・名称:太閤路地プロジェクト実行委員会
・地区:大阪の歴史的中心市街地である船場地区
・組織:地権者、建築士、学識者など8名
・設立:2003年4月
太閤下水のある路地裏に着目
豊臣秀吉の大阪城築城に伴って整備された都市インフラである背割下水は、その由来から「太閤下水」と呼ばれている。この太閤下水が今も大阪市内中心部の地下に息づいており、現存する国内最古の下水道と言われる。 この太閤下水の上は明治時代にふたがされて、今はビルの裏のわずかな隙間となっている場合が多く、その名残りをとどめる場所が少なくなっているが、一部に人が歩ける狭い路地となっているところがある。この背割下水が流れる路地に光をあて、「太閤路地」と名付けて、地域活性化の起爆剤にすべく活動しているのが「太閤路地プロジェクト」である。
従来のビルの考え方では、この狭くて暗い路地は裏空間でしかなく、通用口やゴミ置き場、自転車置き場などにしか利用されてこなかった。しかし、車のあふれる表通りより、むしろこうした人間的なスケールの路地の方が演出次第では表とは違った味わい深い空間にできる可能性がある。さらに路地の下に太閤時代の歴史的遺産が埋まっているとなれば、市民の関心を集めることも期待できる。
歴史的路地空間の活用をめざす
2003年6月に実行委員会が主催したシンポジウム「船場発 太閤路地からのメッセージ」は、この船場固有の歴史資産をPRするきっかけとなった。
シンポジウムでは、路地を掘り返してきれいな水を流して親水公園にしたり、路地にのぞき窓を設けて下水内部をライトアップしたりといった仕掛けとともに、路地に面して店舗を整備するなど、太閤下水を活用するさまざまなアイデアが提案された。
実際の路地の整備も行われている。堺筋本町駅近くの路地では、路地に面した部屋に直接出入りできる入口を設け、植栽やミニギャラリーなども備えたところ、直ち
にジャズライブハウスなどが入居したという。この路地では、より多くの人たちにこの空間の由来を知ってもらおうと「太閤路地」と記した銘板も設置されている。
伝統芸能イベントなど上方文化の発信
2003年秋には「丹波を食い尽くす会」が開催された。蔵屋敷があった大阪、しいては船場に地方の産物や情報が集まっていたことの復活でもある。
2004年秋からは「太閤路地」に面するビルの最上階の座敷で狂言や上方舞などの上方芸能イベントを定期的に行っている。座敷での鑑賞は往年の船場の雰囲気を感じさせ、路地からの船場文化の発信が取り組まれている。