都心のまちづくり その担い手
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

 

イメージの共有が大切か、それはイメージはハードルを高くするものか

 

見せることと同時にイメージも重要

蓑原

 今の「繋ぐ」という話については私も自分自身の体験から、まさに事実をもって、実際のプロジェクトをもって見せることが決定的に効くということは痛切に感じています。モノができてしまうと、みんなついてくるというのは絶対にあります。

 ただ、もう一つ大切なのは「イメージ」なんですね。日本のデザインの世界ではビジュアルに色んな事を伝えるという事が弱い面があります。例えばこんなことをしたらこうなるということをビジュアルに示す事がすごく下手なのです。どうもそこのところは少しいい加減で、近代主義的な建物がボコボコ並んで木が植わっていたら、それが未来のイメージだと受け取ってもらえるかのような安易なところがあると思います。

 そこでイメージの世界をもう少し豊かにして、ある意味で本当の将来ビジョンを沢山出すことによって、沢山の繋ぎ目ができて色んな意見が共有されたり、色々な対立する意見がまた別の方向に止揚されていったりするような、そういう可能性があると思うのです。ですから私は「都市デザイン」は今後重要な世界になってくると思います。一つ一つの場面でデザインできちんと未来を見せるという構造を創っていただきたいと思うわけです。


ビジョンは役立たない!?

小浦

 蓑原さんが仰った「ビジョンの共有化」に対して、皆さんの大阪での活動は一つ一つ事実を積み上げ、街に埋め込みながら「見せて共有化」する取り組みだと思うのです。

 今の大阪では、一つ一つの事実を積み上げていって、そこからから生まれてくるものの方がビジョンから生まれるケースよりも多いのでしょうか。

澤田

 おそらく両方どちらもあると思います。ただ今の大阪では、イメージの中にもリアリティが必要だとは感じます。すごく理想的な絵は確かにあると思うのですが、それに人が心動かされるかというと、なかなか難しい。いかにリアリティをイメージさせていくか、なかなかできていないという気はします。

蓑原

 その通りですね。今読んでる本の中にまさにそういうことが書いてありました。イメージというのは、現在の可能性と将来の可能性の橋を提供するものだと。その橋を沢山作って、皆さんにその橋を渡ってもらう事が、皆さんに確信を持ってもらうことだと。まったく仰るとおりだと思いますね。

森山

 遊び人の立場からしますと(笑)、ビジョンといった将来的な事を言い始めると、どんどんハードルが高くなっていくような気もします。それよりも、僕らから見るとどうかと思うような店でも、一風変わったイベントでも、その人にとってみればこれが私は良いと思うという発信をしているわけです。そういう事がどんどん出てこないと危機感も価値観も共有できませんから、まずはできるだけハードルを低くしたいという気持ちがあります。

 その中から普通の人でも「僕はこういうのが良いと思うんだけれども」と言ってくれたり、少し勉強している人ならばそれをビジョンで見せたり、さらに実際にそれを実現させることによって目に見えるようにしたりと、そういう動きの中にあって初めて、みんなの将来像みたいなものを共有することができるのではないでしょうか。

奈良平

 同じような感じを持ちます。できないビジョンばかり議論しているのは良くありませんし、まずはやはりできること、事実を積み上げていく事が重要だと思います。しかし同時に、その前提としてビジョンを持つことは大事です。

 中之島の例で私が残念に思いましたのは、中之島新線も今道路を一車線つぶして工事が進んでおり、もう2〜3年のうちに工事が終わります。ではその工事の跡地をどのように活用するのか。親水性護岸も造りたいなど色々な提案もありますが、それはビジョンであると同時に、遥か先のビジョンを議論しているのではなくて、中期というよりはむしろもう近未来の現実に起こってくる事態にどう対処するのかという部分であるわけです。

 ですから、そこはビジョンを持ちながらも、そのビジョンとの整合性を持つ事実を積み上げていくことが大事なのだろうと思います。


ビジョンではなくイメージ

蓑原

 「ビジョン」という言葉の受け止め方が私と皆さんとでは違ったようですね。私の言う「ビジョン」はむしろイメージに近いものです。なぜかというと、自分が関心のあることはかえってイメージにならないわけです。自分は河川にしか興味がないと言ったって河川の周りの風景が問題になるし、道路にしか興味がないと言ったって道路の周り全体を議論せざるを得ない。

 そういう意味からすると、「ビジョン」というのは将来に向かって大がかりな事を言うというよりは、トータルな生活空間としてどんなものが良いか悪いかというイメージを持つことだと思うのです。

 森山さんが仰ったように、色んな意味、色んなレベルのイメージがありますから、そのどこのレベルのイメージがフィットするかはわかりません。しかしそういった様々なレベルのイメージをまずは打ち出してみる必要があるし、局面によってはやはり飛躍的な提案をしていかないと次世代に繋がらないという場合もあると思うのです。

 そういった様々なトライアルをイメージというある種トータルなツールを用いて行っていく事がやはり必要なのではないでしょうか。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ