小浦:
もう随分時間も迫ってきましたので、まとめに入りたいと思うのですが、一番最初にお話のあった銀座の場合、まちの担い手は地権者の方です。下北沢の場合もやはり地権者の人でした。
このようなものを造る、街を創る、街を決めるという行為に関わる立場の担い手と、それから皆さんにご紹介を頂いたような、そういうものに影響力を及ぼす、支援する、あるいは連携してゆく担い手と、色々あると思います。
今日お渡しした冊子に出てくる担い手も、どちらかというと応援側あるいは支援側が多いと思います。けれどもそれぞれ担い手の意味と、社会的なシステムの中の役割と、それによってできることがあって、その活動の持続のあり方も違います。そういったことが最後の意見の中で出てきたのではないかと思いました。
そういったことを踏まえまして、最後に一言ずつ都心、都心の担い手、担い手が街にどう係わりどんな影響力を及ぼしていくのか、それが持続するためにはどんなことが組織としてあるいは社会システムとして必要であるかといった事を、感想も含めてお話頂き、最後に整理してみたいと思います。ではお願いします。
私の方からは最後にお願いみたいな話になるのですが、一つ目は会社に対する話です。将来大阪が元気になったらうちの会社も結局は儲かるという企業の立場を理解してほしいし、私もその努力を続けていくからこそ今の活動がなんとか認められているわけですので、それを皆さんも是非強く謳い続けて欲しいということがまずあります。
それから二つ目は、土地を持っていなくても、そこに住んでいなくても、街に責任を持っているようにきちんと見える、もしくはそこの街に根を生やしているように感じられる人達を、新しい都心の市民として認めてあげて欲しいということです。
それから最後に、何かアクションを起こそうとしているチャレンジに対して、失敗したとしてもそのチャレンジ自体を認めてあげて欲しいし、私自身もそのように暖かく見守って頂ければありがたいなということです。
私も森山さんの意見とすごく近い所があります。街を利用する人みんなが街の担い手であり、利用者だと思うので、そういった意識の中でやれたらいいなと思っています。
それから先ほどから不動産的開発とか色んな話がありましたけれども、長期的に街の価値を高めるつもりがあるのかなぁと。例えば建物を誰かに貸すときに、必ずしも目一杯高い賃料で貸すことが街のためなのか、その辺りを長期的な視点で見る事が大事だと思います。
最後にもう一つ、先ほど私共の会社がどういうスタンスで仕事しているかといったときに、評価前のものと評価後のものとがミックスされて街は繋がっていくというお話をしたと思うのですが、やはり街はそうだと思います。その辺りを順を追ってやっていくことが、次にバトンタッチするための永続性を持たせる一つのやり方だと思いました。
今日は聴衆としても楽しませて頂きましたし、私自身も色々勉強をさせていただいて楽しかったと思います。
誰が地域のまちづくりの担い手かということは、正直に言って私からお答えしにくいところがあります。私が近畿運輸局に勤務しているときにいくつか見た事例では、本当に個人で責任を持って、個人のパワーでひっぱっている方もいらっしゃいましたし、逆にそういう方のいらっしゃらない所ではNPOが引っ張ってらっしゃる場合もありました。
しかし今のお話を聞いて、私はまだまだ表面的にしかものを見てなかったんだなと感じました。地域振興町会があって裏でコンサルが働いてるというような実態を私はよく知りませんでしたけれども、そういうものもあるんですね。あるいは行政がひっぱっている場合もあるでしょう。
行政のひっぱる場合は得てして上手くいかないという場合が多いと思いますが、やはり地域を愛する方が積極的に参加され引っ張っている形が大事だと思います。
一つは、街は場所にこだわる人とこだわらない人とに別れてしまって、こだわらない人が企業という形をとってどんどん街を変えていってしまうのだろうということがあります。
先ほどの鳴海さんのお話で思い出したのですが、本当に場所性にこだわって頑張ってる所が日本の街の中でどれくらいあるだろうと考えると、まず一番はっきりしているのは中華街だと思うのです。中華街は、自分たちのライフスタイルを守るために街を変えないという強い意識を持ってやっているから、そこは確かにある種の場所性を持って頑張っていると言えると思います。
あと企業的なところでそれらしい事をやっているのは、やはり野沢さんがリードしている神戸の旧居留地ぐらいしかないんじゃないでしょうか。これは東京といえども、そういうような場所があるかというと疑わしい。まあ、森ビルが一生懸命そういう企業になろうとしているのかもしれませんが、皆さんから支持を受けているとは思えない。
ですから、そういう意味で僕はやはり、本当に場所性にこだわって頑張っていくような所は、もちろん企業という形をとる場合もあるだろうし人達かもしれないけれども、本当は小さい人達が沢山集まってるような構造の中でしかできません。そこでそういう場所にこだわらない人によって生じてしまうブレを、今後どれだけ大きくしないでいけるかという勝負になってしまうのじゃないかということを、やはり考えざるを得ないと思います。
ただ担い手という面では、土地を動かし建物を動かすという担い手とは別に、それを一生懸命コーディネイトする森山さんや澤田さんみたいな人が今後担い手としてやっていくには、今は実は苦しい時期だと私は思っているのです。
ただその苦しい時期が、先ほど鳴海さんは50年は続くんじゃないかと言ってましたけれども、その点僕は比較的楽観的です。
それは何故かというと、僕は実は1985年に世の中変わらないだろうと思って建設省を辞めたのです。その後は私自身が建設省の世話にならないでどうやって飯を食うかという勝負をしていたわけですが、1993年にちょっと気分が変わったんです。この1993年には、細川内閣が成立して、それから竹内藤男が逮捕された年です。彼は茨城県の知事でした。私は昔、その下で一生懸命に仕事をさせてもらっていたのです。
それは一つの大きな流れの端緒だったわけです。そういう社会的な変化がどんどん出てきて、今小泉さんがやっている事は大きく世の中を変えていく、強いインパクトを与えているわけです。
ですから何とかこの生存競争、サバイバルゲームに生き残った人には、この先良い時代が来るんじゃないかと僕は思っています。そんなふうに楽観的にもう少し生きてみようと思っています。
議論の最後に
小さな動きを大切に
森山:
順を追って進める
澤田:
地域を愛する人の参加が大切
奈良平:
今はしんどいが将来は楽観
蓑原:
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