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都市の魔術性−都市景観の演出

大阪大学 鳴海邦碩

都市のパノラマ

 神は人間を造り、 人間は都市を造った。 都市にはそれを造った人間と時代の特徴がいたるところに記されており、 それ故に都市を観ることは書物を読み解くのに似た魅力をもっている。

 人びとを魅了してやまない都市のひとつは、 ヨーロッパの中世都市である。 これらの都市は、 市庁舎や〈書物をもたない民衆の書物〉といわれた大聖堂を中心に、 曲がりくねった狭い街路がネットワークをなし、 石畳の坂道、 そして突然視界が広がる広場等々、 さながら絵巻物のような景観の変化をみせる。

 ヨーロッパでは16から17世紀にかけて、 このような都市を描いた多くの都市図集が作られている。 なかでもメリアンの『ヨーロッパの地誌』は2000以上の都市図、 地方図、 戦場図を収録した壮大なものだ。 こうした都市図は、 実用に役立つというよりは、 居ながらにして旅を楽しむことを可能にする都市図集であった。

 都市図には、 一般的な地図、 鳥瞰図的な平面図、 さらに景観図があるが、 景観図はある地点から都市の全体的なパノラマを描いたものである。 こうした景観図では、 大聖堂の尖塔などが独特のシルエットを構成しており、 それがその都市の顔であると同時に、 その壮麗さは都市の誇りでもあった。

パノラマ館

 人間が造り出した都市の姿は尽きない興味の対象であり、 特にそのパノラマは、 都市という存在の偉大さを感じさせる。 パノラマという言葉は、 キリシア語の pan(すべて)と horama(ながめ)とが合体した言葉であり、 〈すべてのながめ〉を意味する。

 18世紀には、 風景を円形絵画として人工的に造り、 照明や可動装置によって実物そっくりに見せる見世物が生まれた。 パノラマ館である。 パリでは19世紀のはじめのころから、 ブルジョワ階級の散策の場となったオペラ座界隈に、 パッサージュや写真館とともに立地していった。

 パノラマ館はいわば都市図にさらに臨場感をもたせたものであったといえよう。 そのテーマは、 犯罪や戦争、 大災厄などであったが、 当然のことながら、 各地の都市の名所をみせるパノラマも作られた。 日本では1981年に、 上海からスエズ運河を経由して、 コンスタンチノーブル、 ローマ、 ロシア、 ドイツ、 ロンドン、 そしてニューヨークへと巡る「美術パノラマ」が浅草で公開されている。

 パノラマ館的なアイディアを公園デザインに応用したのが、 ミニチュア・タウンで知られるコペンハーゲンのティボリ公園である。 パノラマ館は、 映画の隆盛とともに娯楽施設としての役割を失っていくが、 そのねらいとしたところは、 テーマ・パークや博覧会などの展示館に今も生きている。

テーマ・パーク

 テーマ・パークといえば、 ディズニーランドがもっとも知られているが、 大勢の客を集めるレジャー施設として近年世界の各地で造られるようになってきた。 博覧会もひとつの仮設的なテーマ・パークといってよいが、 なかでも、 1893年にコロンブスのアメリカ大陸発見400周年を記念して行なわれたシカゴ博覧会は、 新大陸にできたヨーロッパ都市のテーマ・パークであった。 会場はミシガン湖畔で、 そこに、 古代ギリシャ・ローマ、 ルネサンス、 イタリア、 フランスなど各種の建築様式を網羅した絢爛たるホワイト・シティが現出したのである。

 都市はこのように美しくあることができるのだろうか。 当時のアメリカの市民たちは、 博覧会で造られた街が自分の町といかに違うかということにショックを受け、 その結果アメリカの都市もヨーロッパの様に美しくしていかなければいけないという運動がおこった。 バーナム等によって推進された都市美運動である。

 この運動は各地に伝播し、 アメリカ中の都市で、 市民ホール、 裁判所、 図書館、 オペラ・ハウス、 美術館、 広場が都市の中心部に建設された。 市民ホールのドームをもつことは、 市民の大きな誇りともなった。 橋は建築家によって彫刻の様にデザインされ、 河岸には古典的なガーデンテラスが造られた。

 優れた都市の姿を見ることが、 人びとの都市環境改善への努力につながる。 シカゴ博の実際の都市計画への影響を知ったイギリスの都市計画家パトリック・ゲデスは、 市民の啓蒙のために都市博覧会を企画し、 各地で展示を試みている。 今世紀の始めのことだ。

 日本のテーマ・パークはどうだろうか。 日本では1983年にオープンした東京ディズニーランドを皮切りとして、 長崎オランダ村、 帯広のグリュック王国、 ハウステンボスなどと続き、 志摩スペイン村が開設した。 外国の都市の景観をそのまま実現するテーマ・パークは、 日本に独特の現象らしい。

フェスティバル・マーケット・プレース

 1980年代に、 USAやカナダにおいて、 空間の構成や演出にずいぶん工夫を凝らした商業施設生まれた。 特に冬季の気候が厳しいカナダのウエスト・エドモントン・モールは、 壮大な規模のインドア・モールである。 古い町並みをテーマにしたゾーン、 小型の潜水艇が回遊する大きなプールをもったゾーンなどによって構成され、 いわば、 室内化したテーマ・パークといっても過言ではない。

 こうした経験の上にたって、 1985年、 新しいタイプのショッピング・センターが、 USAのサンディエゴの都心に生まれた。 ホートン・プラザである。 これは、 衰退したサンディエゴの都心を、 市の総力をあげて活性化しようとするねらいでつくられたショッピング空間である。 〈都市の中の都市〉〈フェスティバル・マーケット・プレース〉〈大人のディズニーランド」と呼ばれ、 ひと月に約百万人の人々を集めているという。

 そこに生まれた空間には、 ヨーロッパの中世都市のようなシークエンスの変化があり、 日本都市の繁華街のようなあざやかで多様な彩りがある。 そこではさまざまなパフォーマンスが行なわれたり、 カートを用いた移動商が配されたりして、 まさに〈マーケット・プレイス〉の雰囲気が演出されている。

情緒の都市デザイン

 ホトン・プラザを計画したジョン・ジャーディは、 ホートン・プラザの計画について、 「建築的解決法の代わりに情緒の解決法」をとったと述べている。 つまり、 彼は、 さまざまな「情景」を作り出すことを念頭においたのであり、 その「情景」のフレームをピクチャレスクなヨーロッパの古い街に求めたというのである。

 かって、 ウイーンの国立工芸学校の初代校長であったカミロ・ジッテは、 歴史的な都市の広場や道、 都市構成を研究し、 人間が自分の足で歩きながら体験する都市の魅力と美しさについて語った。 このようなピクチャレスクな都市造形論は、 その後ゴードン・カレンなどに引き継がれているように思われるが、 そうした考えは、 機能主義的な都市デザイン主張が隆盛を誇るなかでは、 懐古的で時代錯誤であるとみなされるきらいがあった。

 機能主義的な都市デザイン、 特に集合住宅におけるそうしたアプローチは、 欧米において、 近年批判にさらされるようになってきた。 つまり、 そこに表われた空間はみせかけの機能性をもっているだけで、 人びとの空間に対する愛着を生み出していないというのである。

 人びとが愛着をもち、 魅力を感じるのは、 どういう空間なのだろうか。 それを見出すために、 多くの人びとが魅力を感じているヨーロッパの中世都市にもう一度立ち返ってみる。 そうした意味で、 ホートン・プラザを実現したジャーディの方法は、 ジッテの方法の延長上にある。

 情緒のデザインは、 魅力のデザインでもある。 と同時にそれは娯楽のデザインにもなりうる。 そうした点から、 公共空間では饒舌を慎むことが重要であるように考える。

 

 これは大阪ガスのエネルギー・文化研究所で発行している、 季刊誌CELの第26号に掲載された原稿の一部に手を加えたものです。

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