都心のまちづくり その担い手
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行政に求められる役割

 

これからの行政の役割とは

蓑原

 小浦さんは、そういった個別的で豊かな文化的な積み重ねが最終的に大阪全体に対してどういうインパクトを与えるのだろうかと仰りたいのではないかと思うのですが、それを考えるときに我々はすぐ20世紀型の発想で、固定された大阪の将来像が未来にあるという前提で現在を評価するきらいがあるんです。それは明らかに間違いだと思うのです。

 つまり、未来は確定的ではない。

 だからこそ、将来像を固定的に決めてしまって、それに向かっていくような方法論ではなくて、澤田さんや森山さんがやっているような活動をある全体のビジョンのもとで上手く積み重ねていけば、最終的には大阪が新しいモデルになっている。そういうものではないでしょうか。

 特に、これからの成熟時代は人口も減っていくわけですし、大規模プロジェクトで構造を変えてしまおうとかいう事はあり得ないわけです。

 むしろ、そういう積み重ねの結果が最終的にはどうなるかということを見据えて、個々のプロジェクトがその質をどう管理するかということ、そしてそれを常に繋いでいきながら全体として考えていくことが欠かせません。それは確実に行政がなすべき仕事であって、それをどういう形でやっていくかという問題なのではないでしょうか。


国は一歩引いていたい

奈良平

 私は影響力の行使みたいな感覚は全く持っていません。むしろ、その地域のあり方というのは、そこに住む人達や訪れる人、働いている人がまず決めるべき事だと思います。

 先ほどの「遊び人」という言葉を借りますと、遊び人に徹底的に思いっきり遊んでもらうための環境整備が我々の役目だと思っています。ですから、なにか我々が影響力を行使してという意識はありません。

 何かやりたいんだったらこんな新制度もありますよ、とアドバイスしたり、あるいは活動を邪魔している制度があるのであれば、何とかしてなくせないかとか、なくせない理由は何かとか、そういった役目であると思います。

 また一義的には市町村の仕事が中心にあって、そういった市町村が複数あって何か横断的制度があればやりやすいというのであれば、その意見を国の制度に結びつけていく。

 ですから行政の役割としてはやはり環境づくりとか支援者といった役目になるのかなという感じがいたします。


自治体の役割こそ大切

蓑原

 言葉が足りなかったかもしれませんが、私も今責任持たなくてはならないのは国ではなくて、やはり市とか府だと思っているのです。

 ですから今色んな形で行われている一つ一つの細かな積み上げが繋がっていったときに最終的にどんな大阪に転換していくのかを、市や府が一生懸命考えるべきであって、大規模プロジェクトばかり一生懸命やるようではいけないと言いかったわけです。

 なぜかというと、本当に地域経済を活性化させたり、地域の人達に生き甲斐を与えたりという仕事は、むしろ小さい仕事の積み重ねをクオリティを持たせながら結びつけるところにあるからです。

 ですから、そこのところをはっきりと認識して、公共が動きをどうやってコーディネートするかがこれからの仕事であり、そのときに、先ほども繰り返し述べたように、私はイメージが大事な要素になる、イメージを媒介としてやはりやってもらいたいと思っています。

小浦

 確定的な将来像ではなくて、一つ一つの動きを上手く繋げながら、その質を積み重ねていった結果の将来像を目指すべきであるという事ですね。またそれを繋いでいく部分の担い手が別に必要であると。

 実際その通りだと思いますが、しかしそのような事の必要性については、まだあまり認識されていないのではないでしょうか。

蓑原

 客観的に建設省サイドの人達を見ていると、中央省庁がかつて持っていたイニシアティブはもう持ち得ない。それは今奈良平さんが仰った通りだと思います。かといって、そのボールを地方自治体が受け取っているかというと、まだ受け取っていないのです。

 今不幸なことに、誰も責任を持たない状態でまちづくりが進行しているのです。その間に先ほど申し上げた大資本型と参加型の共存という不思議でおかしな構造が発生しているというのが、私の今のイメージです。

 しかし、それはまもなく変わるだろうと考えています。

 何故なら自治法もできたし、景観法もできたし、そういった形の努力が地方自治体を中心にしてもう始まっているのですから。私はそういうことを行政の方に一生懸命やっていただきたいと思っています。

小浦

 実際に森山さんや澤田さんが進めておられる動きをどう評価するかという役割もありますね。単に「いいよいいよ」というだけではなくて、繋いでいく仕組みが今はないと思います。

 例えば中心市街地であれば、タウンマネージメントみたいな言葉が出てきていますが、制度上の位置づけはあっても実際に機能しているところは少ないです。それはまちづくりのイメージのない制度上の機能だけのマネージメントという概念です。問題解決型であれ、創造型であれ、担い手にまちを持続的に元気にするための戦略というかイメージがないと、質を守れないし繋げないのではないかと思います。


行政には行政のすべきことがある

森山

 私は行政に繋いでもらうというよりも、やはり行政には行政で考えてもらいたいという思いが強くあります。

 我々が何かしたいと言ったときに認めてもらうとか許してもらうとかいうだけでは全然足りなくて、街の将来を100年200年という単位で、責任も含めて考えるのが本来の行政ではないかと思います。

 ですから、「私達の街はこういうふうになってほしい」という議論が行政の内部で絶えず戦わされていて当然と思っているんです。それが遠巻きに見ていても、ほとんど感じられないというのが辛いところです。

 今市民が盲目的にそれぞれ思った事を一生懸命声を挙げているわけですが、やはり別の立場からこの街はこういうふうになっていったらいいのではないかということを、「緑豊かで住みよいまちづくり」などといった言葉ではなくて、具体的に勇気を持って色々言って欲しい。そういった事を積み重ねないことには、共通の価値観というべきものは何も生まれないと思います。


古い仕組みは変えて欲しい

澤田

 行政に対してというのは私はよくわからないですが、私が今のような仕事をしていて、この場に呼んでもらえること自体、時代が変わってきている証拠だと思うんですね。昔だったらちょっとおかしい奴だと思われたかも知れない。それが、この場で堂々とお話して皆さんに聞いていただこうということ自体が、世の中変わってきていると思います。

 ただ最近、例えば大規模開発なら容積が昔よりも結構沢山もらえるなど、資本力に頼ってものを開発していく方が経済的に合理性があるという判断がなされることがあります。

 「豊かさ」が叫ばれ、社会的な要請があるにもかかわらず、制度が何か違った方向に進んでいってしまっていて、例えば既存不適格の古い建物を何とかしようとしても全部制度に引っ掛かって身動きがとれず、だったら新しく建ててしまった方が良いとなってしまいます。

 残していくべき「豊かさ」、次の世代に繋いでいくストックというものを考えたとき、このような風潮には矛盾があるのではないかと実務をやっていて感じています。

 ですから、行政に何かして欲しいというよりは、先ほど言ったような状況になったときには、総論でしておられる議論を、もう少し各論に落とし込んで納得がいくラインを出していただきたいと思います。

小浦

 ご指摘のように法律は全国一律の基準を示す仕組みです。しかし街はそれぞれ違うもので、例えば大阪と言ってもキタとミナミ、淀屋橋と堀江ではフレームとして求めるものや評価するものがみんな違います。そういったものが上手く仕組まれていく、あるいは相互に理解されていくような動きがまだないというのは事実だと思います。動きをつないでいく時には、しくみもいっしょに変えていく必要がありますね。

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