閉鎖的な「家」のドアを開け放ち、 街全体を自分の場とする「ホームレス」な生活。そんな都心居住者にとって都市環境の質は切実な問題である。
外に対して屋敷林や高い土塀をめぐらしたミクロコスモスを「家」とする伝統は、 農耕社会の産物か。
それはサラリーマンの夢である「庭付き一戸建て」に直接つながっている。
庭も家も小さい。
が、 必要なものはすべて内部にそろっている。
これに対して都心居住のわが家はさらに小さいマンションであるが、 街全体を「家」にして快適に暮らしている。
スーパーモリタヤはわが家の冷蔵庫、 ドトールは居間で、 洋菓子のウエストは第一応接室だ。
わが家のプール(区民プールともいう)は手入れが行き届いていて気持ちよい。
いわゆるホームレスの人々と都心居住者の差はそんなに大きくない。
どちらも「街」が自分の家である。
街の中でのびのびとくつろげる生理的なずうずうしさが必要である。
そして都心居住者にとって都市環境のありかたは常に切実なテーマである。
道路に散乱する生ゴミのこと、 乳母車の通れない歩道橋のこと、 見栄えの良さだけのデザインのはびこりなど、 都市環境の質は生活の質と直結している。
都心居住者が今後増えていくにしても、 一方で屋敷林派が保守本流というわが国の状況は動かないと思う。
しかし心の中のわが家を屋敷林で囲っている人は、 その外側を「ヨソ」としか見られないもの。
こと都市環境を計画する立場の人間は「都心居住派」(たとえ庭付き一戸建てに住んでいても)であってほしい。
自分のこととして計画に携わって欲しい。
計画者よ、 都心に住むべし。