これまでのお話の中でも出てきたことですが、 私たちの身の回りの大地は、 すでに人の手が入っていることがほとんどです。 先ほどの里山にしても私たちの住んでいる住宅地にしても、 手の入れ方が違うだけのことです。 そういう中でランドスケープデザインをするということは、 大地に対して「どのように手をかけていくか」だったと思うのです。
そのポイントとして、 3つのご指摘があったと思います。
まず一つは、 風景としてあるいは地形としていかに地域の環境との連続性を作っていくか。 それは、 たとえ公園や庭といった独立した空間であったとしても、 そのまちの環境の中で連続する空間の一つとしてどう考えていくかという問題になってくると思います。
二つ目は、 バランスという言葉を使っておられましたが、 自然を慈しむということと、 自然をコントロールするということについて、 デザインとしてどのようにバランスを作っていくかということです。 これは、 文化とも関わってくる問題かと思われます。
三つ目は、 自然型護岸の形成のように、 どうしたら自然に即した風景を作っていけるのかということです。
この三つについて議論していきたいのですが、 まず環境におけるデザインレベルの連続性はどのように考えておいでですが。
いろんな意味の連続性がありますが、 最初にスライドでお見せしたウィーンの森は、 住まいと森が景観的に連続している非常にうまい例だと思います。 またそれと同時に見逃してはいけないのは、 ウィーンの森の緑だけでなく宅地の緑がスライドの中にはたくさんあったということです。 パブリックな山としての緑だけでなく、 庭としての緑、 街としての緑がうまく連続して初めていい景観ができてくるのだと思います。
もうひとつ指摘したいのは、 宅地の中の緑がスカイラインを作るうえでとても大切だということです。 プランで見ると空いているように見えますが、 エレベーションの中ではかなりうまく連続させることができるのです。
同じ手法は日本にもありまして、 日本庭園における借景などはこれと同じ考え方で取り入れられてきたと思います。
また連続性ということで言うと、 昔、 平安時代の貴族の屋敷には池があり、 その池は隣の屋敷からそのまた隣へとずっと連なって流れができていました。 今も大津の堅田あたりの寺院にその名残があって、 連続した流れになっています。 そういう流れの連続性のように、 個と公の微妙な連続性も景観を作っていく上で非常に大事だという気がします。
小浦:
そうですね。 単に作っていく対象だけではなくて、 回りとどうつながっていくかが大切ですね。 水の話で言うと、 京都の上賀茂神社のあたりもそういった水系のあり方がベースになって街ができています。 大地を切り取って、 デザインするのであっても、 それが環境と連続していると考えることがランドスケープデザインの重要なポイントになるのではないでしょうか。
そういう意味では二つ目の「バランス」もそうした考え方からくる部分が大きいと思うのです。 連続性との対比、 あるいは水をどう扱うか、 また緑の系をどう扱うかと関わってくると思うのですが、 文化的なことも含めてその辺はいかがでしょうか。
「バランス」は私が好きな言葉のひとつです。 センスがいい悪いという表現もありますが、 その本質はバランスが良い悪いということだと思っています。 それは、 景観的なバランス、 文化的なバランス、 デザインとプログラムのバランス、 自然と人工のバランスなど、 いろんな要素が含まれます。 そのあたりのバランス感覚はとても大事だと思っています。
午前中のお話の中にも、 住まいと緑、 信仰の話がありましたが、 その中でも最も大事なのはバランスという言葉ではなかったかと思っています。 それはバランスという言葉より、 むしろ日本人が古来から持っていた感覚と言った方がいいかもしれない。 それが、 技術革新などのいろんな外的要素によって崩れてきているのが現代だという気がします。 もう一度、 古来のバランス感覚を見直す時期ではないかと思っています。 ちょっと話が大きくなりそうなのでおさえますが、 ともあれ今ランドスケープに求められる一番大切なことがバランスだと思います。
小浦:
バランスと聞くと、 どうしても形やデザインの上でのボリュームのやりとりや、 どういった構成にするかに意識が向きがちですが、 今のお話ではそういうことではなくて、 場所をつくっていくプログラムの中でどういう風に場所の文化を考えていくか、 あるいは地域の風土や地域性の中で必要な機能をいかに一つの土地の形に作っていくかに関わっていく、 という理解でよろしいでしょうか。
三宅:
難しい質問ですね。 その質問とは離れるかもしれませんが、 午前中の基調講演をお聞きしていて、 やはり宗教というか大地に対する意識を我々はきちんともっている必要があると思いました。 たぶんそれが大事なことだろうと思います。
この間アメリカ人のランドスケープアーキテクトと話したのですが、 やはり大地に対する考え方が東洋と西洋では違うという話になりました。 東洋人は大地や樹木、 石など自然の中に神を見たりしますが、 西洋人にとって神は全知全能の神のみで天にいるもの、 大地は地獄につながるもので人間はその上であくせく働かねばならない。 大地の恵みは大地がくれるのではなく、 神がくれるのですよということです。
そういう風に言葉で話してみると、 改めて自然の捉え方の違いがはっきり分かったように思いました。 ですから、 いろんなランドスケープデザインの作品を見ていく中で、 そうした意識の違いは我々の中にはっきり持っている必要があり、 それを知った上で物事を見ていかねばならないと感じました。
海外のかっこいい作品をそのまま日本に持ってくることがよくありますが、 その成り立ちや宗教観がずいぶん違うということを意識に留めておく必要があります。 そこから物事は出発するという気がします。
小浦:
おそらく都市という概念が、 日本と欧米ではずいぶん違うのも、 そうした宗教観の違いによるのでしょうね。
三つ目のご指摘である自然に即した風景づくりで言えば、 今「環境共生」という言葉がしきりと言われていますが、 集住地としての都市と周りの自然という対立的な構図で考えられていることが多いと思うのです。
例えば「風の道」の場合でも、 地形が生みだす風を都市の中にどう通していくかをフィジカルに解決していこうという捉え方です。 日本の場合だと、 おそらく都市の風景づくりにしても違った手のかけ方があるのではないかと思うのです。 それがランドスケープデザインにも出てくるのではないでしょうか。
三宅:
例えば棚田の景観や牧場の景観にしても、 それぞれの景観にはそれぞれの意味があって、 自然の意味も違えば手のかけ方もちがいます。 そうすると景観と人間の関わり方が全く違ってくるのですから、 景観によって人間のあり方が変わってくるのは当然のことなんです。 そのあたりも大事なことだと思っています。
小浦:
これまでの議論では、 市街化された周りの場所、 つまり周辺の地形を対象化した形でどのように作っていくとか、 その場所をどう読むかでした。 しかし、 実際にはランドスケープデザインが対象とする大地は、 むしろ都心の市街化された中の庭や団地の建て替え、 公園だったりするのですが、 そこではすでに手がかけられてきた場所をまた考えていかねばならないということになっています。 そういう大地に関してはいかがですか。
三宅:
悲しいことに、 我々の仕事はそういう場合がほとんどです。 カリフォルニアで仕事をしていたときはまったく人の手が入ってない場所を相手に、 開発不適地をどんどん切り捨てて最後に残った適地を開発していくという手法でしたが、 日本ではすでに開発が終わっているところを「何とかしてくれ」という話ばかりです。
そんな場合は我々の「良識」だけがモノを言うことになります。 我々の仕事はほとんどが行政の仕事で、 そのあたりの理解がないとなかなかうまくいかないのですが、 我々が熱意を持って接すると理解してもらえることも多い。 たまたま私は良い行政とめぐりあっているだけかもしれませんが、 コラボレーションが大きな意味を持ってくるわけで、 それがないとうまくいかない。 ただコラボレーションは自然発生的に生まれてくるわけではなくて、 ある程度仕掛けがいりますから、 プログラム作りもこれからのランドスケープアーキテクトの仕事として大事になってくると思います。
小浦:
おそらく今の日本には生のままの大地はほとんどなくて、 歴史を積み重ねてきた都市の中の自然を相手にすることになるのでしょう。 生活の中で水を流したり、 花を咲かせて庭を作ったりとか、 その一方で緑をなくしてしまったり。 今、 私が震災後の阪神間に住んで気になるのは、 多くの敷地が駐車場に変わって本当に土がなくなっていることです。 地形は変わらないけど、 地表は変わっていって、 水の流れも変わるし風や光も変わっていくのです。 そういう変化する市街地の中で積み重ねられた大地の歴史も含めた環境がこれから大事になってくるように思います。
ここで最初の話に戻るのですが、 ランドスケープとはいかに手をかけ続けていくのかという議論になり、 それが結果として人との関わり方も一緒に考えて行かねばならないということになっていくと思うのです。
最後に、 そうした人間との関わりも考えたスライドを紹介していただいて、 このセッションのまとめとしたいと思いますので、 よろしくお願いします。
ランドスケープデザインにおける
三つのポイント
連続性
三宅:
バランス
三宅:
風景づくり
小浦:
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