CMの世界からというふうにご説明ありましたけれども、 実はCMの世界を離れて十数年になり、 今は主に博物館やショールームなどのイベント空間というものを扱っております。 今日はヴァーチャル空間、 仮想世界の誘惑といった大変魅力的なタイトルを頂いたわけですが、 その中で自分の作ってきた空間を仮にヴァーチャル空間というふうに見なすならば、 その空間の中でどういうストーリを作れるのかということをお話して問題提起に変えさせていただきたいと思っております。
先程の伊東先生のお話で私なりによく理解できたところが3つほどございます。 冒頭にまずリアリティはなくなったのだということを申されました。 それから二番目にはメディアがそれを加速させているのだというふうに申されました。 そして三つ目に虚構こそがリアリティであるというふうにおっしゃっていただいて、 私は今日の話の大きな枠組みというのが大変よく見えたと思ったわけです。 特に、 メディアが光を当ててリアリティを作るのだという部分も大変感銘を受けました。 つまり、 暗闇の中に存在しているものは存在しないのも同じであって、 メディアが探照灯のように光を当ててこそ初めて存在するというわけです。 これは情報化時代の特性といったものを大変よく言い当てた言葉ではないかと思いました。
そして伊東先生は、 最後にポストモダンのお話をなさいました。 実は私は、 今日までポストモダンが巨大なる物語に対する批判だとは全く知らなかったのですが、 私の今日の話は、 このポストモダンの世界の内装にかかわるものです。 展示空間もポストモダンが主流ですが、 私どもにはそれを否定する形でやってきた仕事というものがありまして、 その例を午前中は二つ見ていただこうと思っております。
一つはこれからスライドをお見せしますアムラックス大阪です。 これは北区のOSビル、 ちょうどナビオ阪急の対面にあり、 4年前に誕生いたしましたトヨタ自動車のショールームでございます。 それからその次はキッズプラザ大阪と言いまして、 子供の博物館です。 扇町公園の一角に今年の7月に誕生いたしまして、 私はそのチーフプロデューサーとして5年間ぐらい務めてきたのですが、 その中でどのような物語を作ったのか、 どういうふうに物語を発想したのかということを実体験からお話させていただきます。
今ご覧頂いていますのは梅田OSビルの1階から3階に入っておりますトヨタのショールーム、 アムラックス大阪です。 この写真は2階です。 全体で3500m2ぐらいのショールームですが、 こういうふうに擬古典的と申しますかイタリアの街並み、 古い街というのをイメージして作ったのはこの2階だけなのです。
ちなみにこれは1年間に100万人の人が訪れまして、 今年で4年目なのですが、 どういうわけか入場者数が落ちない。 場所柄が大変良いということもあるのですけれども日本のショールームの中では対面積当たりで考えましても屈指の集客率を誇っている空間です。
この仕事を始めるに当たって私がまず一番に考えたことは、 東京モーターショーなどの車の展示空間というのは、 どうしてあんなふうにハイテクでいわゆるポストモダン的なやり方をするのだろうという疑問です。 つまり車といいますのはCADで作られておりますのでCAD特有の硬さ、 強さ、 そして材質的には鉄、 ガラスといったもので構成されているわけですから、 それと同じ材料で空間を作ってみせるというのは私にとってはおかしなことなのです。 車には負けるのです。 それで、 同質の材料を使っていかにも立派でしょうというふうに展示空間を作る、 あるいは床に大理石を張ったりあるいはブラスのハンドレールをつけたりして、 いかにも高級リゾートホテルのロビーに車を置いたというようなそういう展示のやり方は面白くない、 と思っていたのです。 一番面白くないのはやはり物語というものがないということなのです。
あのころ、 確かにカフェバーとかがよく流行りまして、 私もそういうところに行ってみたりするわけですけど、 そういうところのデザインは一種のデザインのフェテシズムではないかと感じてしまうのです。 色と形だけにおぼれてどうも伝達性を欠いているのではないか。 共有性がない、 語りかける部分がないのではないかと思っていたわけです。 そこでアムラックス大阪では一度車を街並み環境の中においてみようと考えたのがこのショールームの始まりです。
(写真2)
これも同様です。 ちょっとこの上のほうにご注目いただきたいのですが、 実はここに巨大な大壁画が描かれております。 これは黒沢映画の壁画なんかを描いておられた島倉さんという方に作っていただいたもので、 縦が6mぐらい横が15mぐらいありましょうか。 そういう大壁画を描いてその前に朽ち果てたイタリアの古い街並み、 コンセプト的には路地というものを作ってみました。 古い街並みを巡る楽しさをこの空間に作ってみたということです。
(写真3)
この空間はお寺があったりあるいはホテルがあったり、 この前に見えますようなキヨスクがあったり、 ホテルからはタイプライターの音が聞こえてきたりというふうにして、 一種のごっこ空間を作ってみたわけです。 今回の事務局からのアンケートで「許せる、 許せない」というのがあったと思うのですが、 その「許せる」という言葉は専門性の高みからみて批評するということではなくて、 こういう空間で自分がその気になれるかと、 これでごっことして遊べるかということをアンケートとしてお尋ねになったのだと思います。 私はこの空間が許されるかどうかということで、 非常に悩みました。 一番困ったのはやはり天井なのです。 4〜5mぐらいしかないものですから、 そんな空間にエージングを最大限施したとは言え、 偽の石畳をひいて車を並べる。 これでちょっとしたイタリア旅行でもした気になってくれるのかどうかということが、 大変心配だったわけです。 今のところこれは許せないという話はあまり聞きませんので、 何とか成功したのではないかなというふうに思っております。 これは許せるのかどうか、 皆さんのご講評を賜りたいと思っております。
(写真4)(写真5)(写真6)
後ろに見えておりますのは、 花屋や街並みをそのまま再現してみたものです。 こういう花屋だとかをいかにもディテールをまことしやかに作ってみた。 ある程度こういうごっこ空間というのは一種のこだわりといいますか、 ディテールの正確さや秩序感で出来ているものだと思うのです。 それは作家性といっても良いかもしれませんが、 この場合は妹尾河童さん、 舞台美術の妹尾河童さんにお願いして作ったものです。 ヴァーチャリティだけれどもそれを許せるという世界に人を誘うためには、 どうしてもそのディテールへのこだわり、 ここまでやるかというしつこさが必要ではないかというふうに思っております。
(写真7)
これは3階の部分です。 3階はまた別の作家が手がけました。 近藤康夫さんという日本のインテリア界でも屈指の人ですが、 この人にはいわゆるモダン的な空間を作って頂きました。
(写真8)
これも同じ3階です。
(写真9)
3階のオ−トドロ−ムというゲームセンターです。
(写真10)(写真11)(写真12)
天井見て頂きますと分かりますが、 デザイナーは壁画の雲を受けて天井に映った蛍光灯の光を雲の波にみたてて作ったということです。 これは照明学会で賞を頂きました。
(写真13)(写真14)(写真15)
これは1階部分です。
どうして3階、 1階を見て頂いたかといいますと、 もし仮に2階のイタリアの街並みが1階にあったとしたらどうであったか。 おそらくユーザーは、 これはお金のあるディーラーのショールームだなというふうに判定したと思うのです。 そこにはやはり経済的というか金銭的な匂いがいたしまして、 企業の文化発信スペースとしてはあまりふさわしくない。
当初クライアントの人たちからは2階を丸ごとイタリアの街並みに作ってしまうということに反対があったわけですけれども、 それが次第に理解されてきた。 そうすると今度は逆に、 3フロアー全体をこういうイタリアの街並みにしてみたらどうなんだという意見もまた一方強く出てまいりました。
私はその時に大変反対したんです。 1階も2階も3階も全部イタリアの街にしてエージングを施してやったとしますと、 それはもうすでにヴァーチャルな街ではなくてお化け屋敷になってしまうということなのです。 ですから私もこの作業をやっていて自分で気づいたことは、 あのヴァーチャル空間というのはやはり約束事というのをまずはっきりと見せないといけないということです。 「これ約束の世界ですよ」ということを言い立てた上で、 そこからいつでも自由に自分は逃れられる、 でも中に没頭できる。 そういう安全空間といいますか、 そういうものを作るのがヴァーチャル空間のコツではないか。
つまりこの1階と3階は、 2階のイタリアの街並みを活かすための御芝居でいうプロセニアムの効果を果たしているのではないかと思います。 芝居を見ていてやはり一番楽しいのは、 幕が下りてもう一度幕が上がる時ですね。 その幕が上がった時に今まで敵、 味方になって殺しあったような人たちがニコニコと手をつないであでやかなライトに照らされて出てくる。 その時に我々は、 見ていたのはヴァーチャルの世界、 物語の世界だったのだなと思い出すのです。 で、 その物語が閉じたことをもってもう一度その仮想の物語の体験、 御芝居を楽しんだことをもう一度想起して楽しめるというようなことになってくるのではないかと思います。
このような私のヴァーチャル空間の体験から言いますと、 3つぐらいのルールがあるようです。 まず誘うためには、 ディテールをしっかりしないといけない。 作家性を持った秩序性がそこに存在しないと、 人はその気になってくれないということが一つです。 それからもう一つは、 この空間は自由に出入りできるといいますか、 夢からいつでも覚められますよという保証を与えていること。 約束事だということをはっきりうたっているというのが二番目ではないかとに思っております。 三番目については、 妹尾河童さんがエージングのことを語っているビデオを見て下さい。
……(ビデオ再録)2階はイタリアの街角をリアルに再現しました。 音や光で時の移ろいを表情豊かに演出しています。 この設計、 ディレクションは舞台美術などで有名な妹尾河童さんです。
「車の最も自然な姿は街の中にいる時です。 だから街を作って車を展示することにしました。 その街も中世の匂いが残っているイタリアの田舎町です。 それを再現するためにミラノからローマまで1257kmの旅をして調べてきました。 あちこちの街の石畳や壁のでこぼこまで徹底的にね。 このフロアーにいらっしゃって環境と車というテーマを体で感じて頂けるとうれしいんですが」(妹尾)
「環境と車」とか難しいことを言ってますけれどもこれはあくまでセールストークでして、 本当は妹尾河童さんは僕が持っていった話がずいぶん面白そうだからのってくれたというのが実情ではないかと思います。
普通は我々の価値観は新しいものが良いものだと思っています。 ですからツルピカのショールームが多いのですが、 ここはあえて最初から古くした。 それからその中に一種のノスタルジーとか時間の流れというものを持ち込んでみたということです。 これは当時はやっていましたポストモダン的インテリアに対する私の一つの批評というか反語だというふうに思っております。
これは大阪市立という形になっておりまして、 10月1日に関西テレビが扇町にオープンしましたが、 そのブルーのビルの1階から5階に7月10日にオープンしたものです。
(写真16)
この中の言ってみれば目玉空間といいますのが、 フンデルトヴァッサー氏による子供の街です。 御存知のようにフンデルトヴァッサーさんはウィーンの建築家です。 私はビルのフロア設計図の中に25m角の吹き抜け空間というのを発見したものですから、 ちょっとひらめきまして、 フンデルトヴァッサーさんに子供の街を作ってくれと手紙で依頼したわけです。
(写真17)
これは上から見たところです。 私自身、 現代都市のデザインといいますのがコンクリートといった素材の制約から同じ顔ばかりしていることがどうも不満でたまらなかった。 こういうビルの中に子供の街を作るので、 せめてこの時ばかりはこういう制約から離れた街を作りたいと思いまして、 僕はフンデルトヴァッサーさんにここをノーフェアランドというコンセプトで作ってもらいたいということを書いたのです。 ノーフェアランドというのはビートルズの「ノーフェアマン」から思いついたことです。 地上に存在しないけど仮想空間としてはこのビルの中にある、 一つの心の中に棲む町だというふうにして手紙を書きましたら、 やってみようと応諾頂きました。
(写真18)
今この街が一番子供に人気があるようです。 実際には各フロア−に展示があって、 ここはほんの一部なのですけれども、 オープンしてから40日間でなんと20万人の人が集まりました。
(写真19)
これは模型です。 こういう模型で語っていた時代もあるということです。
(写真20)(写真21)(写真22)
この子供の町の中にも水が流れています。 見張りの塔だとかあるいは滑り台だとかクライミング・ウォールだとかそういうことも含まれておりまして、 一種の遊戯空間でもあるし、 アート空間でもあるというふうに二つを完璧に両立させようということで作ったものです。
私自身もそういうものに惹かれるわけですけれども、 もう一つはどうも世の中の動きを見ておりますと、 ヨーロピアンなテイストというのがこれから求められてくるのではないかと思っています。 つまり省資源の時代ですから、 もうあまり作って壊すという浪費は許されない。 ストックの時代に入ってくる。 だんだん金詰まりの世の中になってきますのでお金がなくなってくるということは、 限られたストックを大事に、 所有というよりは時間的使用を豊かにするような社会になってくるのではないか。 そうするとやはりイメージ的に豊かでいろんな階層性、 情報力を持ったヨーロピアンなテイストが、 出てくるのではないかと思っています。
一つは「見立て」です。 見立てることです。 もう一つは「見切り」、 見切ることです。 どうもこういうものが制作上のコツではないか。 つまり車のショールームをイタリアの古い街にしようというのも一種の「見立て」ですし、 ビルの吹き抜けを有機的なオーガニックなデザインで彩られた子供の遊戯空間にしようというのも一つの「見立て」ではないかと思います。 こういう一種の虚実皮膜である「見立て」の世界にいかにユーザー、 生活者を誘うかという点がポイントかと思いますが、 その「見立て」に続いてもう一つ大変大事なことは今度は「見切り」ということなのです。
こういう作業をやっておりますと、 いろんな方からどんどんと、 あるいはてんこもりにこうしたらどうだと、 山のようなアイデアが出てまいります。 その中で確かにこだわってしつこくリアリティを再現しないといけないのですが、 もう一つはその世界を見切れないといけない。 これはもうこれまででいいのだと、 約束事はこれでもう果たしたというふうな「見切り」の世界がないと、 とめどもなくものを作りつづけないといけなくなってしまいます。 ですからヴァーチャルな世界をつくるには「見立て」と「見切り」があるということをお話させて頂きたいと思ったわけです。 どうもありがとうございました。
問題提起1
物語の創造
イベント空間、 CMの分野から大広 岩佐倫太郎
はじめに
ご紹介いただきました大広の岩佐倫太郎です。
アムラックス大阪
(写真1)
キッズプラザ大阪
次にキッズプラザ大阪を見て頂きます。
ヨーロピアンテイスト
今まで我々は、 どうしてもそのアメリカンな、 ラスベガスやユニバーサルスタジオ的なハイスピードで暴力性に溢れた世界に惹かれがちでした。
ヴァーチャル空間における「見立て」と「見切り」
制作現場の内幕を少し覗いて頂きましたけど、 最後にヴァーチャル空間をどう作るかについて、 私自身が思っている二つのことを申し上げて終わりにしたいと思います。
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