都市観光の新しい形
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1。なぜ都市観光に新しい視点なのか

 

地元による地元のための観光

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 都市観光を都市という視点から考え、図に整理してみました。

 古代・中世の都市では働く場所、住む場所、遊ぶ場所の三つの機能が分かれることなく暮らしていたはずなんですが、近代都市では三つの機能が分離してしまって、それぞれが交通で結ばれるという都市構造に変化しました。

 どうもそれでは暮らしに不安感があると我々は思っています。それが21世紀の都市構造に変化をもたらしたのではないでしょうか。例えば働く場所、オフィスの中に遊ぶ場所ができるとか、住む場所にSOHOみたいな形で働く場所ができるとか、今まで分離していた町を再度くっつけようとする動きが出てきたんじゃないかと思います。

 そして、「住」「働」「遊」の三つの機能が重なる一方で、いくつかの機能が外部にも増殖していくイメージがあります。これからの暮らしの中では自分の住所の外に暮らしが外部化していって「第二の故郷」を持つ人が増えるのではないでしょうか。つまり、暮らしが大きく外へ分散していって、ネットワークされるようなイメージが、21世紀の都市のあり方のような気がします。暮らし方が定住から交流へと移ると考えています。

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 また、観光という視点から整理してみると、今までは観光というものは地元住民ではなく、行政や観光ビジネスを担う人たちの視点でとらえられてきました。つまり、外側、あるいは上からの視点です。しかし、今回我々がテーマにしている都市観光は、地元・内側・下から見ていこうとする視点です。

 今まで観光で得られるものとは経済発展やビジネスにつながる利益だったでしょうが、これからの観光は必ずしもそれを目的としているわけではない。先ほどの事例の話でも、儲かった、豊かになったといったお金の話はあまり出てこず、やりがい・生き甲斐・愛着・アイデンティティという言葉の方が印象に残りました。それが発展していき、観光という枠組みを超えてまちづくり、町おこしへとつながっていくのかなと思いました。

 「地元による地元のための観光」というテーマが少し見えてきたかなと思います。この動きが、観光だけでなくこれからのまちづくりへの大きな原動力になりそうだと思っている次第です。

 ということで、「都市観光の新たな視点」についてまず茶谷さんからお話を頂きたいと思います。


動きは出てきたが、力を持てるかどうか

茶谷

 20世紀はいろいろと便利になり、我々は沢山のものを手に入れました。その割には豊かになったという実感がない。むしろ精神的には貧しくなったという気がしています。そういうことに対する反逆というか、カウンターパンチみたいなものが、いま出てきている動きだと私は思っています。

 20世紀の合理主義は、立派な建物、立派な道路を作りました。そういう「立派主義」でがんじがらめにやってきてよかったかと言うと、全然よくなくて、そこからどうやって抜け出そうかと考えているのが今じゃないでしょうか。その抜け出す手がかりを求めている今、自分の町や自分の人生など自分の周囲に関する価値観の見直しが再び甦っているのだと思います。

 だから、これからもイベントや町歩き、景観の修復という形で、そういう動きはどんどん出てくると思います。

 しかし、問題はこの新しい視点が、パワフルにエンパワメントを勝ち取れるかどうか、この点だと思います。我々はそういうものを掴みつつあるのですが、一方では「そんなの面倒くさい」「家でテレビ見てる方がいい」と考える層は絶対いるはずです。むしろ大方の人は「面倒くさい派」でしょう。尼崎の話にしても積極的に関心を持つ人は、市民の一割程度ではないかと私はふんでいます。

 つまり、全体を変えていくだけのパワーは、まだないのです。パワーとして認知できるほどには成長していない、そのことをどう扱っていくかが課題だと思います。


場所に対する熱い思いから始まっている

中村

 都市はいろんな人の集まりです。昔から住んでいる人もいれば、新しくやってきた人もいる。金城さんのお話を例にとると、都市に住みながら、心は故郷をずっと引きずっている人もいる。今日の事例報告を聞いていると、みなさん引きずるものがあるんだという印象を受けました。場所に対するこだわりがとても強いですよね。

 岸和田もそうです。だんじりを通して町のことを熱く思っておられるし、祭りは町に支えられています。

 いずれにも共通しているのは、町や場所に対する熱い思いでしょう。町を我々の手に取り戻そうとする動きが「下」や「内」から見た都市観光と言えるのではないでしょうか。この動きを「上」「外」からどう組織化いくかが茶谷さんのご指摘ではないかと思いますが、これからの課題でしょう。私も京都でささやかな都市観光に関わっていますが、個々人の思いを拾い集めている段階で、メディアにどう流していくかなどはまだ先の段階です。

 やはり今は、土地に対する熱い思いを通して自分は何者かを知り、自分を作っていくということが大事なんだと思います。そこへのこだわりがないと、自分のアイデンティティの消失につながってしまう。だから、自分の町にはこだわれる何かがあって欲しいと思うのではないでしょうか。

 何者かと聞かれたときに岸和田市民なら「ワシはだんじりを引いてる」と答えることができるし、尼崎、高槻の例のように自分を投影できるものを見つけて、それで町を作ろうという話になる。人間と場所の強いつながり、それが何かを始めるときの動機になっているのです。ですから、都市観光とはまさしく人間の存在がかかっている行為なんだという気がいたします。


町中に資源はいっぱいある、しかし外部の力も必要では

金澤

 都市観光をどう発展させるかという議論と同時に、人間の原点や原風景から都市観光を見るべきだという議論があります。中村さんのお話では場所への熱い思いがアイデンティティにもつながるというご指摘でした。それが都市観光の出発点として確認できるかなと思います。

 さらに他の視点から都市観光を見ることはできるでしょうか。吉野さん、お願いします。

吉野

 昔、私は観光学会という団体に属していまして、そこで1980年代に「シティリゾート」というテーマで観光と都市について、論文を発表したことがあります。当時はバブルの頃で、アーバンリゾートとかシティリゾートという言葉が流行っていました。我々もろくでもないことを構想したことがありました。

 その後、そうした風潮を反省しまして、今度は商店街に目を向けるようになりました。学芸出版社から「タウンリゾートとしての商店街」という本を出版したこともあります。その本の中で私が強調したかったのは、都心部の街なかにこそリゾートがあるのだという点です。リゾートになりうる資源を探して、それを商店街を中心に日常的に楽しもうと提案したわけです。

 ではタウンリゾート空間の中で一番重要なキーワードは何か。私はそれは界隈だと示しました。界隈の中にいろんな要素があって、それは今日テーマになっている都市観光の資源とも絡むところが大いにあると思っています。界隈の資源とはモノだけでなく人的なものも含むのですが、それを大事に育てること、それがこれから重要になってくると私は考えています。

 岸和田に関して言うと、ちょうど10年前の1997年に、中心市街地活性法に基づくタウンマネジメント構想作成のお手伝いをしたことがあります。岸和田では5年かけてタウンマネジメントの組織を作ったのですが、それが今、各種の活動をされているようです。午前中に歩いた中央商店街(かじやまち通り)では、昔のアーケードを撤去して街並みにふさわしいお店のファサードを修景・整備されている様子を見ました。タウンマネジメントの組織は、こういう事業を手がけるまでに発展しているわけです。

 タウンマネジメント構想の時、キーワードにしたのが「タイムトレイル(時間旅行)」という言葉です。かじやまち通りにクロスして寺町がありますが、文字通りお寺さんが集中している通りで、ここにもいろんな資源があります。今日も本徳寺さんで明智光秀の肖像画を見せて頂き、薄茶の接待を受けましたが、商店街の面白さだけでなく、「こんな所に文化財が!」と驚くような資源が混ざっているのが岸和田の奥深さです。

 そうした資源を町を歩く中で日常的に楽しめるルートとして開発されてみてはいかがでしょうか。観光なのか、買い物なのか、日常の散歩なのか、境目が分からなくなるような様々な人が来るようにしてほしい。商店街の売り上げだけでなく、もっと様々な町の豊かさが浮かび上がってくるようになればいいと思いました。

 そのような思いで当初構想したわけですが、問題としては町並みとしては良くなっているのに、商店街のお店がどんどん減っています。その代わり、仕舞屋(しもたや)は増えています。これは果たして良い状態なのか?
 私としては、もう少し商業的なにぎわい、あるいは文化的なにぎわいがあった方がいいと思います。しかし、それは地元の人の自助努力だけで成功するのは難しいでしょう。ですから、そこからプロを始めとする様々な外部の人の力(我々はよく地域外サポーターと呼びます)を借りてみてはどうかと思うのです。

 岸和田の町並みはこの5年間でだいぶ変化しましたが、どうも外部との交流が少ないという印象を受けます。観光という視点で見ていく場合、外部の人を受け入れにくい商店街という感じです。沢山の人に通って貰うのが商店街のあり方なのですから、それをどのように整備していくのかが今後議論していきたいところです。


まずは好きになれる対象を自分たちの手で

茶谷

 私も1993年に神戸でアーバンリゾートフェアを手がけて、アーバンリゾートという一つの都市遺伝子を提起したことがあります。その頃も今も、町と住んでいる人との関わりはあまり変わってないのですが、今の方がその関わりを追求するニーズは強くなっていると感じます。

 これはまさしく場所に対する愛着が軸になっていると思いますが、外から人を呼び込むことだけに愛着を発揮するのは性急すぎると思うんですよ。何かの目標なんていらないんです。とにかくそこを好きになる、好きになれるような対象なり構造を、自分たちの手で作っていくのが重要なんです。その先に出てくる観光やまちづくりは、実は住んでいる人にとってはどうでもいいことなんですね。そのことをしっかり押さえておかないと、本末転倒になって大きな間違いをしでかしそうな気がします。

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