JUDI関西 「アイデンティティとまちづくり」
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はじめに

大阪大学

鳴海邦碩

顔写真

 コーディネーターの大阪大学の鳴海と申します。

今日はテーマがアイデンティティとまちづくりということでございます。

午前中のエドワード=レルフさんから分かりやすく多面的なお話がございましたので、 このパネルでお話頂く皆さんは何を話したらよいか随分悩んでられるかも分かりません。

   

 先ほどレルフさんが最後に、 これから環境をつくっていく上で、 こういった観点を重視すべきではないかという二つの点をおっしゃたように思います。

   

 一つは、 場所の内的な資質といったものに着目しないといけないという事です。

それから人々が共有する場所の特性という二つの事をおっしゃいました。

それに引き続いて三人の方が、 それぞれの考えに基づいてまちづくり場面で、 場所性とかアイデンティティについてどういう考え方をしたらいいかお話いただいたわけです。

それを聞きながら私の方でこういう考え方がちょっと話の中に抜けていたのではという事を若干付け加えまして、 皆さんにお話していただくことにしたいと思います。

   

際立った場所は厳然とある

 先ほどいろんなお話がございましたけども、 際だった場所がやはり存在するのではないかと思うのです。

例えばエベレストの頂上というのは、 みんな頑張って登りたい場所ですね。

あれはみんなに知られている非常に世界的な場所でありますから、 レルフさんの話によれば没場所性(Placelessness)という事になるかも分かりませんが、 そこはやはり厳然として場所です。

あの場所に大きな苦労しながら登っていく、 そういう人がいるということを考えますと、 あの場所の意味というのも、 重たいものだと思います。

そういう場所もあるのです。

   

場所を読み解く

 それからもう一つ、 ノマドという遊牧の民があります。

ノマドの人々は、 一定の領域を一定のルートで遊牧しているのだという研究があります。

彼らはいろんな場所に行って生活のために場所を読んでいるわけです。

広い地域をあたかも自由に動いているようですが、 実は動く空間の枠組みというか、 そういうものに従って暮らしているわけです。

ある特定の場所にたどり着くと、 その場所を読み解かないと生きていけないという、 定着している人とは違った生活をしているわけです。

   

 それから発展して考えれば、 都市民というのは流民的な存在であって、 必ずしも一定の場所に定住しないということがあります。

ですから都市に住んでいる多くの人々は、 いろんな場所に移り住んで、 読み解くべき環境を発見しているわけです。

読み解くことによって面白さや楽しさがでてくる。

   

 旅行に行くときは、 読み解きやすい場所を探す、 あるいはよく知られた観光地に行くというのが、 旅行の民の場所の選定の仕方ですが、 我々都市に住んでる者の多くはもう少し期間は長いけれども、 同じように流れているという事があるわけです。

   

 遊牧民の場合は自然が相手ですから、 自然が提供してくれた環境を読み解くということになります。

ところが、 都市の環境というのは、 誰かがつくったまちを読み解いて利用していくという構造があるわけです。

そういう観点から考えると、 誰がつくって誰がそれを利用するんだろうかという、 あまり今日の話題には出てこなっかた、 そういう局面があるのではないかと思うわけです。

   

移植された文化としての個性

 それから第二点として、 移植された文化としての個性といったものがあります。

私は今インドネシアの事をいろいろ研究していますが、 インドネシアはヨーロッパ、 特にオランダの植民地でしたので、 都市の中心的な場所には必ずオランダの建物があります。

これは一体インドネシア都市のアイデンティティとどういう関係があるかを突き詰めていくと、 あれは支配のシンボルなんです。

ですけれどもインドネシアの人々は、 多様性の中の統一という新しい概念で、 そういったものを自分たちの環境の中に取り込んでいこうということを始めだしたわけです。

   

 そういったことは考えてみればいろいろな所にあります。

例えば、 かつてのドイツでは、 建築や都市計画をやる人は、 イタリアに必ず行かないといけないということがいわれました。

ほとんどコピーのようなまちづくりを、 イタリアを手本に学んだわけで、 それが未だに国民の生活の中にも生きてるといいます。

そういう状況があるわけです。

   

 遠く離れたヨーロッパとかアメリカを参照しているかも分かりませんけれど、 日本は外から持ちこまれて本当に定着しているものを持っているでしょうか。

移植される文化の中に個性というものが生まれる可能性もあるわけです。

そういった時に今、 この新しい産業的な背景の中で、 産業が生み出すものを定着させて個性として使う可能性もあるかもしれない、 そういう課題も一つあるのではないかと思うわけです。

   

外からは見えないアイデンティティもある

 それから三つ目は、 これはアラン=ブースという、 もう亡くなった人ですが、 20年位日本にいて太宰の『津軽』という本を持って津軽とか日本のいろんな場所を歩いた、 そういう変なイギリス人がいます。

彼は日本のいろんなまちについて書いていて、 京都についても書いています。

京都の町はどこから見ても醜悪であると書いています。

それほどはっきり言われると本当にそうかなと思ってしまいます。

しかし彼はその中で、 「京都の町の良さは細部にある」と書いているのですね。

その良さは発見するまでに20年位かかるかもしれないが、 暮らしているうちに分かってくるというわけです。

家の中にそれはしまわれているとか、 そういう事を書いていて、 それが言ってみれば京都の本当のアイデンティティかもしれないわけです。

その外からは見えないアイデンティティというものもある可能性があります。

   

まち壊しにならないまいづくりを

 この三つがこれまでの議論の中であまり強調されなかった点のように思います。

そういった点について一体どう考えたらいいのだろうかということも、 考えていただければと思います。

   

 つい先日ある震災復興に絡んだ会合で、 復興まちづくりはいいのだが、 まちづくりをまち壊しにしてほしくないということを主張された女性がおられました。

まちづくりという名前はいいのですが、 失敗するとまち壊しになってしまうわけです。

まち壊しをしないまちづくり、 そういうまちをどうやってつくるかということが、 今日のこのパネルの背景にあるテーマではないかと思います。

必ずしも震災に触れる必要はございませんが、 その点を一つの視野に置いておきたいと思います。

   

 それでは、 トップバッターで恐縮ではありますが、 佐々木さんの方からお願いします。

   

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