大自然の中のダム。 遠くに望む白い山々は朝日山地 |
竣工時のダム全景(S.33) |
亡くなった柏戸というお相撲さんの実家が鶴岡の近くににあるのですが、 現場はそこから68kmも奥に入った所です。 最上川をさかのぼった支流に赤川があるのですが、 その赤川をずっとさかのぼって、 出羽三山のひとつ月山に突き当たるのが現場です。 冬になると5mぐらいの雪が積もり、 夏は洪水が起こります。 水力発電は、 雪も雨も多いところで満々と水を貯えられる所に計画されるから、 そういう意味では適地でした。 ふもとから歩くと14時間ぐらいかかる所でした。
そんな所ですから新聞は3日遅れ。 雪の中を歩くときは、 みんながくっついて歩くと雪崩で全滅の恐れがあるから、 10m位の間隔をあけて歩くという具合です。 風呂は雪を溶かして沸かすのですが、 いつも砂混じりでお尻が痛いということも体験しました。 電話線が雪の重さで切れることも、 初めて知りました。 電線に1mぐらいつもるのです。 話せばいろんなことがあるわけですが、 そんな中で2千人の男の意地の世界が展開するわけです。
工事の主役は技術者と作業員です。 しかし、 主役が十分に力を発揮するためには脇役の力が欠かせません。 たとえば風呂の湯を沸かすボイラーのおっちゃんとか、 飯炊きのおばちゃん、 医者ですね。 特に医者は大事にされていて、 当時私たちの給料が1万5、 6千円、 重役クラスで6万円でしたが、 医者は8万円もらっていました。 また、 雪崩を常に意識して仕事をしておりまして、 たとえ作業小屋が雪崩に押しつぶされても死なないように、 柱の倒れる方向に平行して寝ていました。 大自然に挑戦するということは、 何としてでもうち勝たなければ、 我々が死んでしまうという世界でした。 雪との戦い以外にも、 岩盤との戦い、 水との戦いの後に完成し、 40年が過ぎたわけです。
24時間交代で作業をしていましたから、 飲む、 打つ、 いろんなことがありました。 そんな世界で「土木魂」「男の意地」と言いますか、 何としてでも大自然と戦って川の流れをせき止め、 電源開発をして国のために役立つのだという気持ちでした。 まだ親分子分の気風が残っている時代ですから、 身近な人のため、 家族のために頑張ることが国のためになるという結束力がありました。 主役だけでなく脇役も力を合わせることが、 大変重要であるという話です。
その後、 脇役だったおっちゃん、 おばちゃんと話をする機会があったとき「あのダムは俺が造った」「私らが造った」と言ってくれました。 みんなが参加して造ったのだという意識は、 我々技術者にとっても大変ありがたいことでした。