2番目は市が決めた事に対してどのように捉えていったら良いか、です。今日発表して頂いた小西さんも谷口さんも本当に京都の最先端、もしかしたら日本の最先端のまちづくりをされているかもしれないという方です。
では本当に今のままでボトムアップでやっていけるの?という所をもう一度投げかけてみたいと思います。小西さんいかがでしょうか。
小西:
修徳学区は、五条から御池までのいわゆる職住共存地区の一番南側にあります。新町通りでもずっと北へ歩いて行きますと、何か我々の地域と違った公家風、あるいは武家風の建物、土塀が多くなるとか、そのようないろんな風景がございます。
やはり抽象的にこういうものが良い建物だとか、和風の建物だとかということでは、修徳学区に住む人達の納得が得られないのではないか。修徳学区の歴史的人物の関係とか誇りに思えるようなことを頭に描いて町並みを良くしていこうという動きが大切です。やはり自分達の地域の中の建物で「これはいいな」と思う物を選んでいって、その中からモジュールその他を組み合わせていくということが重要ではないかと思います。
実は先ほどお話しましたように「修徳文化財」というのを選ぼうじゃないかということになったんですが、これは江戸、明治、大正、昭和それから戦後、平成にかけてのいろんな建物の中で、特に皆が残したい、いいなという建物を、まちづくり委員会の街並み部会で一人10点の点数をもちまして、候補を選んでいくということをやり出しています。
候補を選んだ後で、その通りの人達に、ワークショップの形でもいいんですけれども、その中から良い物を、皆が納得できるものを選んでもらい、そういうものを残していく。それからそれらの中でのモジュールを組み合わせていって、一つの「平成の町屋」というのはどういうものかを考えていく。
それから、あまりダメダメ言うと叱られますので、そういう言い方はしないのですが、増改築、あるいは建て替えられる場合には、やはり「平成の町家」と言われるようなもの、あるいは明治の洋館の感覚で建てていって頂く、そういいうふうな事を考えています。
ただ、アンケートしてみなければわかりませんが、80%が「和風」がいいと考えられている方がいて、20%が洋館であれればいいんですが、80%に洋館にしたいと言われるとこれはまた大変です。その辺の規制はどうするのかということは、アンケートを採ってから考えなければならない問題だと思っています。
藤本:
ありがとうございます。確かにそうですね。80%の人が洋館を建てたいと言われたらどうしましょうという感じです。まだまだ調査中という事ですが、この前ちょっとお伺いしましたら、相談窓口もつくられているとか。これからつくっていかれるんでしょうか。
小西:
我々は建築に関しては全くの素人ですし、ほとんどの学区民が素人だと思います。それで建築関係の方、府の建築士会の援助を得まして、建築分科会を創ろうとしています。
きっかけはリフォームサミットでした。命を守るために耐震補強をしなければいけないのに、学区の皆さんはほとんどしておられない。やはり、そういうことをいつでも相談できる窓口が必要だということで、専任の人間を置いて建築分科会を立ち上げようと、今計画中でございます。
藤本:
ありがとうございます。修徳さんは、「すまい・まちなみ部会」と「まちづくり委員会」を連合自治会の中に設けられています。具体的に活動されていると言うことでした。
でも地元の方だけじゃなくてプロのサポートもあり、まちづくりセンターからのサポートもあるということで、具体的に動いていっているのではないかと思います。
それでは、谷口さんお願いできますか?。
谷口:
市民参加という立場でお話をさせて頂こうと思います。
私達の住んでおりますのはわりと繁華街に近い所です。既存の家の高さは2階くらいで、新しく建て替えた人は4階くらいなんです。旧新は2階、4階、2階、4階とでこぼこな町なみになっています。そこに突如来たマンションは何故か11階で、がちゃがちゃとなってしまって、ここで調和をはかることは難しいですね。
「まちづくりって何なんやろな」と考えると、やはりそこに住んでいる人が自分の住んでる地域を誇りに思えて愛着を持って、そこにずっと住み続けてみたい、ここは良いところだ、と思えるような街をつくっていくことだと思います。
先ほどからのお話ではわりと形ばかりおっしゃっていますが、私達がこの運動を13年間やってきて思うことは、やはりそこに住んでいる人が我が町を美しい街にしていきたいという「意識」を持つか持たないかだと思うんです。
地蔵盆のときに行灯を並べてもらうことによって皆が繋がり、あるいは表に花を添えることで通りを歩く人をもてなしたりということ、それから不法駐輪をやめてもらったり、落書きしてみようという気にさせない事は、やはり普段のそういう積み重ねなんじゃないかと思うんです。
日頃から皆さんとコミュニケーションを密にして、もし建て替えるとしたら、やはりこういうものが好まれるだろうな、という暗黙の意識を持ち合えるかどうかということだと思います。そう言う意味では長い継続した運動が必要だと思うんです。
より広い範囲で、世代を継いでいくために、京都御池中学校とも協働しています。中京もえぎ幼稚園の園児が行灯の絵を10年間ずっと描いてくれています。10年前の幼児が今は中学生に成長しており、その子供がまた来週の月曜日に姉小路界隈の勉強をさせてくれ、と言うのです。何を勉強するのかと聞いたら、古い建物の活用法、それから町家とは一体何だということを、自ら勉強しようと言っているわけなんです。
今度は面白いんですよ。マンションの子もいるし、町家の子もいるし、転校してきた子もいるだろうし、どんな子がくるかわからない。とにかくその子に街を見せて、町並みをどう思うのか、古い建物をどう思うのか、そういうことをずっとこれからやっていかないと、なかなか町への思いが定着していかないのじゃないかと思います。
だから市民参加を本当にやるということは、実は10年20年ぐらい腰を据えてやるということが大事だと思います。
藤本:
ありがとうございます。13年続けて来られたら幼稚園の子が中学生になるんですね。そのうち大学に行って先生になった元幼稚園の子が来て、まちづくりをする時が来るかと思います。
ところで松田さん、市はウェルカムですよね?ボトムアップでのまちづくりは。
松田:
もちろんです。
藤本:
川下さんが関わられてますが、市が事務局をして景観デザイン協議会がおかれているという事ですけれども、これは残念ながら市民とご一緒というわけではないんですね?。
川下:
冊子にも書きましたけれども、市民の方は協議会には参加されておらず、設計者と学識経験者の方だけです。ですから市民全体の意見を反映できるかという問題点はあります。しかし、私は今の段階で市民が京都市全体のデザイン基準をどうするかという論議に参加されるのが良いかどうか、わかりません。別に能力があるないという話ではありませんが。
ただ、検討した結果をいかに各町内におろしてその地域の住民の意見を聞くという作業は欠かせないと思うんです。私は三条通で仕事してるので、谷口さんの活動もよく存じ上げていて、そういう意味では素晴らしいと思うのですが、谷口さんのやっておられるような運動団体が、自分の街のデザインをこうするんだというようなことを、そう簡単には決められないと思うんですね。その点では、我々専門家や市の担当者が検討して、案をつくって、住民の意見を聞くということだと思っています。
松田:
一言ですませましたので補足します。
ボトムアップなくして共通認識とそれに基づく景観づくりというのはおそらく出来ないだろうと思っています。
説明の中でも今回の「デザイン基準」は枠組みを提示したと言いました。この枠組みで全て綺麗な物が出来てくるとは思っていないわけです。その枠組みの中で、地域が自らの事として考えて頂かない事には、良いものは生まれてこないという認識をしております。
そういう地域が自らの事として考える事は当然あるとして、景観デザイン協議会にお願いしておりますのは、今回提示させてもらった12地区・76地域の基準、基準というよりも私自身は地域別の方針と思っていますが、その再度のフィールド調査による見直しです。その結果、より細分化していくとしても、これがすぐに強制的な基準につながるかどうか。どうだろうなと私自身は思っています。
「デザイン基準」という言い方を地域のルールを表す言葉として使うときには私は問題を感じないのですが、京都市が「デザイン基準」という形で一つの規制をしていく行為として捕らえると、どういう枠組みを持っておくべきなのかが問われると思います。
ですから地域の将来像に向かって、この基準を使う手法としてはどの程度にしておきましょうという議論が大事です。その手法としてこういう規制的なものを使っていくというのはどういうことか、ここのところの関係性がよく分からない部分もあります。その辺りを今専門の設計をなさっている方に聞いているということです。
ですから、ボトムアップなくして良い景観が出来ないだろうというふうに、もちろん思っています。
藤本:
ありがとうございます。今、枠組みはつくったけども、それを地区の将来像に向かってどう使っていくかかは、まだこれからの課題だというお話ですね。
そのあたりを最後のテーマとして話して行きたいと思います。
ところで、田端先生、質問をまとめていただいておりますが、関連したご質問・ご意見はございますでしょうか?。
田端:
皆さん方から頂いた質問を拝見させて頂き整理をしています。
とりあえず中村さんから谷口さんへの質問です。お話の中に出てくるマンションが高い建物で、もう一方の大阪ガスの方は頑張った。これは何故一つがダメで、もう一方がは良かったのか。それは何故ですか?ということなのですが。
谷口:
大阪ガスさんも最初はなかなか手強かったのです。実は、かつての仇敵が横におります(笑)。かなり激しく、マスコミを使ったり、ビラをまいたり、社長さんにも直訴に行ったりしました。
大阪ガスさんはさすが公益企業でして、ここで強引に建てると大阪ガスの企業イメージを著しく損なうと考えられたんでしょう。ですので一旦これを白紙撤回されるという形をとって、もう一回しきり直しということになりました。
そのときは京都まちづくりセンターの寺田さん(現・景観創生監)が仕切り役でした。京都大学の助教授だった高田光雄先生にもお世話になっています。
これはさすがに良いものができようとしていたのですが、その6m50cm向かい側、柳馬場通りを挟んだ所にとんでもないGマンション計画が再発しました。顔写真入りの販売パンフレットは京都大学建築学科の現役教授です。
この人がとんでもない物を設計しようとするときに、分割案など地元要望を少しでも聞き入れるように指導をお願いしたんです。アーバネックスとの17回の協議にずっとかかわっていた寺田さんにも。
こんなことが許されるようでは、せっかくアーバネックスさんや地元が協力しあって、全国モデルとなるような、日本中にむけて自慢できるマンションがここでできるという矢先に。
何故たった6m50cmしか離れていないところで巨大な屏風として立ちはだかり、かつ地域のコミュニティーまでも分断するようなものが許されるのか。それは社会的に裁かれるべき建築物とまで言ったのですが、京都市はそれを調停すらできなかったんです。
そうこうしているうちに、今度は御池通りにR(リクルート)マンション計画がどーんと転移して来たわけですね。今度は京都初の高さ45mです。アーバネックス三条の向かいのGマンションにしても御池通りのRにしても、これは事業主の経済性を最優先させて、地域の日照、眺望といった生活環境を犠牲にして成り立っているわけです。外部の事業者による売り逃げ、建て逃げというやつですね、まさに。
アーバネックス三条では日本一のモデルを実現しておきながら、法の網をくぐり抜けたかのようなG、R両マンションを京都市が指導できなかったからといって、京都市だけを非力と僕は言い続ける気ではありません。そういう機運、時期がまだ社会的に熟成していなかったという事だと思うんです。
その頃建設省本省から、岸田里佳子さんが京都市に出向してきました。彼女も一緒になって「歩いて暮らせるまちづくり」運動を進めていき、歩くことによって京都を見直そう、京都の交通問題を考えよう、自転車も考えよう、景観の事だけじゃなくて京都の事をもっと広く考えていこうという機運が芽生え始めたように思いました。
彼女が東京に帰っていって、「全国に先駆けて京都のために一生懸命法律をつくっているわよ」と言っていましたら、本当に景観法が出来たわけですね。こういうふうに景観法が成立するまでに4〜5年、あるいは5〜6年の期間がかかったというわけです。
で、今は門川さんが新しい京都市長です。その門川さんがこんな事を言ってられたですよ。「谷口さん、時代が変わったなあ。ワシも住んどるあの二条城の前なあ。法律的に何も出来なかったあの時は、ワシ困ったわ。そやけど今こんなに世の中よくなってきた。これから思い切り美しい京都を創る」と、こうおっしゃるわけです。
ですからやはり市民なり国民なり、つまり多くの良識ある人々が日本人の心のふるさとである美しい京都をつくっていこうという、そういう気持ちが成熟してきていると僕は思うんです。
姉小路通柳馬場を中心とした3つのマンション建設の経過が京都都心部におけるマンション問題を物語りますが、ここまで来るまで7年から10年という歳月がかかったわけです。
そこで大事な事は、私達が、反対したりその経過に対して、みんな眼を見開いてくれ!と訴えた事を、やはり見ている人は見ていてくれて、これはおかしいな、京都をなんとかしなくては、と思う気持ちとなって加わって、うねりとなって、社会の価値観を改革していくような原動力となったんだと思うんです。
最初はごく少数でありましたが、言い張っていた事が日本を変えていく、景観を変えていく、そのきっかけの一つになったと思うんです。ですから、ちょっとしつこいですけれども、やはりまちづくりということは「やり続ける」という事が大切で、それが、きっと美しい日本の京都、美しい世界の京都を具現化できるというふうに僕は考えています。以上です(会場より拍手)。
藤本:
拍手が起こりましたね。ありがとうございます。もう谷口さん達の活動が日本を動かしたというふうにも聞こえましたけれども(笑)。岸田さんは、国土交通省の方から京都市の職員に出向で来られていて、戻られてから景観法をつくる時に尽力された方です。
本当に機運も、やはりボトムアップでですね。
大島さんのお話を伺ってまして、これもボトムアップのまた違うやり方だと思いました。その辺りも少しお話しいただけますか?。
大島:
先ほどの谷口さんの熱い話の後でしゃべりにくいですが、まあ我々も先ほどの開発業者と同じように、牙を剥いて売り逃げをしていた方です。まあ僕より左側の皆さんは皆そうだと思うのですが(笑)。ただやはり時代がそういうふうに変わってきていました。
当時は2000年でしたが、太秦という場所が我々にとってどういう場所かわからなくて、また58件というそんなに沢山の物件を扱った事もなかったので、何か我々も考えなくてはというときに、ちょうど景観まちづくりセンターから一度コンペでやらないかというお話がありました。
最初の頃は開発業者とその購入希望者だけの審査の予定だったのですが、それを公開審査にしましょうということで、オープンで投票しました。また町内会の方と一緒に周辺の街歩きをし、設計段階の案が出る前から設計者と一緒に歩いて、ここにこういう施設があるよ、というような話を皆でしながら、出来上がった企画を皆で審査しました。
我々は昔からよく「落下傘部隊」と言われていました。飛行機から落下傘を落としてそのまま逃げていくというふうな意味で落下傘部隊と呼ばれるわけですけれども(会場笑)、さすがにそういう事業形態をいつまでもやるわけにはいかないわけです。ですから我々も一緒に地域の方と話をしながら購入希望者との間をとっていったということです。
今日お話しさせて頂きたいのは、やはりこういうまちづくりを我々民間だけでやるというのは、泣き言ではないですけれども、大変な労力と時間とコストがかかってしまいます。また我々にそういうノウハウもないものですから、それをコーディネートしていってもらえる人として、やはり行政であったり景観まちづくりセンターに期待したいと思っています。
ありがとうございます。コーディネートという事で重要なテーマを頂いたかと思います。
皆さんのお話を伺っていますと、やはり市民活動やボトムアップの努力は長年続けられるということが大事だろうと。そして、それに対する行政の理解とサポート、専門家のサポートも必要だろうと。また民間業者も落下傘的な事業をするのではなくて、地域と一緒にやっていこうという話だったかと思います。しかしそれをコーディネートする役割をどこかで担って頂けたらなという話だったかと思います。
私事で恐縮ですが、私も大阪の吹田市というところでまちづくりをお手伝いしているのですが、地区計画のかかっている駅前開発で、マンション計画がいくつか上がってきたんです。そのときに吹田市が事務局で、まちづくり懇談会というものを立ち上げました。そこで議論を3年くらいしました。その中で30階くらいのマンションを落下傘で持ってきた業者さんは、周辺の人達の意見を聞いて22階にされました。また別の22階の建物は12階くらいになりました。
つい先日、吹田市で景観計画と条例を変えていこうということで、一般の方に説明会をしました。ちょうどその12階のマンションの住民の方が来て下さったんです。その方とお話していましたら、自分が新しく住んでいる街をすごく気に入っているっておっしゃっるんです。実はこのマンションは周辺の住民の方と一緒に議論して造られましたというお話をしましたら、いたく感激されました。お互い感激したわけなんです。
このように長年活動を続けていると、街に住んでる方の意見も聞けるでしょうし、幼稚園児だった子が先生になってやってくるとかするわけです。まちづくりは大変ですけどね、夜に会合があったりして大変ですけれども、長年、続ける事に意義があるのかな、それが結果的にはボトムアップに繋がるのかなと、だんだん確信を得てきたところです。
第二の問題提起 「ボトムアップのまちづくり」
●修徳ではどう実現しようとしているか
藤本:
●姉小路ではどうか
藤本:
●市や景観デザイン協議会のボトムアップへの考えは
藤本:
●景観法も機運をつくったのも市民からのボトムアップ
藤本:
●ビルダーの関わり方、行政への期待
藤本:
●長く続けることがボトムアップに繋がる
藤本:
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