、全国レベルでの展開をめざし作成された友の会会則は、マンション住民を対象としたものに改定された。同時に、マンション建設以前から、保存会と町内会の二本立てとなっていた組織だが、鯉山保存会発行・鯉山町発刊の「鯉山町衆かわら版」の創刊に至り、二つの組織は限りなく一体的に祇園祭の活動を展開することとなった。そのことにより、祇園祭に関するマンション住民への情報は、友の会を通さずに、直接保存会・町内会から発信されることになった。一応友の会会員に限定されていた祇園祭のお手伝いも、町民であれば誰でも参加が可能となった。その結果、お手伝いの希望はさらに増え、祇園祭と関わりをもつマンション住民が増えた。会員は、毎年1000円のお供えをすることと、チマキの配布に与ることで他のマンション住民と区別されるのみである。
 30軒の町民のまちに、135戸の住民がやってきた。その時の緩衝材として機能した友の会は、第一の目的を果たし、その意義・方向性がやや曖昧になりつつある。今後は、友の会に入会してはいないが、様々な町内の活動や祇園祭のお手伝いに参加するマンション住民の意見も取り上げ、その行方が検討されるだろう。それが可能となる土壌が育まれたことも、友の会発足の大きな成果とえるだろう。平成17年の山鉾巡行出発前の町衆記念写真には、172名の町衆の笑顔が収まっている。(本原稿は、鯉山町のK氏・T氏のお話を元に執筆しました。)
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