村落というものを、 一つの集落だけで考えるのではなく、 集落のまわりも含めて考えると、 様々な土地の利用、 自然の利用、 自然の恩恵を受けるあり方の違いであったということになります。 そういうような、 様々な利用の方式、 あるいは自然の支配の程度の違いというものがあって、 はじめて、 私たちが安定した暮らしが続けてこられたと考えられます。
特定の土地利用だけで全てが展開している生活は、 潤いがない、 あるいは自分たちの思考自体も弱めてしまいます。 連続した中に違いを作っていくというのが、 我々が長い時間の中で作ってきた、 特に村落という形での一つの編成の仕方です。
開かれた景観と、 借景が日本で発達したのは、 単に作庭技術や作庭の思想からではなく、 最初に申し上げたように生活の世界がそういった開かれた形で編成されていたからです。 私たちの先祖は、 自然を、 自分たちの生活の拠点を中心にして、 いくつかの同心円という形で編成しましたが、 しかし、 その編成は決して自然を断ち切ってなされたものではありませんでした。 私的に支配し、 人間が完全に支配するムラでも、 物理的に囲ってしまうのではなく、 自然との間の連続性を保ちつつ自分たちの世界にしてきたのだということです。 それが、 借景というような一つの庭園技術の発展につながっていったのだし、 また、 私たちの生活の様々な場面での潤いを作ってきたのだろうと思います。
今日は、 私の専門の立場から、 日本人の創り出してきた自然との関わりの一端を申し上げました。 これで私のお話を終わらせていただきたいと思います。
まとめ
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