それは何故かについて、 稲作には水が必要であって、 水は誰のものでもない共有の水源から共通の用水路を使って分配するから、 私的な権利を貫徹できなかったといわれました。 それも確かに事実ですが、 私はノラにはまた別の原理があったのではないかと思います。 要するに、 元々みんなのもの、 あるいは共通に開発し、 共通に維持してきたものという意味合いがそこにはあったということです。
ノラは、 田んぼとか畑を指します。 例えば、 ノラ着を来てノラ仕事をして、 お昼にノラ弁当を食べる、 というのがノラなのです。 ところが、 もう一つ、 ノラ猫とかノラ犬という単語もあります。 ノラ猫とかノラ犬というときのノラは、 誰のものでもない、 誰も飼っていない、 主がいないということです。 これは誰のものでもない、 主のいない、 そういう土地としての性格を、 ノラ猫やノラ犬の「ノラ」が受け継いでいるということです。
村のお堂だとか、 村の色々なところに誰の犬でもない犬がいて、 子供達が相手をしているという、 そういう犬がいたということはよく報告されています。 ノラ犬、 ノラ猫は、 単なる野犬ではないのです。 それが、 「ノラ」という言葉の中に含まれています。 これは、 家々が密集しているムラの外に広がる一つの地域です。
「ノラ」について
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