わたしと街の関わり方IAO竹田設計企画部部長 森山秀二 |
それではその使い手であり、もっと先を提案していくということも含めて、森山さんお話をお願いします。
株式会社IAO竹田設計の森山と申します。よろしくお願いします。私はお二人とは違って仕事での立場というよりも市民の立場で呼ばれたのだろうと感じております。市民の立場というと、ある意味では無責任さを感じられる部分もあるかもしれませんが、私としては逆に住んでいくうえでの市民としての責任もあるのではないかと考えておりますので、そのあたりのことをお話しできればと思います。
具体的な活動の前にスタンスについてお話したいと思います。
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私の活動とまちの関わり方 |
仕事に一番近いところでは、例えば「生野南部のまちづくり」や「堺大小路界隈夢倶楽部」等がそれにあたり、これらは本来の業務に近いところで、都市計画コンサル的にまちづくりをサポートしています。
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スプレムータ |
またスプレムータといいまして、公開空地において仮設の店舗を利用した賑わい創出とその魅力を発信する社会実験を行いました。さらに「なかせんばブランディング」と名づけ、大阪には多くの魅力があるのに、うまく伝えきれていないのではないかということで、実際にブランディングを実地検証してみようということで行いました。
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その次はもう少し私的な活動になりますが、大阪にはあまり良い絵葉書がないのではないか、道頓堀のグリコの看板や大阪城以外にもいいところはもっとあるのではないかということで、自分たちのなかで絵葉書をつくり「ええはがき」とよんで、展覧会を行ったりギャラリーをもったりといった活動をしています。
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三休橋筋のプロムナード構想提案 |
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さらに私的な動きに近づいてきますけれども、桜の季節に桜ノ宮で自分たちでつくったいかだの上で花見をしました。普段はブルーシートを並べて花見が行われているのですが、大阪は水都です。川の上でゆったりと花を愛でる、これは本当に小さなアクションですが、私にとっては一番最初におこなった実験であるという意味では原点となった活動でした。
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大阪では厄年の人がぜんざいを地域に振舞う風習があると聞きまして、「それはなかなかええ話やないか」ということで、夏でしたのでぜんざいを氷しるこに変えて振舞うのとプラスして流しそうめんを家の中でやって、地域の人たちに振舞いました。その年に厄年だった人が幹事になっています。
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これは全くに個人的な活動になります。“kyomachibori base”と勝手に名前をつけていますが、空いていた賃貸オフィスを自分で勝手にコンバージョンして、今年の夏から住んでいます。これも都心居住の新たな形と、豊かな賃貸というのはあまりないじゃないかということで、自分が豊かな賃貸をつくりだしてお披露目してみようではないかと、試みたものです。
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こういったそれぞれの関わりは、私は『街づくり』という感覚ではなく、『街と関わっている』という感覚で動いています。
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私と街の関わり方 |
仕事にかなり近いところでは、住民活動をサポートするという形になっています。私のなかではこれらが全部市民として動いているという感覚がありまして、右のほうが住み手としての市民の責任の取り方、左のほうが仕事をする人間の、大阪で働く人間の仕事との関わりと言いますか、市民的な責任の取り方になるかと思います。言葉を変えるなら、右のほうが「住市民」、真ん中あたりが「働市民」、左のほうがコンサル的な「コン市民」というような関わりなのかなと考えております。
研究会には会本体とワーキンググループという二つの構成になっております。ワーキンググループは地域を決めて、その地域に対して提案をしています。ところがそれがなかなか実現しないということがあり、ある年度は『実現するということ』を前提にしたワーキングを実施することになりました。しかし研究会はイベント屋ではありませんので、ある年はエリアを決めて掘り下げ、ある年は提案を実践していくといった形で、活動を続けています。
このなかの私が担当しておりました水上カフェについてご説明したいと思います。今は水上カフェが、中之島でも時折行われるようになりましたが、その魁となった「リバーカフェ」という試みです。
まず最初に大阪の水辺の現状を調べることから始めました。そしてそのなかでもっとこうなったらいいのにといった水辺の提案を整理しました。さらに、そのなかから実際にやりたいことを一つ絞っていこうということで、川の上に浮かぶカフェ空間を提案したわけです。大阪の水辺で心から快適だと思える空間はあまりないのではないかと常々感じておりましたので、本当に気持ちの良い空間を表現してみたいと思いました。その次に障壁になっている制度や条件を一つずつ解きほぐしていきました。実現しなかったら実現しなかったで仕方がないだろうとは思いましたが、まずやれるところまでひたすらやってみようという思いでした。
二番目としてお金はどうするのか。我々は任意団体ですし、申請した補助金もつかなかったので、資金的な問題はおおきくのしかかりました。
さらに技術的には、きちんとした係留施設が準備されていない場所に船を係留するということは、かなりの難関でした。
最終的にはそれらのハードルを地道にクリアしていったわけですが、その過程でそれぞれの許認可は大変なものでした。例えば河川については大阪府の河川管理者、公園については大阪市の公園管理者といったところと協議を重ねながら、かなりの資料を皆で手分けして提出し、なんとかこのプロジェクトが実現できたわけです。係留方式については、オリジナルのビットをつくるということで解決しましたし、陸からのアクセスはタラップを設ける等、一つずつなんとかしていったわけです。
事業費の捻出については補助金もなくスポンサーもありませんでしたので、基本的には売り上げで、まかなおうとしました。簡単にいえば一品一律500円の商品をそれぞれの原価を200円以内に抑えて売る、ということを積み重ねて、店をつくった初期投資をうめていこうとしたわけです。しかし利用客には社会実験かどうかは関係ありませんので、まわりのお店に商品自体が勝たなければなりません。川の上の気持ちよさが理解されて最終的には380万円くらいを売り上げて、かかった経費をすべてまかなうことができました。
まちづくりはボランティアでは続かないと思うし、提案や社会実験が子孫を残すためには、ちゃんと儲かるということも示したかった我々としては、満足のいく結果をこの部分でも残すことが出来ました。
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リバーカフェ |
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これからの河川空間の活用提案 |
提案活動については、特定の土地で利益を上げる提案をしていくというよりは、むしろ地域全体の魅力を向上するような提案を考えるということ。それからワーキンググループは、熱い思いと自主的な研究活動で成り立っているということが特徴として挙げられると思います。
また研究会のサスティナブルな体制として、昨今企業が研究会活動に対して消極的になっているなかで、企業側のメリットをきちんとこの研究会の中でつくっていくことで、活動が継続していると言えるかと思います。