第15回都市環境デザインフォーラム関西
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大地の芸術祭のコンセプト

 

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大地の芸術祭/公共工事など恒久的な事業と地域住民と協働者の活動の両面におけるアートネックレス事業の成果を、アーティストの助力を得ながら3年に一度公開し、広く周知するための国際展
 

この地域の景観をもういちど見直そう(2000年)

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第1回大地の芸術祭(2000年)
 
 今日のテーマとも関係しますが、「景観」 という言葉があります。私たちがある場所に来て、考える景観というのは、田畑であり、家であり、案内してくれる人の立ち居振る舞いから見えるコミュニティです。しかし、それらは全て住民があっての話です。私たちは、人が触れていないところの自然を話しているわけではありません。人間との時間の関わりがある部分の話をしているわけです。

 住民がぐんぐん減っていく裏日本と呼ばれた農業地で、しかも豪雪のこの地域の人たちですが、本当の意味で豊かだと思います。30万円なければ生活できない東京などよりも、10万円あれば十分生活できるここの方が絶対豊かなはずです。では何が問題かというと、10年経った時にコミュニティが崩壊してしまうことです。

 田畑が耕作放棄され、家が廃屋化し、コミュニティが崩壊していきつつある2000年の状態の中で、まだ里山の美しさは残っていました。この美しさをテコにして、建築家・デザイナー・アーティストが関わり、活かしていくことで、この地域の里山というものに代表される景観をもういちど見直そうということが大地の芸術祭の出発点なのです。


世代、地域、ジャンルを越えた協働(2003年)

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第2回大地の芸術祭(2003年)
 
 次に世代、地域、ジャンルを越えた協働ということが問題になってきました。東京では今も色々な会が開かれていますが、どうしてよその土地のことに対してこんなに頑張って関わるのかということです。

 当初から、地域にとっては他者が必要だと感じていましたが、最近、それ以上に都市の人間にとってこそ田舎は大事だということを感じています。大人たちが猛烈に動いているのも、自分たちのふるさとを作り出そうとしているのです。学生にとっても同じ事で、いくらでも替わりのいる時給800円のAさんではなく、田舎に存在する、他に同じ人はいないどこそこの○○さんという世界を必要としているのです。

 東北6県では仙台市だけが一人勝ちの状況でしたが、それは東京からの玄関としての役割だったからです。しかしNPO法人みやぎ文化・PFI協会などが中心になって、気仙沼などを都市に引き込んでいくための活動を行っています。明らかに時代が変わりだしており、都市だけの時代から地域の時代に変わり始めているのです。これが2003年の考え方でした。


3つのオプションを加えた2006年

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第3回大地の芸術祭(2006年)
 
 2006年は、里山を見ていくための仕掛けとしてのアートということにプラスして、3つのオプションを付けました。

 一つは植物です。そして二つ目は土です。植物に関しては生け花の家元を含めた21人のエースたちが登場しました。土に関しては、陶芸家や土を作品の素材としたアーティストが多く参加しました。日本の芸術は水田耕作を基本としていますが、水を入れ、また水を出すところの技術が元になっているわけで、土を決定的にやってみようということになりました。私たちが美術館でみる土は、水を除いてしまった干からびたミイラとしての土なのです。だけど、もっと水が豊かな土が、本当の日本の文化を作ってきたのです。もちろん版築の工法などもそうです。

 三つ目は空き家でした。これにはかなり力をいれました。平均250万円の解体費用がかかるため、この地域を出て行く人には家をたたむ元気もありません。2度の豪雪と地震で空き家と廃屋が増えましたが、これらを全部受け持つつもりでやっています。こうした家にアーティストが入り、建築家に支えてもらい、なおかつ地域の人たちに守ってもらおうとしました。もちろんそれだけでは無理なので、別荘や半定住でもよいから都市の人たちオーナーになってもらおうとしました。着々と進んでいます。

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