最近、 建築雑誌では、 “浮かす建築”という言葉をよく目にするのですが、 このことも、 建築がある意味で大地を強く意識したところからくるのでしょうか。
江川:
“浮かす建築”と言うことで、 まず、 思い浮かべるのがコルビジェのピロティです。 コルビジェの“浮かす建築”の考えは、 建物を浮かせることによって、 建築と大地との間に出来た空間を人間が使おうという発想です。 つまり、 人間に大地を解放するという発想です。
最近の建築雑誌を見ていますと、 軽やかな素材、 つまり、 アルミだとかの近代的で軽やかに感じる素材で作った作品をたくさん見かけます。 見方によれば、 軽やかに浮いた建築という感じがします。 それと同時に、 最近は、 軽やかな生き方や、 軽やかなことを求める傾向が強くなっていることも感じられます。
それらの現象を、 私なりに解釈すると、 軽いというのは、 非常に重いことを背負った結果なのだと思います。 例えば、 先ほどのゲル。 あれは、 移動するために軽くなっているといわれますが、 私は、 軽さよりも中に含んでいる物事の重さの方を強く感じます。 大草原の広大な青さのなかに白く点在する風景は、 軽く見えるとも言えますが、 ひとつひとつは、 よく見ると、 実は結構重々しいものです。 最近の傾向を軽佻浮薄といいますが、 軽くなってきているということは、 重い過去から放たれたくて、 現代性というか未来性を表現しようとしているのです。
建築と言えば、 地上にある部分、 上ものだけを考えがちですが、 実は基礎が重要なのです。 コルビジェのピロティは、 大地の呪縛からの解放という意味を含んでいるのですが、 実は、 浮かすために、 土の中に上ものと同じぐらいの基礎が埋まっていたりするのです。
このことは、 水の流れや、 土中の生物の行動に対して、 ある種の制限をしていることになります。 地表は開放されているけれども、 地下は開放されてはいないのです。 言い換えれば、 大地の連続性を分断しているということになるのです。
様々な歴史を考えたときに、 つなげる事の大事さを感じることがしばしばあります。 これは大地に対しても同じ事で、 分断する事は、 とてもたやすいことですが、 つなげていくということは、 なかなか難しい事です。 しかし、 そのことは、 とても大事なことであり、 さきの話とは多少違う意味で、 浮かすということが連続性を出すということになれば、 大きな意味があると思います。
大地における地形は、 水平な場所もあれば、 傾斜していたり、 ゆがんでいたり、 山があったり谷があったりといろいろではあるけれども、 本来連続しているものです。 そう考えたときに、 大地との対話の中で、 この連続させるという行為は、 意味のあることだと考えるのです。
浮かす建築
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