というのは、 ムラの境で、 外から来る危険なものを阻止するにも人々は結集いたします。 あるいは、 逆に歓迎すべきものは村境で待ち受けます。 伊勢へ代参でお参りをして、 村へ帰ってくると境迎えということで、 村境で迎えるということは各地で行われてきました。 今でも行われているところもあります。 色々な形で、 村境は村の中心としての機能を果たしてきました。
日本のムラには、 広場がありません。 広場という言葉自体は古いのですが、 日常的に使われることはほとんどなかったわけです。 広場は、 戦後になって、 日常的には使われだしたんだろうと思います。 お寺の境内、 神社の境内、 あるいはムラの会議所とか、 会所と呼ばれる集会施設の前が、 ちょっとした広場的な機能を果たしていましたが、 それに加えて、 非常に重要であったのが村境のところです。 ここが、 広場としての機能を持っていました。 要するに、 人々はそこに結集したということです。
村の中心としての村境
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