大阪では色んな主体が繋がりつつあるという意見と、緊密すぎたり他者的な目だったりで上手く繋がっていかないという意見がありました。
そういった中で、実際にその人達が街の使い手にもなるわけです。澤田さんの場合なら「お客さん」といって良いかもしれませんが、そのお客さん・使い手の立場から見て大阪はどんな街なのでしょうか。
澤田:
私は「街」と言ったときにあえて「暮らす」という表現をしているんです。
勤務地というお話がありましたけれども、勤務地として考えられるのは街にとって痛いところです。ただ、勤務されてる方の中には、そこに愛着を持って「暮らしている」という意識でいる方もいらっしゃると思います。私がこの活動をしていて思うのは、潮目がすごく変わってきている、ということです。従来の勤務地は働くだけの場でしたが、我々があえて賑わいを創っていきますと、そのうち「自分たちの店」という感覚が芽生えてくるんです。そして、他のエリアで働いている友人を呼んできて、自分たちの街にはこういうものがあるんだよと何か蘊蓄を語ってみたりと、そういった何か「街を使いこなす楽しさ」というか、例えば「自分流・淀屋橋WESTの正しい使い方」みたいなものを持った方が少しは出てきているのかなと思います。そしてこれが、やはり地域に根ざした街であり店なのかなと思うんですね。
ですから、勤務地かどうかということではなくて、そこに暮らす人達が一人でも多く増えてくると面白いと思ってます。
今皆さんの話をお聞きしていて、やはり「暮らす」という表現の意味が、そこに居住地をおくだけではなく多様化していて、その中で新しい担い手が出てきているのかもしれないと感じたのですが、その辺りはいかがでしょうか。
蓑原:
まったくその通りだと思いますね。
このグローバリゼーションやIT文化の中で、一人一人の人間が解体されていくという側面と、もう一度自分に戻って、あるいは仲間と一緒になって、サークルを創り出したり、また別のネットワークを創ったりといった、二つの相反する動きが今出始めていると思います。そういう意味ではまさに、「暮らす」という概念が今までとは違う概念であるとして取り組まざるを得ない。
そうしますと、やはり官と民との関係もありますし、また官の中でも中央と地方との関係が決定的に変わりつつあって、そういう意味ではもう境界線がずっと変わってきていますから、ちょうど今、暮らしが多様化してきているのと同じように、そういった境界線の変動を見つめながら賢くまちづくりに取り組めば随分違う局面が出てくるのではないでしょうか。
例えばいま澤田さんや森山さんがやっておられる事は、町人サイドから官を巻き込んでしまう形で全体の公共性を創り出すといういうことだと思うのですが、実は、伝統的な市街地の中ではむしろそういったやり方の方が主でした。川越や長浜がそうですが、役所主導でも何でもなくて、やはり町人が頑張った結果ああいった構造ができたのです。
しかし今やパブリックがそれをサポートせざるを得ない構造になってしまった。まさに今それが一つの流れではないかと思っています。
それから、澤田さんが先ほど「大阪はそこまで行っていない」とおっしゃったけれども、僕は逆だと思うんですね。大阪はそういうつまらない段階を超えて、21世紀段階に入っていると考えた方がいい。
余計なバブルなどが来て大規模開発があるのが未来ではなく、未来というのはむしろ皆さんが追求しているような高い文化性、文化の連続性、あるいは生活の豊かさといったところにあるのであり、それは決して遅れているわけでも何でもなくて、かえって東京なんかより皆さんの方が豊かなことをやってるんじゃないかと僕は思います。
そういう意味でも今のペースを何とか上手く守れないかなと思うのですが、まあ難しいのは不動産経済というものがそれをなかなか許してくれないということなのです。
そこでですが、奈良平さんは旧運輸系官僚としては珍しくトータルな事にご関心があるようですので、一つだけこの機会にお願いしたいのですが(笑)、今後は道路予算の特定財源が一般財源化していくことは避けられないし、総合交通体系に向かって一斉に流れていくでしょう。そうすると、交通機関のつなぎ目をどうするかという問題が出てきます。そういう意味では今は街として楽しい場所とそうなっていない場所があって、これをどうやって街化するかという話でもあるんですね。それは大事な問題であるし、それをどうやってデザインするかということも大事であるのにもかかわらず、チャンスが生かされていません。
極端な例を挙げますと、横浜市はそれを猛烈に上手くやったわけです。東横線を中華街まで延ばしたときにきれいな駅をつくり、各駅へのアクセスも綺麗にしたために、今中華街は非常な勢いで集客力が伸びています。ところがその反面教師がつくばエクスプレスで、一兆円という投資をしながら、そういったトータルな整備を我々が一生懸命薦めたのにもかかわらず全然やらなかったために、貧しい鉄道と駅しかできていません。
このようなことは情けないのですが、奈良平さんには是非そういうことをお考え頂きたいと陳情しておきます。
奈良平:
道路予算については、私はコメントできる立場にはありませんが、一般財源化の議論になっており、正直に言って将来どういう議論になるのか予測できかねます。
また、横浜の例を挙げられましたが、それはまさに仰るとおりで、中之島新線もそうだと思っているのです。国が下物の整備をする主体にかなり補助しています。都市開発に鉄道をできるだけ有効利用したいというのがこの取り組みの元々の狙いだったわけですが、やはりソフトの部分もあわせて検討しなければ宝の持ち腐れになってしまいます。逆に言えば強力な武器に変貌する可能性もあるわけですので、そこは全く仰るとおりだと思います。
21世紀的なまちづくりのあり方
街に暮らすという視点
小浦:
暮らすということの意味の変化
小浦:
ポスト官僚社会主義
蓑原
今お話を伺っていて思いましたのは、一つは江戸時代以来ずっと守ってきたお上がいて町人がいてという社会関係が、戦後民主主義になったと言いながらも、構造的にはあまり変らないまま一種の官僚社会主義みたいな感じでずっと続いているということです。未だにそういう意識から抜けきれない中央官僚が大部分で、それがまずい構造になっているから、小泉さんというちょっと乱暴な人が滅茶苦茶な事をやっているのです。僕はあれは良いことをやっていると思っています。21世紀では、お上と町人との関係は成り立たない、日本でも絶対に変わるはずなんです。
駅とまちづくり
蓑原:
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ