左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ

仮想世界の誘惑/これは許せる−許せない

アーバンスタディ研究所 土橋正彦

都市と仮想世界

 仮想世界は、 その世界が実在するかのように人に思わせる。 簡単には手に入らないものを、 間近に見せ、 体験させてくれる。

 新しい刺激を受けとること、 目あたらしい体験を得ることが都市の魅力の大きな部分を占めるとすれば、 いつの時代のまちにも“仮想世界”的な、 なにかが存在していたように思われる。 もっといえば、 その種の虚構が存在しない都市というのは、 あり得ないのかもしれない。

仮想世界が仮想である所以

 “仮想世界”は、 現実には存在しないはずのものを、 目の当たりに見せてくれるが、 それがあり得ない世界であることには、 理由があるはずである。 時間的なもの、 費用的なもの、 安全、 文化的なタブー、 地理的な距離、 体力など個人的な資質の問題といったさまざまな理由である。 そうした理由を忘れて仮想世界に接するとき、 はじめて、 心からその世界を楽しむことができる。

 逆に、 フィクションであることを確信していない状況で体験する仮想世界から得られるものは、 無益、 もっと云えば有害なものであるのかもしれない。

仮想世界のねうち

 ヒトは、 現実世界をひととき傍らに押しやろうとして、 いろいろな行動をとる。 酒を飲んだり、 化粧をしたり、 本を読んだり、 旅をしたり。 そうした振舞いでは、 人は仮想であることを確認して、 その世界に飛び込んでいく。 戻る世界を持ったうえで、 ひとときを楽しむ。

 そうした限りにおいて、 あらゆる仮想世界は価値を持っているように思われる。

 ところが、 仮想世界に、 仮想世界と知らされず、 あるいは知らずに向き合ってしまうようなことがよく起こる。 端から見ると、 そのような状況は滑稽であったり、 悲劇的であったりする。 映画の中の寅さんの場合のように。

仮想世界の罪

 様々なテクノロジーとそれを享受できるマーケットの存在は、 遊園地やテーマパークはもちろん、 ごく普通の街の中にも、 限りなく現実に近い仮想世界を創り出しつつある。 しかし、 遊園地やテーマパークの中では、 そこが現実の世界ではないことを忘れている人は、 おそらくいない。 それらは“許せる”仮想世界であり、 存在価値のある仮想世界であろうと思う。 しかし、 人を呼び集めることを目的にして、 巧みに現実の街の中に仕掛けられる仮想世界の中には、 計算されつくした魅力とともに、 場所性を無視したり、 歴史をないがしろにしたり、 時流に乗っただけの軽薄さが鼻についたり、 といったかたちで許せないなにかも多く存在しているように思われる。

 それらを罪深く感じるのは、 それと知らずに仮想世界に誘惑され、 ついその場限りの世界を楽しんでしまったからであり、 そのものに何か嘘をつかれてしまったような気がするからである。

 都市は刺激的でなければならないが、 その楽しみ方はなかなか難しい!?
画像tu1

これは許せない

 誘惑されるまでに至らない不徹底な仮想世界的なもの、 これは許せない。 たとえば、 石模様の化粧型枠で仕上げられたコンクリートの壁。 一体何に見せようとしているのだろう。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ