大地の達人に聞く4
ランドスケープデザインと起伏
ゲストスピーカー 三宅祥介〈SEN環境計画室〉
コメンテーター 小浦久子〈大阪大学〉大地・風景・自然・文化
三宅祥介
1. 大地とランドスケープデザイン
a)分析
ランドスケープデザインは、 大地や大地に発生する人や動植物の営みに関するデザインである。 ここでは造形行為以外の、 自然の摂理や現象、 あるいは歴史や文化といったものに支配される部分が大きい。 棚田の景観や牧場の景観は人間の生産活動と切り放して考えることは出来ないし、 また、 都市の景観は人間の経済活動、 文化活動、 生産活動等の種々の活動及びそれらの集積の結果として生まれるものである。 従って、 これらの活動や歴史を支える大地のデザインは、 その活動や歴史に対する正しい理解と分析が求められる。
b)デザイン
デザインは人間が創り出す造形である。 自然な造形、 人工的な造形。 多くの造形的可能性の中から最適の解を見つける作業である。 より良い解に近づける為にデザイナーは努力をする。 自然条件を読み取る、 利用者の顔を想定する、 造形的感性を磨く等。 そしてあらゆる事柄を総合した上で、 一つの解に収斂させる作業がデザインである。
c)表現
人の心を打つ景観がある。 豊かな表現力で、 明快なメッセージを持って見る者に語りかけて来る時、 人は感動する。 そしてまたそれらの景観は、 多くの場合とても良いバランスをもっている。 造形的バランス、 プログラムバランス等。 ランドスケープアーキテクトは、 可視化されたメッセージを大地を媒体として表現する仕事である。 また多くの場合、 ランドスケープにおいては、 刺激的表現より平穏的表現を、 また一過的表現より永続的表現を多く用いる。 それはランドスケープデザインの寿命に関わる問題であり、 極めてロングスパンの仕事と捉える必要がある。
2. 大地の造景とランドスケープデザイン
図1 荒牧バラ公園
図2 姫路工大キャンパス駐車場
図3 りんくう公園
以前アメリカで仕事をしていた頃、 多くの場合最初の現調は、 広大で全く人の手の入っていない場所が多かった。 そこでのフィージビリティー・スタディーは、 マクハーグ分析により、 自然度、 地形、 交通その他諸々の条件を重ね合わせ、 開発不適地として敷地をどんどん切り捨てて行き、 最後に残った適地を心ゆくまで開発するというスタイルだった。 一方日本ではというと、 このようなゼロからのスタートは、 私の場合皆無で、 ほとんどの場合がコテコテに人の手が入った敷地に、 さらにコテコテのデザインをするというスタイルである。 この場合の設計者に求められる「良識」は、 いかに自然風な造形をするか、 または新たな自然をどれだけ新しく創り出せるかである。 また、 迫り来る隣地や、 あるいは他の関連計画との関係で考えて行かねばならず、 大切なのは「連続性」である。 景観的連続性、 歴史的連続性等。 過去、 現在、 未来と切り離されたランドスケープはあり得ない。
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図4 伊川 自然素材による多孔質な工法は、 多自然生物生息区域としての河川の役割を助ける。 |
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図5 りんくう公園 海水の出入りする内海で自然素材による護岸づくりにより、 新たな生物相が誕生している。 |
4. ユニバーサルデザインと
ランドスケープデザイン
図6 ふれあいの庭 近づくことが困難な水面には、 視覚的に近づくことにより雰囲気を楽しむことができる。
図7 ふれあいの庭 大地を持ち上げることにより、 近づきがたい植物が身近なものとなる。
図8 りんくう公園 適切な道具の使用により、 景観と利用の両方のニーズに答える。
大地の起伏はその高低差が大きい程、 ダイナミックな景観となるが、 それは障害者や高齢者にとって益々近付き難いものとなる。 ユニバーサルデザインとは障害の有無に関わらず誰でも、 等しく、 同時に、 自分で選択をして楽しむ事の出来るデザインを指す。 従って、 起伏があり魅力的な地形である程、 アクセス可能である必要がある。 これに対する対応の方法は状況により多様であり、 一対一方式のマニュアルは存在しない。 多様なニーズに対する多様な選択と工夫がユニバーサルデザインに望まれるものである。 これによりデザインの質を落とさない事も同様に重要である。
障害者高齢者にとってのもっとも大きな障害は、 情報の障害である。 行ってみなければ判らない、 失敗してみなければ判らないというのは、 彼らの体力と尊厳を著しく犯すものである。 行動を起こす前に予め情報が開示されていることが最も望まれることである。 自らの選択によって行動が可能となれば、 何らかの代替の方法もまた考えられよう。
とはいえ、 障害者高齢者対策として著しくランドスケープの質の低下を招く事は避けねばならない。 これはユニバーサルデザインの考え方に反することであり、 また彼らの望んでいる事でもない。
5. 風景づくりへの統合
世界中の国や地域には独特の文化がある。 しかしこの文化なるものは、 極めて不合理でやっかいなものである場合が多い。 着る物、 祭の儀式、 人間関係等色々。 しかし、 ある程度の必然性があることも又確かである。 この必然性の中に、 自然条件も含まれるであろう。 以前、 ジャワを訪れた時、 その自然の強大さに驚いた。 木は他の木を絞め殺し、 微生物は石をも食い尽くしていた。 又ヨーロッパでは、 日本では決して上手く成長しないイトスギが空に向かって、 当たり前に真っ直ぐな樹形で立ち並んでいた。 では日本の自然はというと、 照葉樹林が特徴であろう。 これは生命力が旺盛で強い影を作る。 これが日本に影の文化が発達した原因の一つかもしれない。 照葉樹林帯では、 遠景での地形を見た場合、 大地の起伏はストレートには見えず、 大地に生える緑のシルエットが地形として意識される。 この事は、 地形の持つ意味が単にランドフォームだけでなく、 樹木の種類や地下水位、 あるいは人間の活動等、 より複雑な要素を含むことを意味する。
影の文化は同時にひなたの文化を生み出す。 それはハレとケとも表現され、 日本文化を表現する言葉の一つである。 そしてハレとケを決定づけるものは両者のバランスである。
日本人は伝統的にバランスを大切にして来た。 景観にしろ人間関係にしろ同様である。 シンメトリーな静的な平衡を嫌い、 天地人等で表現される動的平衡を好む。 人間関係ではストレートな表現を嫌う為、 しばしば誤解を招き、 煮え切らないとか決断力に欠けるとか、 今一度評判がよろしくない。 しかしその曖昧さが、 美的表現では独特の文化を生み出す結果となった。 「えもいわれぬ美しさ」「余韻を残した表現」「余白が語る」等、 何れもバランス感覚をその本質とした尺度は、 独特なものがあり、 極めて大切な尺度であり、 世界に発信してゆける尺度でもある。
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図9 森の火葬場(ストックホルム郊外) |
日本のランドスケープデザインは、 公園や大規模開発の地区内オープンスペースの設計などを対象とすることが多い。 本来いずれも都市における連続する大地の部分であるが、 多くは閉じられた空間のデザインとして考えられているように思う。
しかしランドスケープのデザインは、 閉じられた「庭づくり」からの開かれた「風景づくり」にあるのではないだろうか。
それは、 それぞれの地域の生態系や気候・風土にもとづき、 人が暮らし活動する環境へと、 大地に人が手をかける環境づくりである。 人は単に地域の自然に沿うというのではなく、 生活の快適性や時代精神の求めに応じて、 1つ1つの場を合理的・機能的・審美的につくってきた。 その中で時間の持続に耐え大地と共生してきたものが、 風景になる。
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図10 フィン庭園から流れ出る水路と茶園 |
夏の暑さの厳しい地域では、 水と日陰の冷気が心地よい。 水槽からあふれる水や落差を落ちる水、 わき出る噴水は、 地形に沿った庭の構成と灌漑用水の生活環境への利用のデザインによって生まれたものである。 また、 庭園の一番下の水槽は貯水槽でもあった。 そして市街地に流れ出た水は、 まちに冷気をもたらす。
時代の変化の中で、 王室の庭園は廃墟になっても、 灌漑システムとして周辺の農地を潤す水路は生き続けている。 中庭は、 閉じられた空間ではあるが、 地域の灌漑システムの一部として成立している。
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図11 急な斜面につくられた棚田(インドネシア) |
いずれにせよ、 人が手をかけてつくった風景は、 人が手をかけつづけることによって、 維持される。
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図12 市街地に隣接する農地を開発した住宅地(オランダ) |
ライデンのまちはずれに農地を開発した新しい住宅地がある。 庭先に水路がめぐるウォーターフロント住宅地である。 これも都市の運河と同様に、 水との共生の必然から生まれるデザインといえる。 排水用の水路は大地を大地たらしめている基盤であり、 その水のデザインがウォーターフロント住宅をつくる。
大地をつくるということ、 大地に手をかけるということは、 利用可能な土地を生み出すことや地形などの形態的条件の整備だけでなく、 生物や水・土などの自然のしくみを含む環境システムをつくることであろう。 これは、 庭や公園などのデザインにおいても考えるべき視点である。
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図13 お屋敷が分割再建され土がなくなっていく |
庭や公園には、 大地との関わりにおいて、 個々の領域内で完結するデザインされた空間性と、 それらがオープンスペースの系において集合的につくりだす環境システムの構成要素としての空間性がある。
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図14 京都の街区のオープンスペース(仏光寺通り) |
このような環境システムのあり方が、 家のつくり方と相互に関係しあうことで、 際のデザインのあり方が決められ、 その表現が風景になる。 それは居住環境の質に通じる。
公園についても、 レクリエーションや憩いの場など、 公園利用からのニーズにもとづく施設空間デザインとともに、 地区や都市レベルでの環境システムのデザインを問うことが、 ランドスケープデザインからの大地への取り組みではないだろうか。
都市内の小さいスペースであれば、 小さいなりの役割がある。 大規模公園になれば、 閉じた自然系のデザインも可能になるが、 都市内の環境システムとの連携や環境への働きかけが問われるのではないだろうか。
それは自然を模すことではなく、 環境システムの再構築とあわせて、 新たな都市の風景をつくっていくことにつながっていくだろう。