あまけん:わがまちをオモシロがる方法
尼崎南部再生研究室、(株)地域環境計画研究所 若狭健作
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東京で20代、30代の人に尼崎のイメージを尋ねてみると、ダウンタウンという答えが多く返ってくるようです。このように、マスコミを通じて、尼崎のいいイメージも悪いイメージも宣伝されているように思います。 また市は近松門左衛門の街ということで、文化行政に力を入れています。そして、もう少し年代が上になると阪神工業地帯や公害・アスベストなどのように、あまりいいイメージを持たれていません。 その他にも兵庫県なのに市外局番06であることもあって大阪市尼崎区とも呼んでいます。実際にその住所で郵便が届いてしまうそうです。 尼崎は阪神間の中にありながらも、ぽっかりと違う空間のようです。阪神間最大のエアポケットとも呼んでいます。
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人口は46万人くらいのそこそこ大きめの都市ですが、面積50km2という狭い市域にひしめきあって暮らしています。ただ阪急、阪神、JRの沿線で町の色が違っています。 阪急のほうには武庫之荘や塚口という駅があって、人間国宝の桂米朝さんなんかも住んでいます。宝が住んでいるのです。一方、南部の臨海部には、工業地帯が広がっています。同じ町のなかに、こんなにもいろいろな特徴があるのです。 ただ問題として、北部に住んでいる地域の住人は「どこに住んでいるのですか?」と聞かれると武庫之荘と答えるのです。決して尼崎に住んでいるとは言わなくて、神戸と嘘をつく人までいたりもします。 南部の方が北部のことをおもしろがる、北部の人が南部のことをおもしろがる状況を作りたいなと思いました。
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尼崎の市章には「工」という文字が隠れています。かつて「工都」と呼ばれ、国内鉄鋼産業の拠点として東洋一の発電所がありました。空が見えないほどの煙で繁栄して、1954年には産業博覧会が開催され絶頂の時期でした。
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しかし80年代からは「鉄の街」にもかげりがみえてきました。地盤沈下や大気汚染もあり、事業所の廃止や流出が進みました。それに伴い1970年をピークに南部は人口が減少し続け、南北人口の逆転が起こりました。
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尼崎南部再生研究室の設立と情報発信
尼崎南部再生研究室の設立
1999年に公害認定患者379人と企業9社の和解というニュースがありました。その際、和解金の一部を「尼崎地域の再生」に使うということが和解条項に盛り込まれました。これを受けて、研究者や大学生、行政職員、金融機関職員、マスコミ、商業者らが集まって2001年に尼崎南部再生研究室を設立し、活動することになりました。長い名称なので「あまけん」と呼ぶことにしました。
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南部のこと知ろうということで、地域を歩いてネタを探しました。地域のことを地元の人があまりにもしらないという問題意識のもとに、まち歩きや編集会議から集まった地域の情報を、「南部再生」というフリーペーパーにして発行することにしました。 A4サイズ24ページの内容を1万部発行しています。中には胸焼けするほどディープな街ネタを満載しています。 尼崎信用金庫・郵便局・阪神電車各駅などに加えて、取材で訪れた飲み屋さんなどにも置いてもらっています。広告は載せずに、印刷資金は400人からの定期購読料でまかなっています。
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『南部再生』 |
ゲイゴトマナブという特集では、三線、社交ダンス、ヨガ、卓球、囲碁など、街で学べるゲイゴト、習い事の特集を行っています。いわゆるカルチャースクールのようなものではなくて、地域に密着した囲碁を教えているおじいちゃんの情報などを載せています。
またオール阪神阪急という特集では、市内を貫く二つの私鉄である阪神阪急が統合したら、尼崎のまちにどんな影響をもたらすのか、都市計画から駅そばの味まで幅広く紹介しています。
そして最新号のアマのウチナー特集では、大正区に次いで沖縄の人が多い尼崎において、食べ物、唄、人などの、身近に感じられる尼崎の沖縄文化を取り上げました。
尼崎南部というローカルな地域を対象にしているのですが、テーマは大きくやっています。
観光というテーマでは、もっと他所から人が来てもらいたいという想いから、尼崎運河クルージングを企画しました。クルージングといっても、調査船のような小さな船なので、みなさんにライフジャケットを着て参加してもらっています。臨海部には4本の運河が張り巡らされているのですが、工業の疲弊とともに使われなくなってきており、もったいないという思いからはじめました。
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船が大きくないので一度に多くの人が参加できません。そのため、あまり宣伝することができない状況です。ただ新聞記事に紹介していただくと、すぐに売り切れてしまいます。ツアーは約90分なのですが、工員の格好をした学生のマニアックな解説が好評です。 例えば世界のチタンの1/4を作っていますなんていう解説をすると、近寄りがたい工場がぐっと身近に感じてもらえるようになります。当初は一部のマニアの方が来られるのかなと思っていましたが、乗客にはファミリーや、かつての労働者の方なども参加していただいています。最近ではテクノスケープや産業遺産、港の学習ということでも話題になってきています。
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工場萌えというブームが最近ありますが、工業地帯を尼崎の新たな観光資源として活用できるのではないかとも思っています。
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歴史の話題として、江戸時代から南部一帯で作られていたサツマイモ「尼いも」の話があります。臨海部で作られていたのですが、台風による高潮と工場の増加により1950年くらいに絶滅していました。細長いお芋で、当時は高級食材として京都や大阪の料亭に出荷していたそうです。
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そして、尼いもを復活させるために、味・色・形・食感などお年寄りの記憶だけを手がかりに、農林水産省農業研究センター内の1600もの品種から「尼ヶ崎赤」「四十日藷」の種芋を発見して、復刻栽培を始めました。
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地元農家の協力で50年ぶりに復活し、小中学校・地域の広場へと栽培地を拡大しています。小学校では総合学習のネタとしても使ってもらっています。
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さらにはイモコレという芋の品評会を行ったり、「芋っ娘倶楽部」という尼いもの料理を研究するグループが生まれたり、絵本やアニメも作成されています。
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最後に尼崎ブランドを育てるということをお話ししたいと思います。 地元民たちは自分の街のことをあまりにも知りません。例えばそれは近所の工場で作っている製品を知らなかったり、街で一番うまいシュークリームを知らなかったり、老舗の歴史やこだわりといったことをほとんど知りません。 そこで地元商店街、TMO尼崎にメイドインアマガサキというものを企画提案して、尼崎の地域の情報を募集しました。例えば甲子園の焼きそばソースは尼崎でつくられているということや、森永のマリービスケットは全て尼崎で作られているといった、「へぇ〜尼崎にも」と地元民が思わず自慢したくなる街ネタを集めました。
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そうして、2003年に第一回のメイドインアマガサキコンペがスタートしました。自薦他薦問わず住民・事業者からエントリーを募集したところ、第1回エントリーには47点が集まりました。これまでに4回行って合計131点が集まっています。
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第1回グランプリにはマルカの湯たんぽが選ばれました。これには4つの特許と高い金属加工技術があり「工業都市の権化」と評価されました。また枡千の天ぷらも、漁港としての歴史を物語る練り物文化として評価されました。 第2回は少々マニアックになってくるのですが、薄板ばねという小さな部品が選ばれました。ビデオカメラの液晶パネルの根元の位置の部品や、自動車のリクライニングレバーの中の部品などとして使われていて、4000種類もの製品があるそうです。大手のメーカーから注文を受け、下請けとしてがんばっている尼崎のものづくりを代表していると評価されました。
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第3回では菰樽が選ばれました。高い国内シェアで全国各地に尼崎のものがあるのです。またひろたのぽんずというものも選ばれたのですが、これは食通の八百屋のおじさんがふぐを食べる際に、自分の好みにあうポン酢を自分で作ったものが起源だそうです。
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せっかく集めた地元民の愛着にまみれた尼崎モノを、街へと展開することを考えました。そこでTMO尼崎が主催して、空き店舗でイベントショップを2日間限定でオープンしました。 2日間の来店数は5000人で、ソースが160本、ポン酢が240本といった驚異の売り上げを記録しました。これを通じて、尼崎製・地元産いうコンセプトとメッセージが地元民への訴求力を生むということがわかりました。
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メイドインアマガサキのブランドを育てる
メイドインアマガサキ認証制度
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こうしたイベントの成功もあって、MIAマークという認証制度を創設したのですが、正直これは上手くいっていません。 成功した例としては、尼崎のそれぞれ違う会社が作っているソースと醤油とポン酢を組み合わせて、秘伝調味料セットとして売り出したものがあります。2004年12月の販売開始から5000セットを販売して、箱詰め作業だけでも大変な作業になりました。
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そこで、こうした箱詰め作業なども街に展開できないかと考えました。調味料を使った料理のレシピを地元の日本料理屋さんに作ってもらったり、手すき和紙のラベル作成や箱詰め作業を地元の障害者作業所の方に依頼したりしました。その他にも、行政や商工会議所には商品のPRをお願いしました。
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このようにヒット商品が出来てきて、メイドインアマガサキショップも2005年にオープンしました。売り上げを町に還元しようということで、バリアフリーのトイレや託児所なども設置しています。
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地元のコラボレーションも進んできて、ガードレールを作っている会社と尼いもクラブがコラボして尼いもプランターを作成したり、豆腐屋さんのおからを障害者作業所に持っていってとうふケーキにしたりする動きが出ています。地元でつながればこんなに面白くなってくるのです。
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[もっと自慢したい尼崎の出版] | 「工場見学〜湯たんぽができるまで」というページ |
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今後の展開としては、大人の社会見学をメイドイン尼崎ツアーとして企画して、ものづくりの現場を見ていただき、その後に工場見学で見た製品を商店街で買ってもらうプランなどを考えています。 その他にも就労斡旋をワークインアマガサキとして進めていければ、おもしろいかなとも思っています。そして更なる尼崎新名物の発掘も進めていきたいと思います。
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行ってみたくなる「尼崎」にしよういうことで、次の三つの内容に気をつけています。 一つ目に「わが街をどれだけオモシロがれるか」ということ。 そして二つ目に「地元感覚をくすぐるプレゼンテーション」ということです。地元への愛着をくすぐるようなプレゼンが重要です。 そして最後に「街が本来持つイメージとの相乗効果」の必要性です。例えば尼崎のフレンチというよりも尼崎の焼肉の方により魅力を感じるように、町が本来持っているイメージを汲み取ってどう重ねていくのかを考える必要があるのだと思います。 尼崎の市章にはカタカナで「アマ」という文字が隠れています。尼崎は愛称で呼ばれている町なのです。こうした愛称で呼ばれるような町の魅力を発掘して、都市観光につなげていけたらなと思います。
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