茶谷さんから「専門家が、なんだかんだと地元に押しつけるのは大きな間違い」とご指摘がありましたが、私どものようなまちづくりに関わる専門家は、都市観光においてどんな役割があるのか。今度はその点を考えてみたいと思います。
まず、我々は「地元主体」の観光まちづくりの手助けをする存在です。それはハードにとどまらず、ソフト面に及ぶこともあるでしょう。町に眠る様々な資源の発掘、プロデュース、プランニング、デザイン、コーディネートなど、様々な仕事の広がりがあるはずです。
自分の町のことに無関心で隣に住む人のことも知らない、だから道路がどこに出来ようが、ゴミの回収日が一日減ろうがどうでもいい…と言ってすませていたのが20世紀の大多数の市民です。行政に対する間違いとも言えるような信頼感、対して個人では何もできないという無力感が合体して、今の都市が出来上がりました。しかし、これからはそうはいかない。
自分たちの町の環境にちょっとずつでも関心を持ち、地元と関わりを持つことを求められるようになってきました。今は地元の人たちが、自分たちで考えながら動き始めたところだと思うんですね。
そんな状況でプロは何が出来るか? 今の流れの中で「私の言うことが正しいから、これをやりなさい」と押しつけてくるプロなら、そんなプロはいらないと私は思います。そうじゃなくて、求められるのは「これをやったらこういうふうになる」と予測できるプロでしょう。だから、プロの役割はとても難しいものになる。名医と呼ばれるお医者さんのように、相手の立場に立って話ができ、かつ相手の要望をよく聞いて、ダメなものはダメときちんと説明できるプロでないと。
長崎の例で言うと、私の役割はプロデューサーでした。普通なら「総合プロデューサー」という肩書きになるのですが、私はそれをせず「コーディネート・プロデューサー」という訳のわからん名前を発明して肩書きにしました。つまり、「地元のみなさんが主体となってやるんですよ。私はそれを調整するだけです」という役割に徹したんです。もちろん調整すると言っても、意見が対立するとどちらかを選んだり、何か問題が起きると解決のための示唆をするという場面はあります。しかし、まず市民の意志があって、それを実現したいと思う所でしか物事を発生させなかったのが基本的なあり方でした。
市民主体で動くと、プロの目から見て物足りないことは山ほどあるんです。ただ、720万人もの来訪者が来るという山を動かしたような成功は、市民自らが考え、自分たちで動いたことに尽きます。
高槻のジャズストリートの例を聞いていましても、やはり市民主体でやると、プロが手がけるのとは色合いが違うと感心いたしました。私もあちこちでジャズフェスティバルをプロデュースしましたが、高槻の北川さんには正直負けたと思いました。
なぜ違いが出るかと言うと、プロはまず金勘定から入るんです。もちろん私も工夫はしています。舞台づくりでも、舞台のプロに頼むと高いから大工さんに頼んだりしています。それでも、高槻のようなことは出来ないんです。プロは最初にお金の計算をしてから全ての構造を考えますから、500万かかるステージ作りを200万にすることはできる。でも「みんなで作ろうよ」という方向に持っていく発想はできないです。
やはり、「自分たちがやりたい」という所からスタートしてないと絶対できないことでしょう。その軸の違いを、我々プロも認識した方がいいと思います。だから、我々としても、できることはお手伝いすればいいけど、余計な手出しは止めたほうがいいというのが私の実感です。
今日いろんなお話を聞いていて、民主主義は変わったという印象を受けました。自分で動き、自分で作る市民が出てくると、民主主義は変わらざるを得ないでしょう。じゃあ、専門家は何をすればいいのか。デザイナーだけでなく行政の人も役割は変わってくるのでしょう。今思うことは、「多分それなりの役割はあるんだろうなあ」ぐらいです。
今日、午前中町歩きをして岸和田城を見ました。ここは重森三玲が作ったお庭があることでも知られています。作って40年以上経ってますから、そろそろ文化財になってきたと思うのですが、こんなふうに完成された形を作ることはプロの役割の一つでしょう。
またこれから求められるプロの役割として、表面的な景観を整えるのではなく、町の勘所、ポイントを言い当てる能力ではないかと考えています。勘所をどう整備していくかは、今みなさんが指摘されたように市民主体で考えていけばいいのです。
もう一度岸和田を例にとると、岸和田城と本町の間には大きな府道がありますね。これは百間堀と言われた城のお堀を埋め立ててつくったとの説明を受けて、「ああ、だからこの道路が城下町の印象を弱めているんだ」と思い当たりました。岸和田城と本町には素晴らしい歴史的な資源があるのに、府道がそれらを分断して個性のない淋しい景観になっています。僕はここがこの町の「勘所」だと思った次第です。本腰を入れて街路樹を育てるとか、百間堀の記憶を何らかの方法で継承するとか、この空間を再生する工夫を岸和田のみなさんで考えてはいかがでしょうか。
こんな風に町を構造的大局的に見て、アドバイスすることがあれば専門家として言う。こんな役割がこれからのプロに求められるような気がします。何か弱々しい物言いで申し訳ない!。
中村さんの少し弱気な物言いでしたので、私はもうちょっとプラスして言いたいことがあります。
都市環境デザイン会議のメンバーは、建築家やランドスケープ、土木、造園の専門家の集団です。つまり、最終的には設計の仕事で収入を得ることになります。だから設計につながるような都市の話題、まちや行政との動きを早くつかんで、将来のビジネスチャンスを作りたいという意識が、大多数のメンバーにあります。
現実に、そういうものがまちづくりの仕事としてもたくさんあります。大きい事務所になると、区画整理、再開発でガサッと儲けることもあります。要するに、我々の収入は公共事業から将来出てくることになるので、まちづくりに関わっていることが多いのです。
しかし、最近は再開発や区画整理などのハードな仕事は動かなくなって、ソフトの仕事が多くなりました。正直に言うと、ソフト部門の仕事が好きな人が増えたのではなく、そこにしか仕事がないというのが現実なのです。
ただ残念なことに、今の日本ではそうしたソフトの仕事、例えばコーディネートなどは確立された職能になっていません。茶谷さんのお話でも分かるように、まちづくりにおけるコーディネートの役割は重要なのですが、公共の発注仕様書の中にコーディネートという業務はありません。調査や設計業務で直接人件費が○人日、図面○枚という項目はあるんですけどね。
こんなのを見て、昔「我々の仕事って、(報告書の重さを)グラムで計られてしまうもんなんだな」と笑ったことがありますが、最近のまちづくりの仕事は「まちを動かして欲しい」とか「スポンサーを探してくれ」などの要望が増えて、コンサルタントの仕事の質がどんどん変化してきているのです。
ですから、本来の職種が建築であれ土木、造園であれ、新しい仕事にもプロとして結果を出し、プロとしての評価をしてもらって、市民・行政に職能として認知してもらいたい。それを理想の姿として、目標にして、私も認めてもらえるよう活動せねばと思っている次第です。
つまり、これからがまさにみなさんの時代と言えるんじゃないでしょうか。仕事の発注者が公共から市民に変わるだけです。これからは市民のみなさんが、自分のまちを見つめて「ここを、こうしたい」と思うんですよ。ただ、思うんだけど、どこから手をつけて良いのか分からない。そうすると、みなさんのお知恵を借りたいというふうに動いていくんじゃないかと思います。
今までは行政がまちづくりの発信源で、行政は知恵がある存在だという前提に立っていました。公共の事業は「こうしなければいけないんだ」という所から始まって、プロのみなさんに相談し、最後に市民に向かって「これでやります」と宣言する順番になっていました。そんなやり方で作られたものは、どうもエネルギーが注入されなくて、出来たものも生かされていないという最悪の状況のものが多いのです。
大阪で大変な苦境に陥っているビルの数々も、結局行政が生かし方を分かっていなかったと思うんです。生かし方の議論を全然しないで、「お金が足らない」だの「赤字がこれだけ」の話ばっかりになってしまうのも、事業が発生した順序が逆転していたからと言えるんじゃないでしょうか。さらにマズイことに、そのやり方を未だに修正できていない。
でも今後は、そのやり方の事業はやれないでしょう(今はまだ、そちらが多数派ですけどね)。市民主体の事業が増えて、そこにみなさんが手を貸していただくと、もっと素晴らしいことが出来るのではと思います。現に外国の町のリニューアルや再開発の現場では、市民主体の公共事業の方が多いですよね。
金澤:
みなさんありがとうございました。質は変わっても、今後もまちづくりの仕事はありそうだとホッとしたところで、会場からのご意見やご質問をお受けしたいと思います。
3。都市プランナー・デザイナーに期待される役割とは
動き始めの頃に、手助けできるのでは
金澤:
高槻や長崎さるくのように、人のエンパワメントが一度うまく転がりだしたら成功しますが、その出だしがなかなか難しい。地元の人たちがきちっと意識を持ってやろうとしても、うまく転がり出さないことがあります。その出だしのところで我々は何か手助けできないでしょうか。
お手伝いはしても、余計な手出しはしないこと
茶谷:
景観の勘所をつかむ能力は専門家ならでは、なのでは
中村:
コンサルタントの新しい職能を世間に認めさせたい
吉野:
これからは市民が発注者になる時代
茶谷:
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