今ご紹介いただきました中村さんは、 村岡町教育委員会でお仕事をされながら、 一方で但馬地域の埋蔵文化財の発掘調査を数多くやっておられます。
今日はまず村岡町をご紹介し、 次に今回どういうことをやってきたかの概略をお話しします。 後はスライドで実際の様子をご覧いただきたいと思います。
村岡町は兵庫県北部に位置しており、 夢千代日記で有名な湯村温泉のすぐ隣の町です。 町にはハチ北のスキー場があり、 そちらの方には観光客が多く来られています。 町は1,000m級の山々に囲まれている山間地域です。 南北に22.2km、 東西で14.3kmで、 面積は165.5km2と兵庫県下では3番目に大きな町です。
町の約87%が自然に覆われています。 人口は7,110人で、 やはり人口が減ってきています。 なおかつ高齢化率が非常に高く、 現在では29.1%です。 つまり、 過疎の町であり、 高齢化している町である、 というところです。
今回のまちおこしの対象地区は、 この村岡町内でも南部に位置する福岡地区です。 今回は村岡町の町民のみなさんが全体で参加されたという話ではなく、 どちらかというとその福岡地区の方々が中心となって行われました。 また但馬地域など遠方の方々の参加も得て、 公園整備事業を進めていったという点が特徴です。
その福岡地区は、 現在473人の方々が住んでいらっしゃって、 戸数は136戸というある意味こじんまりしているところです。
ここで中村さんの方から、 高齢化の問題など村岡町の現状と課題をお話していただきたいと思います。
中村:
本来、 「社会教育は黒子であれ」ということで、 こんな場所に出させていただくのはおこがましいと思うんですが、 社会教育の一つの手法として今回の事例をご紹介させていただきます。
大矢さんからも町の概要が話されましたが、 村岡町の産業構造について申しますと、 第一次産業が27.8%です。 それから第二次産業が30.2%、 第三次産業が41.9%という数字になっております。 町内の純生産は平成7年度で150億円、 その71%が第三次産業によるものです。 第一次産業はどうかといいますと4.5%です。 これは村岡だけではなく、 日本の農村で過疎化が進んでいる町のほとんどがたどっている状況ではないかと思います。
昭和30年代の後半から始まった高度経済成長の中で、 ちょうど私たちの世代が中学校を出た頃は、 「君たちは金の卵だ」と言われて都会にどんどん出ていった時期です。 当時、 村岡の人口は12,000(人)ほどありました。 それが現在、 先ほど言われましたように、 7,100人まで落ち込んでいるわけです。
これに対して、 特に1970年代まではその悲惨さを訴えることで国から金をぶんどってくることが主な対策だったと思うんです。
例えば、 村岡町の予算規模は一般会計は約50億円ですが、 70%が国、 県などからの補助金です。 さらに借金が20%、 町からくる所得は10%ぐらいです。 そのほか30億円の特別会計があります。
しかし1980年代に入ってからは、 もう過疎を嘆いていてはいけないということで、 例えば広島県の総領町などで過疎を逆手に取るような運動が起こってきます。 開き直ってなんとかまちづくりをしないとあかんという動きが、 日本の農村部から起きてきました。 それが、 いわゆる“まちおこし”という感じで広がっていきます。
ちょうどその時期、 村岡町では年間約30人ぐらいの参加者で、 青年の国内研修を2泊3日で実施していました。 これまでに20回を数えています。 その中には例えば富山県の利賀村、 愛知県の足助町、 それから湯布院なんかは2回行っております。 そうした取り組みの蓄積の上で、 次のいわゆる村おこしのとりくみが始まっていったわけです。
福岡地区は、 集落数にして136戸、 473人の集落です。 現在の村岡町の町長は7人目なんですが、 今まで3人がこの福岡から出ておられます。 これはいかに力が大きな集落か、 まとまる力があるかということの象徴だと思います。 この福岡地区にはマキといわれるものがあります。 マキとはいわゆる血縁関係ですが、 これは日本の農村共同体によく見られるものです。 福岡はそういうものがかなり強い村です。
ここでは20人ぐらいの役員さんが集落の運営にあたっております。 ここらでいう自治区ですね。
さっき国から7割ぐらいの金をとってきて日本の農村は成り立っているという話をしましたが、 ここの福岡地区はそういう点に関しても非常に長けております。 区の公会堂なんかもここは持ちません。 公民館の分館をつくるときに土地交渉に行きましたら、 土地は提供します、 提供する代わりに村の人が使うのにはいっさい制限をしないでくださいと言うわけです。 条件闘争がうまいところです。 道をつけるにしても、 それから今言いましたように建物を建てるにしても、 普通は受益者負担でみなさんがお金を出されるんですが、 この集落は今まで出した経験がないのではないかと思います。 そういう形での農村共同体のよさが残っている町です。
では大矢さんさんにバトンタッチします。
村岡町について
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