歴史的にいえば、 だいたい江戸時代にヤマの私有化が進み、 個人の持ち山が増えました。 それでも、 共有の山、 入会の山がいっぱい残っています。 あるいは、 ヤマとしては分割されても、 そこの下草は、 誰でも自由にとることができるというようなところも結構あります。 ヤマはみんなが利用するところなのです。 それが最も象徴的に表されているのが、 正月の門松をとるときには、 どこのヤマへ行ってもいいんだという慣習です。
このように、 ヤマでは、 ノラよりも、 人々が一段と共同性を発揮してきたということです。
「ハラ」「ヤマ」について
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