都市観光の新しい形
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2。なぜ「暮らす、歩く、楽しむ、招く」なのか

 

「暮らす、歩く、楽しむ、招く」が持つ意味

金澤

 吉野さんが指摘された界隈の魅力、茶谷さんが言われた「まず地元の人自身の手で好きになる」という話では、都市そのものの面白さ、楽しさをどう発展させていくかが課題だと思います。これが次のテーマである「暮らす、歩く、楽しむ、招く」につながっていくのではないでしょうか。

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 このテーマを私から簡単に説明すると、「暮らす」とは単に住むだけでなく、働く、作る、商う、遊ぶなど生活や文化すべてを包含する言葉だろうと思います。それをまず確認したい。今の新しい視点の観光が「暮らし」の魅力を見せるものとしてあるとすれば、観光は大きな広がりの中で考えていく必要があるでしょう。

 従来の観光が名所・旧跡を見せる、いわば「昔」を見せる事なのに対し、「暮らしの観光」は生きている「今」の面白さを体験することです。その点を考えることも重要でしょう。

 茶谷さんの講演では「長崎さるく」が報告されていました。実はこの歩く形の観光は画期的なことです。今までの観光パターンはバスで点から点へ移動するのが普通でした。しかし、歩くことで初めて町のディティールが見えてくるのです。スピードを出す生活のせいで、どんどん失っていった風景、生活感は、歩くことで取り戻せるのではないでしょうか。歩くことで、地元の暮らしを体感できるし、地元の人との交流も生まれてきます。

 京都市は将来歩ける市街地をもっと広げようと、今さまざまな試みを始めています。ヨーロッパでは1970年代から都心を歩行者空間にする都市計画が定着しているのですが、日本の都市ではなかなかそこまで踏みきれなかった。しかし、これからのまちづくりにとって、「歩く」はとても重要なテーマになるでしょう。観光にとっても当然大きなテーマになるでしょう。

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 それから「楽しむ・招く」のテーマについて。

 事例報告でお分かりのように、まず地元の人々が楽しめることがポイントですよね。観光客のために何かあるのではなく、地元に愛着を持っている人が自分たちの町の催しを頑張ってする→それが面白い→よその人にも見てもらいたいという流れがあります。それが生き甲斐や、まちづくりにつながっていくのではと考えています。

 また「招く」ことで他の地域の人々との交流が進むのですが、先ほど言いましたように、住んでいる人だけでなく、「第二の故郷」として外部から来訪者が増えることが町の活性化のカギになろうかと思います。

 そしてもうひとつ重要な点として、他者をもてなすことが新しい作法、美意識と文化を生み出す可能性があると考えています。例えば床の間の生け花や掛け軸、茶道、華道は客人の目を意識した文化です。「招く」とはみんなに見てもらうことで、生活がどんどん洗練されたものになっていく行為だと思うのです。文化を生み出すひとつの原動力とも言えるのではないでしょうか。

 ともあれ、言葉ひとつひとつの定義より、名所・旧跡めぐりではない観光について、もう一度三人のパネラーにお話をうかがっていきたいと思います。


「歩く」とは自分に合うものを探し求めること

中村

 今日はみなさんの話をお聞きしましたので、そこから発想していきたいと思います。

 私は「歩く」という言葉を「探し求める」に変えて考えてみたいと思いました。名所・旧跡めぐり、つまり既成の観光がなぜつまらないかと言うと、すでに完成されたもの、知られたものを見るわけで、新鮮な感動がなく面白くない。では何が面白いかと言うと、探し求め、自分で発見できるものです。

 失われたものを探すこともそうですね。午前中に歩いた本町界わいも、一度失った景観を修復して甦らせているわけで、その過程がスリリングで面白いんです。昔からあるものを残すだけでなく、その時代の自分に合ったものを求めて「自分に合うように町を変えていく」ことをやっているんです。その手がかりは場所の記憶であったり、祭に対する思いだったりします。様々な試行錯誤があって、まるで推理小説の謎解きをしているようにまちづくりをしておられると感じました。

 また、金城さんのお話は失われてしまった沖縄の文化への思い、故郷から切り離されたという切実なノスタルジーを再構築しようという話で、これも探し求め、作り上げようという行為です。尼崎でも、自分に合ったポン酢を作りたいという思いが製品化につながりました。「自分に合う何か」をみんな探し求めている時代で、そういう切迫した思いが文化を作っているのかなと思います。「歩く」が楽しむにつながるのは、こんな謎解き、探し求める思いがキーワードになっていると思います。


地元というが、都心には住んでいる人が少ないし、関心がない

吉野

 確かに「楽しむ・招く」というキーワードで地元の人が楽しむことは重要でしょう。しかし、肝心の「地元の人」がいない場合があります。

 私は大阪の都心部でまちづくりの仕事をすることが多いのですが、例えば船場の場合だと、そもそも地元の人が住んでいない。まちづくりを担っているのは、都心に通うサラリーマンだったり、船場の近代建築が好きだという外部のファンだったりします。そういう外部のサポーターたちが、まちづくりの推進役となっています。ですから、地元の人自らが楽しんで、招いて、その活動が発展していく理想の形とはマッチしていないのが現状なんです。

 もうひとつ、大阪の空堀商店街の例をあげます。今ここは戦前長屋の路地の界隈性が人気を集めています。長屋を改装したお店もたくさんできました。楽しい所だと人が来るようになりました。でも肝心の住民の人は、そういう来訪者を喜んで観光ガイドを買って出たりするかというと、そうでもない。わが町の魅力の再発見にはつながらないのです。むしろ、外部の人の方が町の魅力にひかれて引っ越してくるなど、積極的に関わっているようです。今年の「空堀まちアート」には1万人が来ましたが、昔からの地元の人の関わりは非常に少なかったですね。

 大阪に限らず、都心型のまちづくりは、外部の人の力が大きいというのが私の実感です。地元の人は「大勢人がやってくると、泥棒も来るから町歩きなんて止めてくれ」と否定的です。もちろん観光に伴うゴミなどの被害の話は昔からありますし、我が町が観光化することへの不安感を持つ町は全国に多いだろうと思います。

 だから、茶谷さんの長崎さるく博の話を聞いていて、これは従来の町歩き、ガイドツアーを覆す革命的なビジネスモデル、事業モデルを提案されたんだなと感心いたしました。私も自分が関わっている地域で、こうしたことがどうすれば展開できるかを、ずっと考えていたんですよ。他地域でも展開可能かどうかを茶谷さんにうかがいたいところです。


住んでいなくても、気持ちが地元であればいい

茶谷

 問題は多岐にわたりますが、今日のテーマである「観光」にしぼってお話しいたします。

 外から来る来訪者(観光客)が訪れた場所を楽しむことと、住んでいる人が自分の町の界隈性や文化を楽しむことは、かなり色合いが違うんですね。外からやってくる人は、まだ界隈を楽しむまではいかなくて、やはりそこにある「有名な○○」「○○グルメ」を求めて来る人が大多数です。その中の一部の人がそんな観光に飽きてしまって、もっと違うものを探しているのが現状だと思います。

 ところが住んでいる人の立場で考えると、今まで「地元を観光する」なんて概念はなかったと思います。これを私は「観光の内需」と呼んでいるのですが、住んでいる人が地元を楽しむことを観光と呼んで良いのかどうかという議論はあると思います。例えば「今日は気分がいいから、女房と美味しいものを食べにいくか」とか「天気がいいから歩いてみよう」など、いろんなやり方がありますが、そんなときに「自分の町でこういう所(あるいはこんな催し)があるなら一度行ってみよう」となるには、情報が整理されてないとダメなんです。

 今起こっている現象は「自分の町を自分たちで楽しんでいく」ということだと私は思っています。大阪ではそういう地元の人が少ないというお話がありましたが、この現象は誰かがやってきてまちづくりをすることではなくて、まず「自分たちが楽しみたい」という気持ちが先にあるわけですから、別にそこに住んでいる人でなくてもいいんです。仕事で来る人も好きで来る人も、精神的には「地元の人」と考えて良いと思います。地元であろうと外部であろうと、その地域に愛着を持って「自分の町にしてしまおう」という関係を持つことで、今度は遠くの町からも「あそこは面白いらしい」「楽しいらしい」と人がやってくることにつながるのです。

 これまでにも、私はそんな例はたくさん見てきました。近年では滋賀県の長浜(黒壁、ガラスで人気が出ました)、長野県の小布施、大分県の湯布院など、観光のスター都市と呼びたい町がたくさん出てきました。実はそのなかのいくつかは、今ではもうかなり弱っているのですが、長野県の小布施は人口一万人の町に年間百万人来訪という強い吸引力を持っています。これは、まず自分たちの空間を自分たちで楽しもうとの発想から、地元の人が全部自分たちの手でまちづくりを担ったことのエネルギーによるものだと、私は考えます。

 これが観光客を呼びたい→道路整備だ、ブロック塀を観光客が喜ぶ竹垣に変えろという順番だったら、何年かは観光客は来ますが、いつの間にか来なくなってしまうんですよ。いつまでも行きたくなる町、何年かで飽きられる町、その違いが今問われている気がいたします。


やはり外部サポーターが大事

金澤

 「暮らす、歩く、楽しむ、招く」から広がる話題になってきました。先ほど吉野さんが外部サポーターの重要性を指摘されましたが、小布施が活気づく原動力になったのも、ある一人のアメリカ人女性の活動でした。ケースバイケースではあるでしょうが、外部から資本を持ってやってくるのではなく、アイデアや思いを持った人が町にやってくることで、町が活気づくことをどう評価すべきか。「地元中心」が今日のテーマですが、それをさらに発展させていくとき、外部の人たちとのコラボレーションで次の発展形態は出てくるか。これを皆様にうかがいたいと思います。

吉野

 私が外部サポーターの重要性を言いだしたのは、地元の人は地元のことを案外知らないという背景があるからです。また知らないだけでなく、多くの人と交流するというニーズや契機がない。現状維持でいいじゃないかという意識の方が多いのです。

 例えばよくある構図としては、商店街は大勢の人に来て欲しいし、町の活性化を望んでいるのに、回りの住宅地の町会や住民組織は「それは困る」と反対されます。この対立の構図は、日本中、至る所で見られることです。

 私が気になるのは、商店街・住宅地も含め、そこに住む人々はどんな町を望んでいるのかということです。小布施は確かに観光を目指したわけではありませんが、今や年間何百万人がやってくる立派な観光都市です。しかし、そのあり方は本当に住民の望むところだったのか。「小布施は十万人の観光客でいい」という声もあったかもしれない。

 どれぐらいの人が来る町にしたいか。それは住んでいる人自身が決めるべきなのですが、その時に住民の中でいろんなスキルを持った人が、どんどん出てきてくれるかどうかが問題です。

 高槻の例などは本当に住民が素晴らしいパワーを持っているのですが、よその町でもできるかどうかと言うと、私はそれはキビシイと感じます。そこで、私は専門家、あるいはまちづくりファンというような外部の人との交流も大事ではないかと考える次第です。


外部サポーターの重要性もケースバイケース

中村

 金城さんのお話の中で、「大正区で大々的な沖縄ストリートを作ろうとぶち上げる人がいたが、賛同者がいなくてつぶれた。でも、自然発生的に個々の市民が、小さい集まりでやっていく動きがある」との報告がありました。その動きをどれだけ広げるかは「様子を見ながら」とのお考えに、うなずけるものがありました。

 実は、私も里山再生の活動に参加しています。江戸時代の雰囲気が残る美しい農村に月2、3回ほど出かけています。活動は松茸山の再生を目指して木を切ったり落ち葉を集めたりする山の整備なんですが、そんな活動を続けていると、今年は松茸が採れるようになったんです。喜んでニュースレターで大々的に報告しようとしたら、「ちょっと待て」と周りに止められました。「そんなこと書くと、人が沢山来てしまうじゃないか」。だから本当は10本ぐらい採れたところを、「2本見つかりました」と小さくして書いたんです。

 地元の人は人が大勢来てくれたらいいってもんじゃないのです。これは大事なポイントです。自分の地域の豊かさを誇らしく語りたいという気持ちもあるのですが、ある程度人を選びたい。つまり「友」と呼べる人たちに来て欲しいのであって、松茸泥棒やゴミを捨てに来る人には来て欲しくないのです。被害が大きいですから。でも、その地域に関わりを持ちたいという「意思」を持つ人には来て欲しい。だから、外部サポーターの重要性もケースバイケースでしょうね。

 こういう気持ちからスタートするのが基本ですが、活動がうまく動き出すと、イベントなんかもして、もっと発展させたいという気持ちも当然出てきます。それはそれで成功したらいいとは思いますが、おそらく大半のまちづくり観光は少人数の受け入れでお互いに満足でき、持続できるのではないでしょうか。


地元の人がきちんと選択できることが必要だ

茶谷

 外部の人が力を貸そうと言っているんだったら、そりゃ外部のパワーを利用すればいいんです。ただしね、危険なのは外部の人に全部お任せして、その企画通りに動かないといけないような事態に陥ること。そんなん、外部パワーの利用じゃなくて、単に企画の売りつけ、押しつけですよ。

 地元の人がきちんと選択できて、自分たちのパワーを発揮できるようなことで知恵を貸してくれるなら、大いに外部の人たちと一緒にやるべきだと思います。これはそんなに難しいことではないはずですが。

金澤

 主体性は常に地元にあるということですね。

茶谷

 問題は、残念なことに地元に、そういう意識もパワーもない地域が多いことです。だから、外部の人がイライラして考えの押しつけになってしまうこともあるのでしょうし、「仕事でやっているから、この町はもっている」という事態もあるでしょう。

 町が自ら立ち上がれるかどうか、全てはここにかかっています。自ら立ち上がれない町、「誰もやってくれないんです」と嘆く町は、沈んでいくしかないです。

 大阪の都心部で「地元の人が動かない」と吉野さんは言われましたが、私の聞いた範囲では、みなさんかなり気付いたようで、いろんな所で活動されてるようですよ。

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