今日の基調講演のテーマでもあった「大地が語りかけるもの」から話を始めたいと思います。 「大地が語りかけるもの」は風土によって大きく変わってきます。 それが大切なポイントだと思っています。
私は以前カリフォルニアでしばらく仕事をしていました。 6月から10月まで仕事をしていて、 はっと気づいたことがあるのです。 そこでは1日も雨が降らなかった。 これは大変なことだと思いました。
それに気づいて、 自分のアメリカでの仕事を振り返ると、 砂漠の仕事を手がけることがほとんどで、 まさに模型を扱うように大地を扱っていたわけです。 水をまいた所だけ木が生えて、 それ以外は何も育たない、 それがカリフォルニアの大地でした。 それはそれでおもしろい体験でしたが、 自分が育ってきた環境とはあまりに違うことを痛感させられる体験でした。 砂漠の風土の延長上にラスベガスができ、 ディズニーランドができたことがよく理解できました。
それに比べ、 我々が暮らす日本は自然の力がとても強い場所です。 絶えず手をかけてないと、 自然の力に負けてしまうとも言えるでしょう。 そうした風土の中から生まれたのが、 日本庭園であり里山だという気がします。 日本庭園や里山は、 ずっと人間の力を加えないと成り立たない存在ではないでしょうか。
ですから、 カリフォルニアと日本では大地が語りかけるものは厳然と違う。 大地の上で営まれる人間の生活、 動植物の営み、 陰影、 遠目に見える大地の質感などから生まれる空気の密度の違いに注目することが、 我々が仕事をする上でとても大切なものになってくると思います。
「大地が語りかけるもの」と風土
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