現代都市におけるリアリティ
SEN設計室 三宅祥介
これは許せない
伝統的な日本の空間には、 まことに上手い仮想空間を作り上げる手法があったのではないか。 実際にバリアーはないが、 そこに仮想のバリアーを想定し、 決め事として立ち入らない「人止め石」や、 実際にはお互いに見えているが仮想の壁を想定し、 見えないこととする「すだれ」等がそれである。
一方、 都市が近代化するにつれ、 目に見えるもの、 現実のものが支配し、 目に見えないものを見たり、 都合の悪いものを見なくて済む、 日本の空間の不可思議さのようなものが失われ来たといえるであろう。 その結果として、 許せない仮想空間が氾濫し、 その例を挙げることはまことに易しい。
写真の例は、 建物の屋上に突如として現れた溶岩の流れる火山は、 「仮装」のようで実にむなしい。 人を驚かせることで仮想空間の構築を試みているのであろうが、 安普請のストラクチャー、 非常階段、 電柱、 自転車等の超現実が露出する様は、 臓物があふれ出るようで醜い。
これは許せる
仮想世界を支配するものに、 寿命をまっとうすることの出来る「時間」と、 現実(リアリティー)との「距離感」があるのではないか。 コンピュータや映像の世界で比較的容易に仮想空間を獲得出来るのは、 あくまで画面やスクリーンという、 時間、 距離が現実と断絶された世界での出来事として語ることが出来るためであろう。
一方、 都市景観においては、 現実と切り離すことは不可能であり、 常に背景としての現実に重ね合わせる作業を伴うものである。
写真の例は、 視界に入るものの全てが一つのテーマの下に構築されており、 そこに我々は仮想現実を感じることが出来る。 人間という現実は介在するが、 そこに何の違和感も感じないのは、 如何に人間が変わらぬ存在であるかを示すものであろう。