都心の魅力は人と会う魅力。あいさつを交わす楽しさ、 人通りを眺める楽しみ、 人ごみにまぎれる安らぎ。
都心はいつの間にか、 子供の住めない町、 子供の育てられない町になってしまった。
下町作家の池波正太郎が生れ、 育ち、 こよなく愛した町の生活と人情は急速に消滅しつつある。
私は、 子供の住めないような町を「都心居住の町」とは呼びたくない。
子供が生れ、 育つ町であって初めて町の生活と人情が継承される。
都心にあってそのような生活と人情の感じられる町を、 都心居住の町と呼びたい。
このような都心のコミュニティは、 何世代にもわたる都市の文化ストックの中で醸成されてくるものであるから、 一度消滅してしまうと回復は殆ど不可能である。
ましてせっかちに創りあげることのできるようなものではない。
田端 修氏は『町なかルネサンス』で子供の住める都心の復権を提唱されているが、 町の形は創れても、 そこに住むに値する人は既に限られているように思う。
同書に引用されている京都の仏文学者やその同級生達のように、 一家言貯えた人々でなければ、 今や都心には住まなくなってしまった。
このような人達は都市が好きである。
都市の喧騒と焼けつくアスファルトの路面をも含めて、 都市を自分の分身として愛することのできる人達である。
都市を創るのは人間である。
だからこのような人達は、 おそらく人間の営みを深いところで好意的に受け止めている。
だから隣人を愛し、 一緒に住むことを楽しむことができる。
そしてそこで子供を産み、 育てることができる。
都心居住はこのような人達に与えられた特権なのだ。