参加型デザインの実践
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参加型デザインの課題(ディスカッション)を聞いて

松久喜樹/大阪芸術大学

改行マーク6階では「参加型デザインの課題」というテーマについて議論いたしました。

改行マーク参加型デザインについて午前中にお話があった丸茂先生のハンナ・アレントの理論、 伊東先生の環境に関する主体システムのお話は難解で理解する糸口が見つけにくいものでした。 聞いている私もよく分からなかったのですが、 私なりに理解すればハンナ・アレントという女性哲学者は「過去には私的領域と公的領域のバランスがあったのではないか。 むしろ公的領域での活躍が評価されていた」と言いたかったのではないでしょうか。 例えば、 現在の日本は消費社会です。 これは、 私的な領域での個人の消費が最優先される社会です。 ハンナ・アレントは「それだけでは駄目ですよ。 もっと公的な領域での仕事や活動をしなさい」と言っていると私は理解しました。

改行マークまた、 伊東先生のお話は主体と客体、 つまり作る方と使う方をきっちり分けてしまうのはよくない、 むしろその間にシステムがあり、 システムとは双方の関連性・相互作用であり、 相互作用の中から新しいものが生まれますよということだと捉えました。

改行マーク例えばワークショップで言うと、 最初から目的があってワークショップに臨むこともありますが、 むしろそれを体験することによって新しい目的が出てくることもあるということでしょう。 そういう風におっしゃっているのだと私は理解しました。


議論で出てきた論点について

住民参加で求められる職能

改行マーク6階の議論の中では、 実際に市民参加をされている方のいろんな体験談を聞くことができました。 共通する論点はいくつもあったのですが、 その中で参加型デザインとは何なのかという問題が当然論議として出てきました。

改行マーク元来デザインとは、 デザイナーやプランナーが行う個人的な作業のはずです。 それに対して、 参加型デザインとは何なのかと言うと、 ものを作るだけでなく、 人とものとの関係あるいは人と人との関係をデザインするということが重要なポイントであると考えられます。 「参加型」という言葉自体も実際に活動されている人は気に入らないようで、 むしろ市民参加ではなく市民主体と言うべきだという意見もありました。

改行マーク職能を考えた場合、 丸茂先生から「デザイナーという存在はいわば芸術家だ。 しかし人とものとの関係や人と人との関係をデザインするのは、 政治家の仕事になる。 今は、 デザイナーと政治家という全然違う職能を社会が専門家に要求しているのだから、 非常に難しい立場にある」という指摘がありました。

デザインの質

改行マークまた、 デザインの質についても議論の大きなテーマとなりました。 参加型デザインで良いデザインができるかどうかということです。 この問題提起の中で専門家は「参加型では、 ろくなものができない」とつぶやいているといった指摘がありましたが、 参加者からはむしろいいものが出来たという声もありました。

改行マーク一方こんな意見もありました。 地方に行くと、 河川整備が参加型デザインで行われているのですが、 多自然型の護岸整備を進めたいのに、 地元の人は管理が楽なコンクリートの三面護岸を作ってくれと言う。 これはどうしたものかというお話がありました。 それに対して、 専門家はあくまで多自然型の良さ、 治水面にも問題がないというデザインを進めなくてはならない、 そうした誘導する役割、 啓発する役割があるのではないかという指摘がありました。

合意形成

改行マークデザインの質を考えたとき、 参加型ではいかに合意形成を得るのかという問題が出てきます。 合意というのはひとりの反対者もいないという意味ですが、 実際にはそんなことはありえないわけで、 大多数に納得してもらうことになります。 その納得のさせ方がやはり問題になるのです。

改行マーク納得自体も時間によって変化するだろうという指摘がありました。 最初は専門家がいろいろ説明しても大半の住民は分からないまま聞いて帰るということになりがちなのですが、 時間が経って対象のものが出来上がっていくにつれて良い、 悪いというふうに自分の納得も変わってくるわけです。 ですから、 最初は良い計画と思っても、 出来上がってみるとなんだこんなものかというふうになって納得できないまま終わってしまうこともあるのです。

改行マーク納得自体も時間の中で変化するので、 最初はとりあえずそれについて知る、 話し合う時間を作ることが前提だろうと思います。 そういう納得の難しさについての議論もありました。

改行マーク市民にとってみれば、 それが良いデザインなのかどうかは最初の段階では分からないことがあるのだろうと思います。 しかし将来的にはNPOがしっかりしてくると、 むしろNPOの知識の方が行政より優れているという状況が起きてくると思います。 そうしたとき、 地域の情報を持っているのは行政なのですから、 情報開示が全ての大前提だろうという指摘がありました。


参加型デザインの行き着くところ

改行マークそして参加型デザインが行き着くところはどこなのかという話にもなったのですが、 かつて国家総動員という時代が日本にありました。 世界にも参加ではなく動員されて何かを行うという例はいくらでもあります。 自発的に参加するのではなく、 参加を強要されるということですね。 そういう社会が来ないよう、 市民は常に監視の目を持つことが必要だと思います。 それが参加型と動員型の分かれ目ではないでしょうか。 以上で私の報告を終わります。

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