同様のことが下北沢にもあります。
下北沢は京王井の頭線と小田急小田原線の交差する場所に位置する東京郊外の一拠点です。耕地整理が多少実施されましたが、大部分の道路パターンは以前のままです。小劇場やライブハウスなどの文化施設が多く、若者向けの店や安くておいしい店なども多くあるため、全国から東京にくる人達の通過儀礼をするような場所、東京の中での一種のオフ・ブロードウェイになっています。私は、大学は駒場に通っていたため、頻繁に下北沢を利用していました。また、現在も、小田急沿線の下北沢から少し離れたところに住んでおり、居場所として楽しいため頻繁に訪れています。
しかし、世田谷区や東京都からすると、下北沢は道路パターンが悪く防災上危険であり、土地利用を高度化できない構造になっているため、良くない地域とされています。世田谷区では、渋谷、新宿の次のランクに属する地域として、三軒茶屋、用賀、下北沢の三つを指定しています。三軒茶屋と用賀には1棟ずつ超高層建築が建てられており、下北沢にも建てたいと考えられているようです。
これまでは、参加や文化に配慮する大地主の区長が、都市デザイン室を設け、乱暴なことをさせませんでした。しかし、区長が変わり、地主が勢いをもちだしました。小田急線の高架化をめぐる裁判を契機として、下北沢周辺では小田急線の地下化の事業が始まりました。また、補助金の関係でそれに合わせて、真ん中に防災広場をもつ幅員27mの補助54号道路が下北沢駅前だけにつくられます。しかし、この道路は下北沢以外の場所に繋がることは全く考えられていません。地下化事業に関連して始まってしまったのです。そして、このような道路体系に合わせた地区計画をつくろうというインフォメーションが出されたため、地元が一斉に反発し始めました。
私は著書『街は要る!―中心市街地活性化とは何か』で、下北沢について混沌としたユートピアであるということを書きました。下北沢は混沌としているように見えますが、実はその中で不燃化が進んでおり、今や危険なまちではありません。建物が不燃化されていれば、危険性は激減します。その上でこれまでの家業型の人や、新しく入ってくる人が途絶えることなく、自立的に更新しているため、下北沢は良いまちなのです。
私はやめるように要望書を提出しました。これだけでは効果があまりありませんので、東京大学や慶応大学などの先生の反対署名を集め、区長と都市計画審議会の会長に提出しました。これまでは区の地区計画の原案を都市計画審議会で議論する慣例はありませんでしたが、我々がそのような上申書を提出したため、都市計画審議会が開かれました。
我々は傍聴人として出席し、担当者がどのような論理で道路の必要性を説明するかを聞きました。区の担当者の説明は、一貫して「地権者の意見を聞いて、何十年もかかって、ようやくその意見を実現できる段階になったから、実施するのだ。したがって、地元の人が心から望んでいることだ」というものでした。そのような説明しかできないのです。そのような説明に対し、地元の人達は、「冗談ではない。我々はそのようなことをちゃんと聞いていない。真面目な反対提案をしているが全て無視されている。それを我々がやりたいからやるとはどういうことだ」と怒りました。
下北沢の真中に事務所を開いている明治大学の小林正美さんは、憤慨して先頭をきって反対運動をしています。このように、道路にひっかかる大地主と道路にすると儲かる資本や事業者、それに区長がくっつくという構造の中で動いているのです。
では、いったい下北沢のまちの善し悪しは誰が決めるのでしょうか。私はユートピアで良いと思っていますが、そのように思っていない人もたくさんいると思います。ハーバード大学のピーター・ロー氏が、学生を連れて下北沢に来て感動しておられました。21世紀型の価値観として良いと感じるのだろうと思いますが、日本の社会の中では全く考慮されていません。
また、まちの善し悪しや方向性は、誰が、どのような形で、どの範囲の人の意見を対象として決めていけば良いのか、どこを攻めていけば変わっていくのかが分からない状況です。
日本社会はばかげた幕藩体制をとっています。建設省に入ると、建築上級職の藩に入ることになるのです。そうすると、その中で人事が行われ、卒業後の面倒まで全てみてくれるという構造になっています。それが、土木藩、道路藩、河川藩、公園藩、下水道藩などいくつもあり、全て縦割り組織となっているのです。このような状況で近代都市計画ができるわけがありません。近代都市計画はそのような枠を越えてまちをどうするかなのです。私は、そのような幕藩体制はやめて、余計な肩書きをはずそうと言いながら仕事を続けてきたつもりです。また、土木屋の良識ある人もおかしいと思っているのです。しかし、結局、幕藩体制が根付いているため、異議を唱えることができないのです。
下北沢の事例
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