氏神とか、 鎮守というものを普通ムラの神様と考え、 それを、 秋祭りだ、 春祭りだといって祀ってきました。 その神は、 領域としてのムラの神様としての意味を持っていたんだということです。 領域としてのムラ、 言い換えれば集落、 居住空間の、 個別に分割されたそれぞれを、 個別に暮らしている人々がムラとして統合していく、 あるいはされていく、 そこに、 鎮守、 あるいは氏神というものが祀られて、 ムラという一つの社会を作ってきた。 統合のために鎮守、 氏神があったわけです。 それはノラとかヤマに対する力はもっていなかったと考えられます。
ところが、 さきほどお話ししましたように、 ムラが江戸時代になるときに、 田んぼ、 畑まで含むという形で拡大しました。 そして、 明治維新以降、 地租改正を経て、 山林、 ヤマまでを含めてムラということになりました。 ムラが拡大していくことに対応して、 鎮守、 氏神が、 居住空間としてのムラから、 さらに大きく外に広がって支配権を持つようになっていったと考えられます。
そのために、 現在、 非常に曖昧になってきているのが、 ノラの神様です。 ノラは、 江戸時代のはじめ以来、 完全にムラに組込まれ、 ムラの土地、 ムラが支配するところという意味が強くなったために、 ノラの神様は弱い存在になりました。
近畿圏、 特に滋賀県から奈良県にかけては、 野神が残っています。 これは、 まさにノラの神様です。 特に滋賀県では典型的に見ることができますが、 ここがこの村のノラとヤマの境だぞということを示すケヤキなどの巨木を神様にしております。 滋賀県の湖北とか、 比較的、 浄土真宗の力が弱いところで、 見ることができます。
田の神様と全国的にはいいますが、 田の神様の姿を示しているのは、 鹿児島県だけです。 鹿児島県では、 田の神様ということで、 田んぼのところに石の神様を祀ってます。 それ以外の地方には全くいないのです。 しかし、 一年のうちこの日は田の神様がやってくるんだとか、 この日は田の神様が戻る日だという形では、 年中行事の中に出てきます。 そのぐらい弱い存在になってしまっています。
そして、 ヤマには山の神様がいます。 鎮守、 氏神の支配が拡大したといっても、 さすがにヤマは独立した領域としての性格を持っていまして、 山の神様がちゃんといます。 山の神は、 田の神のようにただ言葉だけではなく、 ちゃんと盛大な行事が行われます。 特に、 近畿地方は、 山の神様の行事が盛んな地方です。
このように村々の領域編成は、 それぞれの領域に対応した神様を祀ってきた、 あるいは、 作ってきたということになろうかと思います。 その神は、 私たちを守ってきたわけですが、 領域ごとの人間の活動を守るという意味では、 自然を守る神であったという面を非常に強く持っています。 自然と人間の関係を神というものを介在させながら、 維持してきたということが言えるだろうと思います。
三つの領域とそれぞれの神様
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