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問題提起3

人間に考えさせる機械

神戸芸術工科大学 小山 明

 われわれは現代の社会において、 決して形態が内容を表象することのない虚構に満ち溢れた都市に棲み、 またさらにはテレビやコンピュータのモニター、 あるいは薄い皮膜のような液晶の操作パネルのつくりだすもうひとつの虚構の都市に生きている。 どちらがより虚構であるかのかは問題ではない。 何千年もの昔からわれわれが現実と虚構の両方の世界に同時に生きているということには変わりはない。 しかし、 作家のJ. G. バラードはすでに1975年の作品『クラッシュ』の序文で次のように書いている。 現代では現実と虚構のバランスが劇的に変わってしまった。 その役割は逆転している。 われわれの住む世界は、 あらゆる種類の虚構に支配されている。 われわれは巨大な小説の中に生きている。 作家は小説のなかで虚構をつくりだす必要がなくなってしまい、 作家の仕事は現実を作り出すこととなった。 また、 過去においては自分の外側の世界が現実で、 内側の世界は虚構であったが、 今ではこの内側の世界に現実を探さざるを得なくなってしまっている、 と。

 現代において建築や都市を考えるときのもっとも大きな問題は、 テクノロジーのあり方がこれまでとは根本的に変わってしまったということである。 それはかつてのように「これがテクノロジーである」と対象化してとらえることすらできないものとなっている。 またそれは、 修正したり、 あるいは簡単に排除できるような性質のものではなく、 日常の中に、 われわれの意識の下にすでに「環境」としてすべりこんでしまっているのである。 その仕組みは複雑かつ多様にわれわれの生活に浸透している。 高度情報化社会といわれる現象もそのひとつである。 われわれの意識・感覚はすでに数万の微細な技術を介して世界を感知し、 把握するような仕組みに組み込まれている。 バラードが1975年に気づいていた以上に、 現実と虚構はその境界を失いつつあると言ってよい。

 このようにひとつひとつのテクノロジーを選り分けてとらえることすら不可能に近い、 変わりつつあるテクノロジー環境の中で変わりつつある人間が、 どのように物事を感じ、 とらえているのか、 その仕組みを顕在化させ、 把握し直すことが何よりもデザインの前提として必要となっている。 これが、 現代建築や都市計画の重要な課題のひとつである。

 プロジェクト「人間に考えさせる機械」は、 こうした環境化していくテクノロジーの仕組みをわれわれの意識にのぼらせようとする試みのひとつである。 これは、 テクノロジーをメタファーとした建築のプロジェクトではなく、 建築をメタファーとしたテクノロジーのプロジェクトでもある。

 
−−略歴−−
1951年大阪生まれ、 日本大学理工学部建築学科卒業、 西ドイツ政府給費留学生としてドルトムント大学、 ベルリン工科大学に留学、 J. P. KLEIHUESのもとでドイツ近代建築史を研究、 現在神戸芸術工科大学教授、 工学博士
著書『都市居住宣言』(監修・前文)、 1990年、 日本建築学会、 『未完の帝国−ナチスドイツの建築と都市−』、 1993年、 福武書店など
作品「Die Maschine, die den Menschen zum Denken bringt」、 Paris-Architecture et utopie" 展、 1990年、 Pavillon de l'Arsenal(パリ建築美術館)、 「加久藤トンネル換気施設」、 熊本アートポリス、 1991年、 人吉、 「人間に考えさせる機械展」、 1995、 ギャラリー・ギャラリー、 京都、 「岡本の家」、 1996年、 神戸など

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