なった地元の人たちの苦労は並大抵のものではなかった。
 97年からは協議会がお神輿祭りを毎年開催。98年には建築士会が建築士会連合会のまちづくり地域貢献活動補助金45万円を得て、地域を知るために町内の古老のお話しを聞き取りしてむかしマップをまとめたり、地域の人がお店を訪ねて地域の人のお話しを聞くぶらりウォークに取り組んでいる。
 2001年、念願の歩車共存道路が竣工した。歩行者優先という雰囲気を自然に醸し出せるデザインとなった。歩行者専用化こそできなかったが大きな成功をおさめ、三条通りは目にみえて歩行者が増え、その舗装も全国から注目された。
 しかし、協議会も気が抜けて活動がにぶり、建築士会も平安建都1200年からの取り組みに一区切りがついた感じがあったという。
◆次の一歩
 2000年には京都市と協議会が協働で「京の三条アートフェスティバル」を開催。一時的に歩行者天国とした通りでダンス、大道芸、街角コンサート、似顔絵書きなどを実施した。また2004年には三条通りのファンによるまちづくり勝手連「楽洛まちぶら会」(後出)が「あかりプロジェクト」を行なっている。
 この間、建築士会は三条通りから遠ざかっていたが、2005年7月に京都文化博物館の一部屋を借り、「京の三条まちづくりカフェ」と銘打った交流の場を発足させた。これは2003年からNPO京都コミュニティ放送三条ラジオカフェで、『きょうと・人・まち・であいもん』という番組に取り組んできた成果、とりわけ番組に出演してくれた100人にものぼる人たちのネットワークを、スタジオのある三条通りで実際のまちづくりに生かそうとの狙いである。
 この取り組みは始まったばかりだが、歩車共存道路実
現の過程で培った地元との信頼関係を生かし、ビジターやファンを巻き込んだプラットフォームを作り上げられるのか、期待される。
◆なぜ建築士会が?
 もともとの動機は「社会貢献」だと見える。建都1200年という行政主体の大きなイベントに協力するのは士会としては当然のことだった。それがイベントに留まらず歩車共存道路の完成まで、一定の役割を果したことは特筆に価する。
 しかし、その後もなぜ三条に関わるのだろうか。三条通りは地元の努力、レトロブーム、そして近傍にできた新風館が若者の人気スポットになったことから、活性化の目処が見えてきた地域である。社会貢献というなら、もっと困っている地域に入るべきではないのだろうか。この点について中心メンバーの一人である山本氏は「人気が出てきたといっても安心できない。商業資本の狩場になってしまうかもしれない。地域のマネジメントを行なう主体の再構築がどうしても必要。その第一歩がカフェだ」と言う。
 ただ建築士は建築のプロである。だから、建築の質を上げるということで、まちづくりに貢献して欲しい。そういった方向への展望が見えているのだろうか。
 それに対し山本氏は「建建築士は人をつなぐ専門家、住宅の設計も家族の関係をつむぎ直すような仕事だ」。「だから地域の人を繋ぐ仕事も建築士ならではの取り組みだ」という。
 だが、そういった人繋ぎは士会のなかでも理解されにくく、地元の人達も目標がないと燃えにくい。近い将来、「景観」といった具体的な目標が必要になるかもしれないとのことだった。士会という大きな団体が10年以上の長い取り組みを経て、さらに先の見えない航海を始めている。(※本稿のまちづくりの経過は「京都府建築士会と京の三条まちづくり協議会のあゆみ」(京都府建築士会まちづくり委員会山本晶三氏作成)に基づいています。)
52
表1 年表
93年2月
平安建都1200年に向けた取り組みがスタート
士会
93年11月
地元アンケート実施
士会呼びかけ
94年3月
まちづくり懇談会開催
士会+7町内会
94年10月
建都イベントまちづくり提案会
士会
協議会設立へ向けた動き
士会+7町内会
95年6月
京の三条まちづくり協議会発足
7町内会
歩車共存道路の検討スタート
協議会+士会
96年〜
お神輿祭り
協議会
96年〜
むかしマップ
協議会+士会
96年〜
ぶらりウォーク(継続中)
協議会+士会
98年〜
歩車共存道路工事開始
行政予算
00年
京の三条アートフェスティバル
京都市+協議会
00年〜
まちなかを歩く日(継続中、三条文化博物館前が当日の情報拠点となる)
歩いて暮らせるまちづくり推進会議
01年
歩車共存道路竣工
行政予算
04年〜
あかりプロジェクト
楽洛まちぶら会
05年〜
まちづくりカフェ
士会
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