「自己言及問題」はたとえば環境問題がその典型的なパターンです。 環境危機があると宣伝され、 情報が与えられることで人間の行動が変わり、 ひょっとすると環境危機は回避されるかもしれません。
ある経済学者がぼやいていましたが、 前のオイルショックのときに、 多くの経済評論家がそんなものはたいしたことないと言ったけれど、 その人は危機を訴えたわけです。 で実際起こってみたらなんとかクリアできて、 たいしたことないと言った評論家が立派と言われました。 これはおかしいわけです。 危機と言われるから、 我々はそれをフィードバックさせて、 自分の行動を変えるわけですから。
そのような意味で、 現代において情報はとても大きな力を持っています。
午前中に丸茂先生は「専門家が提供し市民が選ぶ」といった問題の立て方を提示されましたし、 小林郁夫さんは情報公開と地域主権の話をされました。 そこにも情報という問題が出てきますが、 私はその情報の与えられ方をすごく気にしています。
それは例えば、 医療倫理でいうインフォームドコンセントとか自己決定権という話と同じ構図なんですけども、 一番気になるのは、 すごく市場主義的なモデルから来ているという危惧があることです。
市場では多様な商品の情報が与えられます。 そこから消費者が決めるという事が、 自己決定とか主権とかいう話にすり変わる事があるのです。 そのときの情報は既に標準化されたものであって、 私はそういう話をしているわけではありません。
だからまさに“参加する”ということで、 体を動かす事によって、 新しい情報がどんどん入ってくるのです。 標準化されて壁にベタっと貼ったようなインターネットの情報みたいなものは、 ここでは関係がないのです。
参加型というのには、 情報の取り方というのも入っていると思います。 街づくりに参加して、 話をし、 体を動かすことで参加する人々の組織も変わる(システムが変わる)、 当然、 話す内容や話し方も変わってくるし、 どういう情報をどうやって引き出していくか、 発信していくかが変わるのだと思います。
参加と情報
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