・名称:京都府建築士会
・地区:京都都心部・三条通(寺町〜烏丸間)
・組織:会員数2100人。中心は同会のまちづくり委員会
委員数12人(委員会設立95年)
◆始まりは平安建都1200年
1993年2月、平安建都1200年に向けた京都府建築士会のプロジェクトとして、旧東海道の終着点であり、旧日本銀行、旧中京郵便局など歴史資産が残る三条通のまちづくりに取り組むことになった。この時の主体は青年部。まちづくりに興味を持っていた8人が中心だ。
特に地元に繋がりがあるわけでもなく、実績もなく、市の景観課や地元をひたすら回ったという。そしてまちづくり懇談会の準備会を開催。来てくれた地元の人は三人。「あんたら建築の仕事でもしたいんか?」という目でみる人もいたという。それでもめげずに93年11月にはアンケートを実施。126通の回答を得ることが出来た。
アンケートでは三条通りに職場のある人や、近所に住んでいる人が多いこと、三条通りの将来について古くて新しい街だといった意識を持つ人が多いことが分かった。
94年3月、地元とともにまちづくり懇談会の開催に漕ぎ着ける。同時に意識の共有化をはかるための話し合いや勉強会を呼びかけ、ミニ新聞の発行も始める。この時は町内会長さんに広報をお願いできるようになっていた。その力に改めて感心したという。
94年10月には目標だった建都イベントとしてまちづくり提案会を実施。「三条通界隈ルネサンス」と銘打ち修景による活性化を提案した。この時は、修景パネルの展示、歩車共存の手法の提案、森谷剋久さんを講師に迎えてのフォーラムなどを実施。また通り沿いの空きスペースを仮設緑化し社会実験の先鞭を付けた。文化博物館そばの木は最近まで残っていたという。
その後、まちなみデザイン推進事業の補助金を出したいとの行政の意向もあり、建築士会と7町内会が協働で、まちづくりを考え、行政支援の受け皿となる組織づくりに取り組むことになった。
◆京の三条まちづくり協議会と歩車共存道路の実現
1995年6月、7町内会による京の三条まちづくり協議会が発足した。行政支援を受けて神戸北野、長浜の見学会や講演会、シンポジウムなどが行なわれた。ここで建築士会は協議会通信の編集に携わり、協議会活動を下支えすると共に、継続的なサポーターとして信頼を得ていったという。歩車共存道路の検討にも積極的に協力し、京都市道路課、警察、関電、NTT、有線等との話し合いをサポートした。
ただし実際に歩車共存道路の工事が開始できたのは98年。電柱を新たに建てる場所など詳細について合意を得るための地元の話し合いに時間がかかった。中心と
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まちづくり支援組織
京都三条通のまちづくりに取り組む『京都府建築士会』
学芸出版社 前田裕資
図1 三条通エリア図
図2 三条通の景観(手前が旧日本銀行・現京都文化博物館)