私は草津に住む者としてアイデンティティを考えてみたいと思う。
旧東海道はご存じの通り、 江戸と京・大阪を結ぶ日本一の街道である。
さらに東海道と、 木曽・江戸へつづく中山道が交わる宿であり、 全国的交通網の要衝であるとともに、 地域交通の拠点として重要な位置を占めていた。
草津宿は、 鍵型の、 長さ約1.3キロの町並みをいい、 通常の宿駅以上の規模を持つ大宿場町である。
そして東海道と中山道の分岐点には、 「右東海道いせみち--左中山道美のぢ」と刻まれた道標が、 往時の面影を漂わせており、 往時の姿を完全に残す木屋本陣は、 国の史跡でもあり、 草津宿を偲ばせる数少ない歴史的遺産である。
旧東海道沿いには町家がいくらか残っており、 まとまりとしての歴史街道のイメージを残したたたずまいといった感じである。
また東海道とT字に直交して、 街道を挟んで枝分かれしている街路や、 東海道の東側に並ぶ多くのお寺、 その北側に全国的にも有名な天井川がはしるなど、 東海道・宿場町としての蓄積されてきた地域文脈を読みとける場所であることが伺える。
しかし近年の高層マンションの建設や駐車場によるセットバック、 また、 必要以上に誇示している派手な看板や、 殺風景なブロック塀などが町並みを変化させ、 宿場町としての歴史性を阻害している。
このように東海道や宿場町の歴史的価値が草津のアイデンティティの核としてあり、 核を尊重することで全体的作用を及ぼすのではないかと思われる。
私ども学生の感覚の遊ぶという意味でいうと、 飲み会にしろデートにしろやはり京都か大阪で、 県内で遊ぶとなると車が必ずいるという意見をよく聞く。
遊ぶ場所を他に求めるのは、 草津というまちの環境にあったものとしてうまく表現されていないだけではないかと思うのである。
これは遊ぶ場所に限らず、 我々の生活環境に草津らしさの文脈と意味を与えていないのではないだろうか。
山崎先生がおっしゃった自力ということからいうと、 草津はまだ自力で生きれるまちではないような気がする。
しかし私は、 草津宿場まつりのスタッフとして、 参加させて頂いた時に、 草津が自分なりの価値観を以て、 文化に対して抵抗し、 自己を確立している姿を見たような気がした。
街道と共に育まれたまち草津がこの日は、 多くの物や旅人が往来した当時を思わせる賑わいであった。
京都では7月初旬頃から町並みが祇園まつり一色に染まっていき、 祇園会の山や鉾を効果的にひきたて、 貴重な歴史的環境を作り出しているが、 草津は京都のように歴史的町並みが残っているわけでもないのに、 この宿場まつりという一つの文化と融合することによって往時の街道浪漫が伝わってくるようであった。
いわば普通のまちである草津が、 この日は人々の心が一体となって、 つくりだされた「らしさ」が形成されたように思える。
当時の宿泊した旅人や東海道、 中山道を行き交う人々や物が集まったこの地に、 多くの人々が介することが「生きた宿場町」としての魅力であるように思われる。
東海道・宿場町の歴史的文脈を時間的存在としての人間が表現することで、 互いに満足するような草津のアイデンティティとなるのではないだろうか。