第15回都市環境デザインフォーラム関西
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地域と文化

 

代官山と私

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代官山
 
 私は20年前くらい前に代官山に迎え入れられましたが、代官山の計画自身は40年も前からあります。旧山手通りには広い道が残っていますが、これを活かしながらこの辺り一帯のオーナーだった朝倉兄弟が槇文彦さんと時間をかけてヒルサイドテラスを作ってきました。これが第一期です。

 なぜ40年も計画を続けることができたかと言えば、単純に朝倉兄弟がここに住んでいたからということがあります。

 代官山ウエストは飛び地を私道で繋いで、街の中に路地をつくりました。

 道路に沿って遊歩道を作り、できるだけガラスを使いながら壁を作らない透過空間をつくり、なおかつペデストリアン・デッキを作りました。ペデストリアン・デッキに関しては、私が東京に出てきた頃に、翻訳のアルバイトで歩道と建物の間にあるペデストリアン・デッキという言葉に対して、遊歩道という訳をした記憶があります。このような形で、パブリックとプライベートな空間の間にセミパブリックな空間をつくってやっていこうというのが基本的な考え方でした。

 しかし20年くらい経って、ハード面でやれることは終わってしまいました。そこで次に、文化的なソフトを考えることが重要になりました。そうした流れの中で槇さんや粟津潔さんに私は呼ばれ、お世話になりながらここに入っていきました。


アーバンビレッジとして代官山を考える

 最近、アーバンビレッジという言葉をよく用いています。これは阪神淡路大震災の経験が大きく活きているものです。最終的に生き残るコミュニティ単位は学校の校区であり、コミュニティの適切な範囲なのです。そこでとにかくアーバンビレッジという言い方で、村として物事を考えていきました。今はいくつかの活動をしていますが、たとえば35階建てで計画されていた建物を、反対運動を起こさずに、4、5年かけて18階まで減らしてもらいました。また、地区計画をかけていくための活動や、猿楽塚で猿楽祭を行ったりしています。

 さらに、渋谷駅を中心に半径600mの地域が都市再生緊急整備地域に指定され、何でもありの状態になってしまっています。これはまずいだろうと思い、渋谷区のまちづくりの委員としての活動もしています。渋谷駅は東京のターミナルでは珍しく、1階に降りれば道玄坂も宮益坂も明治通りも桜ヶ丘も青山通りも、どこへでも行ける駅です。他の駅は一旦降りると行ける場所は限定されています。それなのに、今2階部分にデッキを作ろうとしています。

 渋谷はジャンジャン、山手教会、IT産業、パルコとかの小さな活動が文化を産んできました。しかし2階デッキの計画が実現すると、こういった活動は生まれなくなってしまうでしょう。将来の東京あるいは日本ということを考えたときに、これは絶対まずいことです。渋谷が持っている、谷というところから発生した色々な文化を大事にしないといけません。

 西新宿を見たらわかるように、ああいうまちづくりでは文化が生まれてきません。時代に対応していくものは生まれてこないのです。これを説得しきれるか、代官山から派生した活動として取り組んでいるところです。

 東急のトランセという渋谷駅から旧山手通り、代官山駅、猿楽町をぐるぐる廻るバスは、経営的にも良好ですが、このようにいい回路をつくっているものも、無くなってしまうのです。そういった事をどれだけ丁寧にやっていくのかということを、考えるべきなのです。

 旧大蔵省が物納でもらった建物(旧朝倉邸)があります。これを払い下げるという話が出たとき、経済界を含めて一瞬で署名を集め、大正時代の屋敷を重要文化財として認めてもらうことできました。みんなで頑張らないで、代官山ヒルサイドテラスの裏の森がマンションになったら大変なことになってしまいます。デンマーク大使館も同じような流れで槇さんが設計を手がけました。

 このようにして、色んな人たちと繋がりながら、この地域を考えてきました。発展を考えなくても、住居とオフィスと商店が手頃な感じになれば、街としても最もよいのです。そのため、必死に発展をおさえるという活動をやっているのです。


最大の情報に対して最短のアクセスという価値観に対して

 残念なことはグローバリゼーションの中で、チェーン店が増加していることです。住んでいない人が店をやった場合に、その場所よりいい場所があれば移っていってしまいます。資本の原理に従って、丸の内、汐留、六本木ヒルズなどに移っていった店舗も、今度、防衛庁跡地にミッドタウンができればまた移っていってしまう。

 このように世界のブランドショップやレストランが、とにかくできるだけ情報を集めなければだめだと思っている限りは、地域は全部廃れていくでしょう。アミューズメント施設に関しても、ディズニーランドのように毎年大量の投資が可能なものを除いて、ほかは全部だめになっていくでしょう。今、世界の価値観は「最大の情報に対して最短のアクセスができるかどうか」ということになっています。こうした状況でやっている限りでは、あらゆるところは生き残れません。それに対して、地域の力でなんとか持ちこたえていこうということを考えています。

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