新しい住民と旧住民の摩擦というものは大変なので、代官山に関しては反対運動というものは一切やっていません。まちづくりは二分したらもう再起不能になるため、なんとかしないといけないと思い、新しい着地点を見つけようとしました。都市機構を絡めたいくつかのイベントを行いましたが、一つ目は代官山同潤会アパート展でした。当時の代官山アパートのいろいろな物をお見せする展覧会で、現在展示の一部は八王子の方に移っています。
なかでも印象深かったのは、代官山アパートを潰すという段階になって、昔ここに住んでいた姉妹が過ごした場所に行ってみたら、昔の写真と同じ滑り台が今もあったというものです。当時の写真と同じ構図で写真をとったものです。
こうした活動を通じて、新しい代官山アドレスに関わる人の意識が変化してくるのです。
これは多くの人の胸を打ちました。この世帯は無くなるけれども、ここには何世帯もの家族が住み、喜怒哀楽の色々な歴史がありました。そこに水を流すことによって胸を突かれるようにさえ感じました。当初は、いかに壊すものとはいえ人が住んでいた場所に水を浸していくというのはどうかと思いましたが、以前住んでいた人が訪ねてきて、「ありがとう」と言ってくださいました。これは新しい居住者たちに、どれだけ影響を与えたことでしょうか。
代官山での試み
同潤会の建て替えと代官山アドレス
代官山アドレスは同潤会アパートの跡地のプロジェクトです。関東大震災の後に作られた労働者対策用の内務省のプロジェクトによるもので、労働運動が盛んになってきたために、それらを鎮圧するために労働者住宅を作ったのです。しかし辰野金吾などが建築家の責任において、労働者施設としての位置づけをガラッと変え、当時の理想のまちづくりを同潤会でしようとしたのです。それが今に残っていたのですが、老朽化が進み建て替えることになりました。地権者が750人もいたのでなかなかまとまらなかったという事情があります。
代官山ステキ発見
代官山ステキ発見フォトコンテスト
二つ目はステキ発見です。私が地域に関わる時に時間がない場合を除いて用いる手法です。住民や旅行者にこの地域のステキを勝手に写真にとってもらうものです。地元の人がいい賞品をだすのでなかなかいい写真が集まります。しかし審査の基準は写真の上手い下手ではありません。
さよなら同潤会アパート展
さようなら同潤会アパート「再生と記憶」展 遠藤利克
またこれらと同時に、さよなら同潤会アパート展と題して、取り壊す10日前からアーティストに入ってもらいました。美術における大きな収穫として挙げられたのが、遠藤利克さんの作品です。実にきれいに掃除をした状態で出られたおうちで、昼の間、水道局に頼んで水をシンクに流し続け、それが溢れるようにしました。
代官山市街地再開発アート計画
公団(現・都市機構)もがんばってパブリックな、あるいはセミパブリックな部分をかなり多く作りました。
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これはジャウマ・プレンサ作のベンチを囲むガラスです。
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アドレスへのアプローチにはポルトガルのギマラインシュの作品を置きました。その結果、ここはトレンディドラマのロケ地にもなりました。松嶋菜々子という女優さんが出ていたドラマです。 最初はここに、厳かな色の壁や門などを作ろうと施主は考えました。売る時の値段を考えて箔を付けたいとのことですが、それに対しては猛烈に戦いました。つまり、帰ってきたときの家の楽しさが重要ということなのです。変な壁の家には帰ってくる気もなくなってしまいます。そのためこういった物を置いていきました。
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阪神淡路大震災の経験から、バールなどの重要なものはまちの中に置いておく必要があるとわかりました。そこで台座にチェーンソーなど様々なものをしまった防災ベンチを置くことにしました。1995年1月にできたものです。
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みんなにまちに親しんでもらうため、代官山で2年に1回インスタレーション展を行っています。これは偽物のヒルサイドテラス駅を作ったもので、法政大学の建築学科の院生が作りました。
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これが先ほど申し上げたペデストリアン・デッキです。この作品は代官山を歩いている人たちは、どういう服を着ているのかを色で表現したものです。
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これは地域の子供たちと一緒に、公園の東屋に落ち葉を展示したものです。
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これは先ほど話した建物とお庭です。これをもう一度地域のものに変えようとしています。大蔵省から文化庁、渋谷区、東京都に移管されて、もうすぐ市民に開放されます。ここは東京台地のはずれで、昔の武家の中屋敷があった場所です。江戸東京の小さな展示スペースとしながら、夜はパーティーなどにも使え、昼はみなさんにお使いいただくという使い方をしようと思っています。
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代官山は落書きを減らしたことでも有名になりました。私は、落書き描きの元締めに会いに千葉まで行きました。中途半端な絵を描かずに、やるのならきちんとやれということを話しました。そうすると住民、子供たちと一緒に描きたいということになりました。 そのあとで落書きがされたときに、これに参加した高校生が落書きをした若者と話し合うという場面もありました。 もう荒らされていません。
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とにかく適正な規模でいろいろなアクションを起こしながら、丁寧に関わっていこうとしています。最近では商店が多くなりましたが、それをできるだけ抑えていきたいと思っています。足りないと思っているのは文化施設ですが、スペースがありません。そこで夜の映画会、名画座をやろうということになりました。みんなで拠出して図書館を借り、そういった文化施設をつくろうとしています。パーマネントには無理かもしれませんが、なんとかやりたいと思っています。