JUDI関西 「全体講評」 by 榊原和彦
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「まちとアイデンティティ」
本日のまとめ

 大阪産業大学の榊原でございます。

5時もだいぶ過ぎましたし、 鳴海先生の今のまとめもあったので余りしなくてもいいんじゃないかと思うのですが、 まあ、 簡単に済まさせていただきます。

先程井口さんが料理の話をおっしゃいましたが、 もう今日は天丼を始めとして天ぷらのフルコースから寿司まで出た感があります。

ものすごくいろんな話が出て、 私の頭脳の容量ではどうも消化できそうにないなという感じが先程からしております。

非常にしんどい話で、 心もとないんですけれども。

   

 とにかく全体講評なんてということではなく感想を述べさせていただきたいんですが、 いずれにせよ、 今日、 アイデンティティについて(実は今日だけではなかったんですけれども)、 おそらく5つぐらいの話が出たんだろうと思います。

一つはアイデンティティとは一体なんぞやという話です。

それから、 アイデンティティの、 まちづくりにおける意義と言いますか必要性と言いますか、 言葉を変えますと、 「なぜアイデンティティか」という話が数多くなされました。

それから3番目に、 アイデンティティを生み出すのは一体何であるか、 どのようにアイデンティティは生まれるのか、 あるいは創られるのか、 そういう話をこれも沢山いただいております。

4番目には、 まちづくりにおいてアイデンティティをどう創るのか、 また生み出すのか、 ひょっとしたら創るものではないのかもしれないという、 そういう議論も幾つか出ました。

それから、 5番目に全般的な問題として、 まちづくりは、 アイデンティティとどういう風に関わって、 どういう問題なり、 課題があるのか。

大体その5つ位の話があったんだという風に考えられます。

   

「アイデンティティ」とは

 一番目のアイデンティティとは何かということでは、 まず、 レルフさんに、 場所性という事からアイデンティティを論じていただきました。

近年、 例えば「ゲニウス・ロキ」、 英語で言えば、 論じて「genius of the place」という概念で場所論が語られ、 場所が読み解かれたりしていて、 この問題は非常に重要だと思うのですが、 そういう場所論の文脈においてアイデンティティとは一体何であるかという事をいろいろお話いただいたという風に考えております。

   

 材野先生のお話から特に印象に残ったのは、 アイデンティティを規定する要因、 「自己同一性」「オリジナリティ」「個性」「唯一性」「一回性」といった要因をはっきりと指摘していただいて、 アイデンティティの概念が非常に明確になったことであります。

   

なぜ「アイデンティティ」か

 なぜアイデンティティかということについては、 例えばレルフ先生の「placelessness」とか「unplace」とかの言葉は、 それ自体が実はアイデンティティの重要性を示しているでしょう。

材野先生は、 (こういう言葉をお使いにはならなかったんですが)「定位」つまりオリエンテーションですね、 その重要性、 また文化の一回性を指摘された。

上野さんは心の拠り所、 井口さんは「格」という言葉で別の視点からおっしゃっていた。

山崎先生は時間的存在としての人間にとって、 時間の表現というのは必要なんだ、 成瀬さんは存在感というか、 生きる自信を与えてくれるのはそういうものなんだとおっしゃった。

パネルディスカッションの終わりのほうには、 「無くなって初めて分かるアイデンティティ」という話が出てまいりました。

   

 そういういろいろなお話をお伺いすると、 やはりこのアイデンティティという概念でもってまちづくりを進めるということは必要であるし、 非常に重要なことなんだということが分かったという風に言っていいと思います。

   

「アイデンティティ」を生み出すもの

 アイデンティティを生み出すものということでは、 構成物と言いますか、 物質的環境から生まれること(これも自然的な物と人工的な物と両方あるのですが)、 あるいは人、 時間、 歴史、 そういう軸でもっていろいろと在るんだという話が出てまいりました。

   

 また、 いろんなスケールの、 いろいろなレベルにおけるアイデンティティが重層的に重なり合っているということから「捉え方」自体が問題であることがわかりました。

   

 視点、 視座と言いますか立場も問題になって、 内向きとか外向きとかという話が沢山出てまいりましたし、 前田さんなんかの「距離の取り方」で違ってくるという指摘があって、 こういう考え方も非常におもしろいと思います。

佐々木さんは、 体験とか人の個性、 立場によってこれは全然違うんだということを先程のパネルディスカッションでもおっしゃっておられました。

そういうことがはっきりしてきました。

   

 アイデンティティを成立させる要因として、 例えば上野さんの「グローバル性」と「私性」がありました。

おもしろかったのは、 例えば京都や西宮でのワークショップでも出たんですけれど、 歴史というよりは街のつくられた由来であるとか来歴、 そういうものが実は非常に重要であるという指摘でした。

   

「アイデンティティ」をどう創るか

 そして、 4番目の、 どう創るか、 生み出すかという話では、 例えばレルフさんはバランスということを言われ、 手法として「conservative surgery」つまり「保存的外科手術」ということもおっしゃていました。

あるいは、 今申し上げた、 アイデンティティが物質的環境から生まれる、 人から生まれる、 時間が問題だということに関連して、 例えば環境ということでは「共有できるテキスト」とか、 地形の持つ空間秩序であるとか、 外のランドスケープを引き込むとか、 そういう手法が提示されました。

発言された方のお名前は省略させて頂いております。

「人」では、 人がいないからまずいんだとか自立的能力の問題とか専門家の役割とか。

「時間」ということでは、 とにかく時間をかけて造るんだというお話。

もう少し基本的なところでアイデンティティは目標ではなく結果なんだという大塚さんのお話も出ました。

ただ、 私は、 目標・ターゲットではなくて、 目的・オブジェクティブとして、 基本的な、 大まかなところでは置いておいていいんだろうという気がします。

   

まちづくりに関わる「アイデンティティ」の課題

 課題に関しては、 レルフさんのアイデンティティは蝕まれるという指摘がありました。

商業性とアイデンティティの問題も出ました。

あるいは、 純粋培養の都市ということの問題点。

これに関連する話ですが、 ブロードベントという人が「Emerging Concepts in Urban Space Design」という本を書いていて、 その中でインスタント・シティという言葉を使っています。

そのインスタント・シティの問題点を色々述べていて、 まさしく子供の教育に問題があると言っています。

ただそれは、 今日出た話の自転車が怖いとかという事もあるんですが、 歴史とか文化との繋がりとかそういう様なことが無い、 それは非常に問題だということが語られている。

そういう問題がここでも有るんだということを改めて思ったわけでございます。

   

 余談ですが、 先程、 鳴海先生のお話の中でラス・コリナスのお話が出ていて、 サンアントニオの真似だとおっしゃっていたんですが、 ブロードベントはラス・コリナスは非常にいいんだという風に、 唯一か、 二つぐらい褒めておりまして、 それは要するに自然との関わりと言いますか、 自然的なコンテクストを上手に取り入れた街、 だからあれは良いんだとその中では言っていたので、 先程おもしろいと思いました。

   

 その他に例えば移植された文化、 コピーの問題を鳴海先生は指摘されておりました。

そういう、 まちづくりとの関わりにおける問題点、 課題がいろいろある。

以上のように、 極めて多様な問題があったということが、 まとめにはなっていないんですが、 まとめとして言えます。

   

 そして、 江川さんが一番最初に、 アイデンティティは、 まちづくりに関わる様々の事業者、 計画者、 デザイナー、 暮らす人々の間で共有することのできる社会性の有る概念になり得るかということが根本的な問題意識として有るんだという風におっしゃったんですけれども、 今までの話を総合しますと、 先程の鳴海先生の「親のありがたみをどう教えたらいいんだ」という話が有るにしても、 アイデンティティを問題として捉えるやり方そのものに間違いはなく、 非常に可能性のある概念であるという風に考えられるわけです。

   

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